しがだい42_p.19 表紙解説

Study Abroad Report
留学体験記
表紙解説
教育学部 さと4回生
こ いずみ
ち
小泉 知里
女子向けの修身教科書―『 修身女訓 生徒用』
(明治26〈1893〉年)
末松
氏
江戸時代の寺子屋では、
「 女範」
・
「女訓」
・
「女鑑」
・
「女大
(左)
休日のピクニック
留学で得たもの
学」など女子向けの修身、作法・礼法の教科書が多数使用さ
れて、封建時代の女性の心構えを教えていました。明治に
なっても儒教思想に基づく女子向け修身教科書が多数発行
留学の目標
様々な人との出会いと進歩
留学するにあたって、出発する前に私は3つの目標を掲げ
留学中には様々な人との出会いがあった。最初は、
コミュニ
た。英語力を伸ばすこと、視野を広げること、
自律することだ。
ケーションの面でも困難が多く、英語が聴き取れない、英語が
私はずっと英語が好きで、英語を常に使う環境に身を置き、
出てこないという悩みをいつも抱えていたが、様々な場所に
英語をツールとして使えるようになりたかった。また、国際交
出かけ、いろいろな人と交流をするように心がけた。
末松
修身教科書が刊行されていきます。末松謙澄『 修身女訓
生
氏
流、異文化理解に興味があり、大学へ入学した頃から留学し
大学には、いろいろな国から留学生が来ており、文化の違
徒用』巻1∼4(精華舎)は、明治20年代の代表的な女子修身
たいと思っていた。
また、異文化に長期間身を置き、ものの見
いを超えて、様々なことを話したり、意見を言い合ったりした。
教科書です。巻1の目次は「孝行、七郎とすゑ女、橘逸勢の娘、祖父母を大切にすべし 附孝女きそ、兄弟の親み、松平定信と種
方を広めるとともに、
日本よりも困難だと言われる授業にチャ
そこで感じたことは、文化の違いはあれど、最終的には人と人
レンジし、納得いくまで勉強したいという思いもあった。
とのコミュニケーションに行き着くということだ。私はこれま
インターナショナルフェスティバルにて(後列右から3番目)
され、男子と女子とは別の修身が教えられました。明治10年
小
式』、岡本賢蔵『修身女訓』、木澤成粛『 、若林雅
学 女子修身書』
小
太郎『 などが刊行されました。
学 女子修身要録』
明治20年代の検定期になると、高等科用の女子生徒向け
姫、……」の28課の構成になっています。古今東西の説話から女子としてあるべき修身を取りあげており、第4巻には女子礼式
を配置しています。
木全 清博(滋賀大学名誉教授・元教育学部教授)
一年留学すること
で、国際交流に興味があり、アメリカを含め、いろいろな国の
で、卒 業 が 遅 れてし
人とコミュニケーションを深めたかった。
しかし、実際、文化の
まうというた めらい
違いというものが予想以上に大きく、何気ない一言に傷つい
があった が、何 事も
たり、日本のやり方が通用しないことで、相手に苛立ちを覚え
しょう。唐崎は琵琶湖に突き出た小さ
経験したほうが、
しな
たりした。
しかし、たくさんの言葉をかわし、時が経つことで、
し
な岬のような地形の場所で、そこでは
いよりも絶対に良い
だいに違いも受け入れられるようになり、
また、英語を使う際
唐崎の松が雄大に枝を広げています。
と考え、交 換 留 学を
も気負わずにいられるようになった。
からさき かた た
唐崎と堅田
からさき
かた た
今回は、唐崎と堅田をご紹介しま
堅田は古くから水運の拠点として栄え
うき
た集落で、湖面に浮かぶように建つ浮
することを決心した。
み どう
御堂で知られます。
ともに古くから名
留学を振り返って
高い景勝地であり、夏の夜に唐崎の松へ雨が降りかかる
「唐崎夜雨」
と、晩秋に浮御
授業の大変さ
この留学で、私は最高に苦しいこ
堂の彼方の空から雁の群れが舞い降りる
「堅田落雁」の情景が、それぞれ近江八景
私が留学したのは、アメリカ、
ミシガン州にあるフェリス州
とと、最高に楽しいこと両方を体験
に選ばれています。
「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」では、松の絵に雨を示す斜
立大学というところだ。比較的小さな大学で、かなりの田舎に
することができた。いろいろなこと
あり、周りに本当に何もないことに驚いた。
がありすぎて、
この留学が私にとっ
アメリカの大学はハードだと聞いていたが、本当にその通
てどのようなものであったか、まだ
りだと実感した。授業中には積極的な発言を求められ、毎回
言葉で表すことは難しい。
しかし、
大量のリーディングが課され、テストがセメスター中に何回も
振り返ってみると私が留学する前
あった。ほかにも、エッセイを何枚も書き、
プレゼンテーション
に掲げた目標は、ある程度達成す
こ すい うらめぐ
キャンパス内
びんらん ず せき
線を引いて
「唐崎夜雨」を、浮御堂の絵の脇に小さな鳥の列を描いて
「堅田落雁」を
表わしています。
松尾芭蕉も、唐崎と堅田を美しく詠み上げました。
「辛崎(唐崎)の松は花よりおぼ
じょう
ろにて」
と
「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」の二句がそれです。なお唐崎の松は天正
安政3(1856)年
多様性とは?アメリカ人学生と
「湖水浦廻り 名所・寺社便覧図蹟」
より
をしなければならなかった。終わら
ることができたかと思う。必死に教科書を読み、たくさんの英
ない!と嘆き、朝までテストの勉強
語に触れたことから、少し、英語に対し、自信が持てるように
をしたり、エッセイを仕上げたりす
なった。真剣に人と向き合い、いろいろなものの見方を知っ
ることもたびたびあった。それに加
た。困難の中、自分で物事を考え、解決する力がついた。私を
えて、英語という言語の違いのため
成長させてくれたこの留学、
してよかったと心から思う。
元(1573)年の風害で倒れ、同19(1591)年に植え直されています。
「花より朧」の句
は貞享2(1685)年作なので、芭蕉が眺めたのは再植樹から約90年目の松でした。
(現在の松は、大正時代に植え替えられた3代目ということです。)
イベントにて(右)
に、現地の学生よりも時間がとても
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小学
教訓
代には千河岸貫一『 女子善行録』
、小谷時中『 女児礼
教科
絵入
青柳 周一(経済学部附属史料館教授)
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広報誌『しがだい』
をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。
読者の皆様の声を誌面に活かして参ります。率直なご意見・ご感想をお聞かせ下さい。
かかった。講義を毎回録音し、部屋
最後になりましたが、留学を決意し、無事終えることができ
に帰って聴き返し、
ノートを整理し、
たのは、両親、先生方、友人、国際センターの方、その他たくさ
なお、
「読者アンケート」
にご記入いただいた情報は、本誌編集の参考にさせていただくためにのみ使用し、他の目的には一切使用致しません。
分からないところは積極的に質問
んの方々が支えてくださったおかげです。本当にありがとうご
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をするようにした。
ざいました。
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