授業・自己紹介 みなさんこんにちは。笹沼俊暁と申します。ここでは

授業・自己紹介
みなさんこんにちは。笹沼俊暁と申します。ここでは、大学院での勉強や、研究・学問
について、私の考え方を少々詳しく話させてもらいたいと思います。
私はいま、大学院では、
「媒體文化交流論」という授業を担当しています。名前だけ聞い
ても、何をやっているのかさっぱりわからないと思うので、具体的にいいましょう。「日本
統治期の台湾で発行されていた雑誌の記事を読み、それに基づいて報告する練習」が、実
際にやっていることです。
大学院ではいずれにせよ碩士論文というものを書かなければなりません。そのためには、
「自分の問題意識にもとづいて、自分で調べ、そこから思考をまとめ、表現する」という、
心と身体の習慣を身につける訓練がぜひとも必要です。今の時代では、インターネットで
いろいろなことが調べられて、本当に便利なのですが、しかし、この世の中では、ネット
化されていない情報の世界のほうが、いまだ、はるかに広大で複雑です。
この学科の大学院には、野外に出ることによって、この広大な沃野に接することを主眼
とした授業もありますが、私の授業では、図書館や資料館などに眠っている情報に接する
ことに主眼をおきます。図書館や資料館というのは不思議な場所で、七十年前、八十年前
に生きて、生活し、考え、悩んでいた人たちの痕跡が、時間が凍りついたまま保存されて
います。それらをじかに触り、掘り起こすことを通じて、現代に生きる私たち自身の問題
を、現在の日常とはやや異なる視点から考え直してみようというわけです。
これまでに、『台湾総督府臨終情報部「部報」
』や、『台湾時報』などの記事を読んできま
した。いずれも台湾総督府が発行していた国策的な総合雑誌なのですが、政治、経済、文
化など多方面の記事がてんこ盛りになっていて、当時の社会を多面的に観察する好材料と
いえます。
私がどうしてこんな授業を始めたかというと、理由は一九九〇年代から二〇〇〇年代に
かけての、日本での私の大学院時代での経験にさかのぼります。私は、「日本近代文学」と
いう分野を専攻していたのですが、それ以前の文学研究の業界では、作家の全集や作品集
に掲載された作品を、とにかく深く細かく読み込み、そこに隠された意味やメッセージを
「正確に」読み取ろうとする方法をとる人が多かったように思います。
しかし、私の大学院生時代の頃から次第に、全集や作品集という形でパッケージングさ
れる以前、雑誌や新聞の紙面に、他の雑多な三面記事等と一緒に発表された、「当時の読者
がその作品と接していた、もとのあり方」に遡ってみてみよう、という気運が勢いを増し
てきました。「メディア研究」「文化研究」の枠組みのなかで、もう一度「文学」を考えな
おしてみよう、というやり方です。私が所属していたゼミでは、明治期の日本で発行され
ていた総合雑誌を読む活動を、何年も続けていましたが、そこでの発表をきっかけとして
生まれた、ゼミのメンバーによる論文集や単著は、枚挙にいとまがありません。
このやり方のどこが有効だったかというと、それにはさまざまありますが、最大の利点
は、「現在の私たちの『当たり前』を、疑う」ための生の材料を、直接提供してくれたとこ
ろにあるように思います。たとえば今の私たちは、ある有名作家の有名な作品を、「永遠の
傑作」となんとなく思ってしまいがちですが、実はその多くは、もともと政治、経済、社
会その他もろもろの雑多な三面記事や、現在では誰もその名すら知らないような無数の作
品と一緒に、誌面の中に挟まれてひっそり掲載されていたりしたのです。当然、当時の読
者たちの、その作品への対し方、読み方、位置づけ方は、現在の私たちのそれとは、大き
く異なったはずです。いや、
「文学」という領域に対する概念や、社会的な位置そのものが、
昔と今とでは、大きく異なった可能性すらあるのです。
メディア研究、文化研究の枠組みのなかでおこなう「文学研究」は、今日の私が漠然と
前提してしまっている、「文学」そのものを疑う機会を与えてくれました。同時に、「物事
を疑い、問いをもつ」という基本的な心の習慣を学ぶきっかけを与えてくれたようにも思
います。
私は、「大学の先生」である以前に一人の「研究者」であるのですが、私が二十代のとき
から最近まで取り組んできた研究テーマは、「日本文学研究」とはそもそも何のために存在
し、いつどのようにして始まり、今、どんな位置にあるのかを考察したものです。その研
究成果は、二冊の単著『「国文学」の思想
文学」の戦後空間
その繁栄と終焉』(学術出版会、2006 年)、
『「国
大東亜共栄圏から冷戦へ』(学術出版会、2012 年)にまとめました。台
湾に来てからは、台湾での私自身の言語体験をもとにして、語学と文学のあいだの問題を
考察した著作『リービ英雄
<鄙>の言葉としての日本語』(論創社、2011 年)も執筆しまし
た。大学院時代の授業では、これらの学術活動に必要な「疑う姿勢」と、
「資料操作の技術」
の基礎を、自分なりにではありますが学ぶことができたように思います。
ところで、話題がそれます。
皆さんは、「学問」「研究」とは何のためにするものとお思いでしょうか。
日本語をうまく操るための「技術」を習得することを目的として大学院に入ってきた人
は多いでしょうし、また、日本アニメや J ポップなどの「趣味」を深く追求したくてやっ
てきた人も多いのでないでしょうか。あるいはもう少し高尚な理由として、世のため人の
ために役立てる仕事をするための知識と技能を修得したい、という人もいるかもしれませ
ん。
私は、そうしたはじめの動機そのものに反対するわけではありません。確かに日本語が
上手になることは大切だし、そのための効率的な方法を見つけることも大事です。また、
「好
きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、学問の入り口で「趣味」が一つのきっか
けになることを否定する人はいないでしょう。世のため人のため云々、というに至っては、
「ご立派!」と申し上げるほかにない。
しかし、技術や知識の獲得や、趣味の追求、社会貢献等は、「学問」「研究」と深く重な
り合ってはいるし、「学問」「研究」をきわめた結果として、実現できるものではあるもの
の、それらは「学問」「研究」の本体とはやや違うように思います。少なくとも、それらだ
けを目的として大学院での勉強を続けるのだとしたら、その人にとっての大学院生活は、
かなりつまらない、つらいものになってしまう可能性があります。たんに日本語の技術や
趣味の知識、社会貢献の方法を身につけたいというのであれば、わざわざ大変な思いをし
て長い「論文」を書く必要などないのですから。テストに合格し、「資格」を認めてもらえ
ば十分です。
私の個人的な考え方では、「学問」「研究」の起源は、「どうして自分は今、ここにこうし
て生きているんだろう」「人はどうして皆、いつか死ぬんだろう」「この世界は、どうして
こういうふうになっているんだろう」などという、人間だけに固有の素朴な問いにありま
す。普段の生活では、こんなことを気にしなくても生きてゆけるし、むしろこんなどうで
もいい問いを忘れて、生存のために必要な技能や知識を磨き、人脈を確保することに専念
したほうがよい。それに長けた人が、この社会ではマジョリティーの地位を獲得するので
す。
しかし、人間というのは不思議なもので、時折、こうした役にも立たないことをどうし
ても考えてしまう、「生きづらさ」をかかえた個体があらわれます。そんな人がなんとか自
分なりの答えを見つけようとして、作り出したものが、たとえば幾何学であったり、天文
学であったり、哲学であったり、歴史学であったり、修辞学や詩であったりしたわけです。
「どうして自分は今、ここにこうして生きているのか」
「人はどうして皆、いつか死ぬの
か」「この世界は、どうしてこういうふうになっているのか」。こうした問題は、多くの人
たちにとって、まさに「当たり前」のことにすぎません。古代の人にとってみれば、太陽
が東から昇って西に沈み、村中の人が皆同じ言葉を話すのは、疑問以前の常識にすぎず、
また、現代の私たちにとってみれば、例えばテレビの中の芸能人が歌う歌や、飛び交う冗
談、宣伝される流行の製品等は、この世界の成り立ちそのものです。人々は、そのなかで
日々の空気を呼吸し、食べ、眠り、排泄し、泣き、喜び、働いて死んでいくのです。
ですが、「学問」「研究」というのは、まさにこのような、世界のごく当たり前の姿が、
不思議でならないと思える人のために作られてきたものだと、私は思います。そこで得ら
れた成果を、人々はたとえば建設工事や先端技術のために応用したり、お金儲けのための
技術に使ったり、人助けや社会貢献のために昇華させたりします。そうしたことは、無論
自由ですし、なんら非難されるべきことではありません。ですが、繰り返しになりますが、
それらだけを「学問」「研究」の本体として考えるかぎり、
「学問」「研究」はたんに辛く苦
しい「代償」でしかないでしょう。
「これだけ忍耐・苦労・苦痛という『代価』を支払ったのだから、それに見合う『報酬』
が支払われるべきだ。それこそが知識であり、技能であり、資格なのだ。」こうした考え方
は、申し訳ありませんが、「学問」「研究」の本体とは本質的に関わりがありません。なぜ
なら、こうした考え方のものとでは、人間は決して物事を「反省」することもないし、自
分と自分をとりまく「当たり前」を再考することもないし、そもそも「自分を変えること
=成長させること」もないでしょう。
世界を、自分自身を問い続け、変えていくことこそが、「学問」「研究」の本体なのであ
り、それは「生きること」そのものでもあると、私は思います。研究業績を積み上げたり、
知識や技能を修得したり、人脈を広げたり、就職に役立てたりすることは、その後から、
事後的について回ってくることにすぎないのです。そして、逆に言えば、社会の中のどん
な仕事を通してでも、こうした「問い」を続けていくことはできるのだと思います。私の
場合は、たまたま大学と学術という枠組のなかで、自分の「問い」を発するための場を見
つけたにすぎません。(なんたって、大学というところは、私達のような我儘人間の居場所
を「比較的」許容してくれるところに特徴がありますからね)