先週講壇 ン病のための施設を作りました。英国国教会、私た あなたの信仰があなたを救った ちが言う聖公会の信者で、病院の中に礼拝堂を作り 2015年6月28日夕礼拝 関伸子副牧師 イザヤ書60章4~9節 ルカによる福音書17章11~19節 ました。その礼拝堂の前に日時計を置きました。礼 拝堂が出来て間もなく、岩下壮一神父が訪ねて来ら れ、のどかな日時計を作ったことに、心から感謝を しています。このように書きます。 「病のために、 社会と絶縁しなければならなかった患者たちが、そ Ⅰ.サマリア人が登場する物語 聖書の中に「サマリア人」が出てきます。どのよ うなサマリア人が、どこに出てきますか。そういう 質問をするとします。新約聖書に限って尋ねたほう がよいでしょう。おそらく教会学校の生徒がすぐに 思い起こすのは、ルカによる福音書第10章が伝え る、 〈善いサマリア人〉の物語と呼ばれている物語 の主人公でしょう。主の譬え話です。愛に富んだサ マリア人、人をいたわる愛に生きたサマリア人です。 ところで、ほかにもサマリア人が登場する物語が 福音書のなかにあります。誰もが次に思い出すのは、 ヨハネ福音書第4章が伝える、ヤコブの井戸のほと りで主イエスと語り合ったサマリアの女の話であ るかもしれません。それもまた忘れがたい感動的な 対話です。そしてもうひとつは、言うまでもなく、 今日、私たちに与えられている、このルカによる福 音書第17章に語られているのが、それです。今日、 ここに出て来るサマリア人は愛の実践者ではあり ません。ただ自分の病を癒されただけの人です。そ して主イエスのところへ喜んで帰ってきただけの 話です。しかし、私たちが、それだけのことではな いか、としか読んでいなかったのであれば、それは よく考えてみなければならないことです。 の苦悩を忘れてほがらかに、温かい光に思うぞんぶ んぬくもった後に、落日の栄えのうちに父なる神の ふところに憩わせたい。これこそ女史の心の願いで あり、また希望だったのである」 。 当時のハンセン病患者の実態は、目をそむけたく なるようなものであったようです。賛美・感謝の心 なくしては、人間の悲惨と戦うことはできないので す。そうこの神父は言い切ります。この岩下神父は、 学者としての将来を約束されていた方のようです。 しかし、そうした確保されていた道を捨てて、当時 の社会が捨てていた子どもたちのために、ひたすら 働くようになった。その心を動かしたものは何であ ったか。この神父の心の中にあったのは、自分もま た、このイエスの時代に、神から捨てられたものと しか理解されていなかった病人の仲間のひとりで あったに過ぎず、その自分が、ただ主イエスによっ て癒され、癒された喜び、感謝のあまり、神をほめ たたえて、主イエスのところに戻って来てひれ伏し た。そして、 「立ち上って、行きなさい」と言われ、 その言葉に押し出されるように、新しいいのちに生 きる。低いところから主のみ手によってひきずり起 こされ、立たされ、歩くようにされる。そこに生ま れてきた決意が、愛への献身の決意でした。現実に、 この主イエスのもとにひれ伏したこのサマリア人 Ⅱ.あなたは立って歩くことができる 『キリストの証人たち』という、イエス・キリス の姿をそこに重ね合わせてみるところに、初めて見 えてくるものではないかと思うようになったので トに仕えて、さまざまな働きをした人びとの伝記を す。 集めた小さなシリーズの中に、ハンナ・リデルとい Ⅲ.主イエスの言葉に賭ける う英国の女性についての文章があります。リデルさ んは明治時代に日本に、学校の先生として来ました が、熊本の地で多くのハンセン病患者の厳しい実情 を見たことがきっかけとなり、日本で最初のハンセ 主イエスは、これからエルサレムへ行かれようと しておられる。ご自身の死を覚悟しての最後のエル サレムへの旅です。サマリアとガリラヤとの間を通 られました。サマリア人とガリラヤ、ユダヤの人び ととの対立は、本来同じ血族に属していた者の間の 自分の体のきよめを祭司に確認してもらうよりも、 対立であるだけにかえって厳しいものでした。その 何よりも、自分が癒されたこと、自分がきよめられ 対立のはざまを、イエスが歩いて行かれた時、弟子 たことを見て、大声で神をほめたたえながら戻って たちも一緒であったと思われます。道すがら、ある 来た。そしてイエスの足もとにひれ伏して感謝した。 村がありました。その村に10人の重い皮膚病の人 この恵みに溢れ、賛美に溢れてイエスの足もとに が住んでいました。聖書に語られる重い皮膚病は、 ひれふしている男に目を留めつつ、主イエスは、こ 今日のハンセン病とは異なるものであったとも言 う言われました。 「清くされたのは10人ではなか われています。しかし、社会の目は、同じような見 ったか。ほかの9人はどこにいるのか。この外国人 方をしていました。これまでの村に住むことができ のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいな なくなって追われて、サマリアとガリラヤの間の辺 いのか」 。 「それから、イエスはその人に言われた。 境の地に逃れて来た。そして抗争のはざまにあって、 『立ち上って、行きなさい。あなたの信仰があなた 村に一緒になって肩を寄せあって生きていました。 を救った』 」 。ここで初めて「救った」という言葉を 彼らは「遠くの方に立ち止まったまま」主イエス 用いています。この男は出て行きます。その心の中 を呼びました。自分たちは汚れているから近付くこ には神をほめたたえる歌が響き続けたと思います。 とはできないと考えた。 「声を張り上げて、 『イエス 信仰者が真実に勇気を持ち、望みを抱いて生きる さま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでくださ ことができる、その根底にあるのは、今召されて立 い』と言った」 。とにかく治りたい一心ですから、 つ、召されて歩むという自覚ではないでしょうか。 遠くのほうから、先生、先生、治してください、私 家庭で生きているときにも、職場で生きているとき たちをあなたの憐れみをもって癒してほしいと叫 にも、今、私は主に癒され、救い出された者として、 んだのです。 ここに立つ、ここに歩むのです。主イエス・キリス 主イエスは、 「祭司のところへ行ってからだを見 トの恵みは、他のいかなるところにおいて見えなく せなさい」と言われました。重い皮膚病は、神に関 ても、ここでは見えるというところがあります。主 わりのある病気とされていましたから、病が癒えた の十字架と復活の事実において。だから感謝するこ か否かの診断は祭司がしました。旧約聖書が伝える とができます。すべてのことが、神の愛によってな 定めでもそうなっています。ある学者たちの推測に されているということを信じることができるし、も よれば、祭司はエルサレムにいる。そのエルサレム ちろん忘れないようにすることができます。辛いこ まで行くには、一日では行けなかったとも思われま とがあります。厳しいたたかいがあります。悲しい す。この10人は、イエスの言葉にすべてを賭けて ことが次々と起こります。耐えられないと思うこと 歩き出しました。 があります。しかし、これらが全部片付いて初めて Ⅳ.神の恵みを確信する 感謝できるというのではないのです。主は言われま す。わたしの恵みは、あなたにつきそって離れるこ 15節はこう伝えています。 「その中の一人は、 とがない。立って行きなさい。主の日ごとにここに 自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しな 集まり、私たちは、この主の言葉を聞き続けて生き がら戻って来た」 。この15節の表現では、 「自分が る。私たちは、この主の恵みを忘れることなく歩み 癒されたことを知って」とありますが、この「知っ 続けて行けるのです。お祈りをいたします。 て」というのは、 「自分がきよめられたことを見て」 と訳してもよいのです。癒されたことはできるだけ 早く祭司に見せて確かめてもらわなければいけな い。そうしないと世間では通用しません。9人はそ う思ったのでしょう。ただ、このひとりの男だけは、
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