大東中だより 第7号

No.7
大東中だより
平成27年1月21日(水)
大東市立 大東中学校
℡ 872-5500( 文責 釘宮 )
3学期がスタートしました
ごあいさつが遅くなりましたが、本年もどうかよろしくお願いいたします。
さて、3学期がスタートして約2週間が経ちました。寒い日が続きますが、生徒は学
習に運動にがんばっています。3学期の各学年の取り組みについてまとめてみます。
1 年生は 1 月30日(金)の夜間中学校(守口三中にあります)への訪問に向けて、
2学期から取り組みを進めています。
「夜間中学校」の存在すら知らなかった生徒が多か
ったですが、実際に夜間中学校で勉強する人たちの姿を見て、また、交流会での話を聞
いて、
「学ぶ」ということについて、また、今の自分の日々の生活について考えてみよう、
というのが取り組みのねらいです。学習や生活をしっかり見つめ、立派な2年生に進級
するための3学期の取り組みです。
2年生は多くの行事や取り組み、職場体験学習などで学んだことを生かし大きく成長
しました。3学期は人権学習や道徳の授業にもさらに意欲的に取り組み、人へのやさし
さや思いやり、そして自らの生き方を考えていく学期とします。自らの進む道(進路)
をしっかりと考え、意欲的に学習し、また、後輩たちをリードしながらよりよい大東中
学校を創っていく立派な3年生に進級するために、2年生は3学期も努力を続けます。
3年生は中学校生活も残り2カ月となり
義務教育の総決算という時期を迎えます。
これまでいろいろなことを考え、悩み、そ
して決定した中学卒業後のステージへ進む
べく全力でがんばる時を迎えます。この「進
路」という姿の見えない巨大な怪物に打ち
勝つものは、これまでやるだけやりきった
という充実感とそこからくる自信しかあり
なごやかな3年生の百人一首大会
ません。
「冬
来(きた)りなば 春遠から
じ」といいます。共にがんばってきたクラスや学年の友達と過ごす残り少ない中学校生
活を大切にし、心をひとつにしてがんばります。
それぞれの成長が楽しみです。大東中生は3学期もがんばります!
授業を考える
1年生数学の授業から
今、1年生の数学では「図形」の学習をしています。1月15日(木)6限の1年1
組の数学の授業では、
「立体模型」の作成をしていました。用紙に描かれた展開図をハサ
ミで切りとり立体を組み立てるという授業でした。1組の全員が集中して立体模型を作
っていました。数学の授業でも、このような実験・
操作・観察などはきわめて大切で、直観的な理解を
助け、論理的に考察し、表現する能力を培うことへ
とつながります。作成した立体模型が次にどう展開
されていくのか、生徒の興味と関心は次の授業へと
続いていきます。生徒にとって、「授業」はこうで
なくてはいけません。学ぶということは楽しいこと
です。
14日「大阪府チャレンジテスト」を実施しました
1月14日(水)、「大阪府チャレンジテスト」が実施されました。大阪府内の市町村
立中学校や特別支援学校中学部等で、1・2年生対象に実施されました。1年生は国語・
数学・英語の3教科、2年生は国語・社会・数学・理科・英語の5教科で実施されまし
た。実施の目的は、①大阪府教委員会・市町村教育委員会および学校が、生徒の学力を
把握・分析することにより、教育施策および教育の
成果と課題を検証し、その改善を図る。 ②生徒一
人ひとりが学習の到達状況を正しく知り、学力に目
標を持ち、また、その向上への意欲を高める。③大
阪 府 教 育 委 員 会 が、 調査 結 果 を 活 用 し 、(平成
28年度から選抜方法が変更される)大阪府公立高
等学校入学者選抜における評定の公平性を担保す
る方策を検証する。
2年生の様子
となっています。
結果は後日、「個人票」にてお知らせします。
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お詫びとお知らせ:すでにお知らせしましたとおり、1月16日(金)に予定しており
ました、平成27年度PTA委員選出会の日程が小学校と重なっておりました。それま
で準備していただいた役員、各委員のみなさまをはじめ、出席を予定していただいてい
た1・2年生の保護者のみなさまにはたいへんご迷惑をおかけしました。深くお詫び申
し上げます。あらためて、今週22日(木)午後7時より本校体育館にて開催いたしま
すので、ご出席のほどよろしくお願いいたします。
( 裏へ続く )
「 母 の 反 撃 」
~第26回 全国中学生人権作文コンテストから~
僕は、あまりにも独善的なご都合主義だったのかもしれない。自他ともに認める
わがままな僕が、自分の身勝手さを反省するに至ったのは、不用意な一言から起こ
った家庭内での事件がきっかけだった。
ずっと専業主婦だった母は、この春からパートに出るようになった。朝八時前に
出勤する早番の日と、帰宅が夜の七時半を過ぎる遅番の日が、週に一度ずつある。
その日、夜の七時半に帰宅した母に対して僕は、
「今日の夕飯は何?」と聞いた。
それも、ゲームをしていた僕は母の顔も見ずに背中越しに言ったのだ。母が何の返
事もしないので聞こえなかったのだと思い、もう一度同じ言葉を投げかけたが全く
無視された。なぜ、母の機嫌が悪いのか心当たりのない僕は、兄達にそのことを話
してみた。長兄は、パソコンの手を止めることなく、「ふーん。」と言っただけ。ゲ
ームをしていた次兄も、
「そうか、機嫌が悪いのか。」と、気にとめる風でもない。
その日の夕食時、父と僕たち兄弟3人が食べながらテレビに夢中になっていると、
母がなにやら独り言を言っているのに気付いた。それはまるで、ぶつぶつと呪文(じ
ゅもん)を唱えているかのようであった。
「お母さんはさ、どうせたかが三~四時間のパートに行ってるだけだけど、毎朝お
弁当を三つ作って、朝食を出したら片付けて、掃除も洗濯も夕食の支度も何ひとつ
変わらず、当たり前に負担してるわけよね。日曜日なんて、ただ名前が変わっただ
けで何の意味もないのよ。お父さんは、日曜日は休日で、子供たちも土・日は休日
で好きなことをしているのに、お母さんだけ休日の日曜はないのよね。それに、お
父さんや子供たちが帰宅する時は『お帰りなさい』と迎えてきたのに、お母さんが
帰ってきても、夕ご飯の心配しかしないのよね。お母さんはみんなのご飯係なわけ?」
そう言って、母は大きなため息で話をやめた。テレビから目を離さずに長兄は言った。
「共働きの家は、どこもそうなんじゃないんかい。そういうのが母親だよ。」
翌日、テーブルの上には冷めた朝ご飯が並んでいた。我が家の朝食は、それぞれ
が出かける時刻を考えて食べるので、家族全員が揃うことはなくリレー方式で食卓
につく。父、次兄、僕、長兄、母の順に朝食をとるが、母はそのたびに調理してい
たので熱いものは熱い状態で食べるのが当たり前だった。しかしその日の朝は、冷
めた朝食が僕たち男三人をあざ笑うかのように食卓に並んでいた。どうやら母は、
反撃に出たらしい。
“当たり前”温かいご飯も、
「行ってらっしゃい。気をつけて。」の言葉も、汚れた
服の洗濯も、部屋の掃除も、布団干しも、風呂そうじも、食器を洗うのも、塾の送
迎も・・・。これらが全部当たり前だとしたら、母は一体いくつの当たり前を背負
っていたのだろうか。
次の日曜日。母は風呂そうじをしていて足を滑らせ、浴槽に落下、朝から左腕を
打撲してしまった。そのアザになった腕に湿布を貼って食器洗いに取りかかる。す
ると、悪いことは重なるもので、今度は炊事用のゴム手袋に潜んでいた百足(ムカデ)
に指を刺されるというアクシデントに見舞われた。刺された指先に薬を塗って、給
食の白衣にアイロンがけをすれば、アイロンが倒れて火傷(やけど)。それでも母は
次々と家事をこなしていく。いつもなら、
「ドジだなぁ。」と笑いとばすところだけど、
僕はかける言葉が見つからず、台所に標本のように置かれたままの百足(ムカデ)
の死骸(しがい)を見ていた。
僕は僕なりに反省していたが、父も母の反撃以来、考えをめぐらしていたらしい。
ある日、父は僕たち三人を集めて提案をした。母にだけ家事を押しつけるのではなく
皆で協力しよう、という提案であった。朝風呂に入る兄二人は風呂そうじを、父は食
事の後片付けを、僕には風呂を沸かすという役割が与えられた。そして全員が、自分
の洗濯物は自分でたたみ、収納することになった。これで、少しは母の“当たり前”
が軽くなっただろうか。家族が協力し合ってこそ、みんなが気持ちよく生活できるこ
とに、僕たちはやっと気付いたのだった。僕は、僕の当たり前を背負う覚悟を決めた。
もう、母親が家事をやるのは当たり前、などとは思ってはいない。男も女もなく、家
族のそれぞれができることを行い、感謝の気持ちを忘れずに生活したい。そして、母
が仕事から帰ってきた時は、気持ちよく大きな声で、
「お帰りなさい。
」
と言葉をかけてあげたい。たとえ、どんなに腹ぺこで、母が作る美味しい夕ご飯が気
にかかっていても、だ。