単位導入の 4 段階をめぐって 【内容】 1. 資本論における価値 4 形態 2. ベクトル導入の 4 段階 連続量を測るにあたって、単位導入の 4 段階指導*1 というものがある。 以下に、おさらいしておこう。 1. 直接比較 — じかにくらべる 2 本の棒を並べて直接その長さを比較すれば、 A > B, A = B, A < B のいずれかが成り立つことが分かる。 2. 間接比較 — なかだちを用いてくらべる 2 本の棒が離れた場所にある場合、持ち運び可能なヒモ C を利用して、 A > C, C > B ⇒ A > B または A < C, C < B ⇒ A < B という推移律を使って、 A と B の大小を比較できる。 3. 個別単位 — その場かぎりの単位 第 1 校舎と第 2 校舎の長さを比較する場合、ヒモだと相当長くなくてはならない。そこで、歩幅を利用 して、何歩あるかで比較する。 A > nC, nC > B ⇒ A > B という性質を使うわけだ。 4. 普遍単位 — 社会できめた単位 広く社会で共通な単位を使って測る。 遠山は、上記のすべての段階とその順序を尊重して教えるべきことを主張している。 *1 例えば、「連続量の単位」(遠山啓著作集数学教育論シリーズ第 0 巻所載) を参照。 1 資本論における価値 4 形態 2 1 資本論における価値 4 形態 マルクスの「資本論」に、単位導入の 4 段階とそっくりの記述がある。商品の価値表現の 4 つの形態が、量 指導の 4 段階にみごとに符合するのである。資本論のそれと、量指導はどういう関係にあるのか — というの が筆者が永年抱いてきた疑問である。 1.1 価値表現の 4 形態 それでは、資本論を覗いてみよう。該当の箇所は、「第 1 部 資本の生産過程/第 1 篇 商品と貨幣/第 1 章 商品」の中の、「第 3 節 価値形態または交換過程」である*2 。資本論の中のほとんど冒頭と言っていい部分で ある。 小見出しだけ抜き書きしてみると、 1. 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 2. 全体的な、または展開された価値形態 3. 一般的価値形態 4. 貨幣形態 である。 タイトルだけでは何のことか分からないので、マルクスが述べている定式化と具体例をそれぞれ引用してみ よう。(便宜上、上から順に「第○形態」と呼んでおく。) 1.1.1 第 1 形態 第 1 形態は x 量の商品 A = y 量の商品 B と、左辺の価値が右辺によって表現される形である。マルクスは具体例として 20 エレのリンネル = 1 着の上着 という表式を挙げている。 これは物々交換のイメージであり、直接比較に相当するものではないだろうか。リンネルの販売者側が物々 交換を断われば、 20 エレのリンネル > 1 着の上着 であるし、仕立屋が拒めば 20 エレのリンネル < 1 着の上着 である。両者が交換に同意したとき、等号が成立する。 *2 見出し、訳文は大月書店・国民文庫版による。 1 資本論における価値 4 形態 3 1.1.2 第 2 形態 第 2 形態は z 量の商品 A = u 量の商品 B または = v 量の商品 C または = w 量の商品 D または = x 量の商品 E または = etc. であり、具体例は 20 エレのリンネル = 1 着の上着 または = 10 ポンドの茶 または = 40 ポンドのコー ヒー または = 1 クォーターの 小麦 または = 2 オンスの金 または = 1/2 トンの鉄 または = その他 である。これは、市場にいろんな商人が集まって、それぞれの商品を交換しあっているイメージである。ここ で、商談の結果、 20 エレのリンネル < 1 着の上着, 20 エレのリンネル > 10 ポンドの茶 ということになれば、 1 着の上着 > 10 ポンドの茶 であろう。これは、間接比較に相当する。 1.1.3 第 3 形態 第 3 形態は = 10 ポンドの茶 = 40 ポンドのコーヒー = 1 クォーターの小麦 = 20 エレの 2 オンスの金 = リンネル 1/2 トンの鉄 = x 量の商品 A = 等々の商品 = 1 着の上着 1 資本論における価値 4 形態 4 である。これは、リンネルが個別単位として流通することではないか。どこか南の島国では美しい貝殻が貨幣 の代わりに流通していたとかと聞いたことがあるが、そんなイメージである。 1.1.4 第 4 形態 第 4 形態が = 1 着の上着 = 10 ポンドの茶 = 2 オンスの 40 ポンドのコーヒー = 金 1 クォーターの小麦 = 1/2 トンの鉄 = x 量の商品 A = 20 エレのリンネル である。金貨が普遍単位として世の中に出回るわけだ。 1.2 類似に対する筆者の疑問 量の 4 段階指導と、マルクスがまとめた貨幣形態とは非常に似通っている。もちろん相違点はあるが、筆者 はなぜこんなに似ているのかがずっと気がかりであったのである。 1.2.1 源流はあるのか 第 1 の疑問。量の 4 段階には、源流というか元ネタというか、その発想の元になるようなものがどこかに あったのか、という疑問である。 「外延量・内包量」という用語は数教協独自のものではなく、古くは 14 世紀の哲学者が既に使っているし、 カント (1724–1804) やヘーゲル (1770–1831) も使っているそうだ*3 。マルクス (1818–1883) はヘーゲルの直系 の弟子のようなものだろう。中世から近代にかけての西洋哲学に、量の理論の宝が埋まっているのだろうか。 それとも、量の 4 段階は西洋哲学からヒントを得たのではなく、数学の理論からまたは教育の論理から、必 然的に結論づけられたものなのか。 まあ、何がそれを導き出すきっかけになったのかは、どうでもいいことではあるのだが · · ·。 1.2.2 人類史との関係 第 2 の疑問は、量の 4 段階といい、商品の価値の 4 形態といい、どちらも歴史的な発展の順序というより、 思念的な階梯なのか、という疑問である。 価値形態の方から補足説明する。物々交換から始まって貨幣で商品を売買するまでを 4 段階に分けて説明し ているが、人類は原始、物々交換をほんとにしていたのだろうか。その証拠はあるのだろうか。貝殻の通貨な ら化石になって残っていたということもあるかもしれないが、物々交換では証拠が残らないのではないだろう か。そうすると、確実に人類が実際に踏んだ段階は、第 3, 4 段階だけなのではないか。 この疑問は、量の 4 段階にもそのままぶつけることができる。人類は直接比較や間接比較を通過して、個別 単位や普遍単位の観念に到達したのではなく、かなり早い時代にいきなり個別単位の段階に登りつめたのでは *3 「数学教育における量の問題」(遠山啓前掲シリーズ第 5 巻所載) を参照。 2 ベクトル導入の 4 段階 5 ないか。 我々はものの長さをどう測るかといえば、親指と人差し指をいっぱいに開いて、尺取り虫ふう*4 に測るか、 ものさしを当てて測るかなどであろう。つまり、個別単位や普遍単位の考えは人類は文化として受け継いでい る。直接比較や間接比較というのは、片方の棒をものさし代わり (または尺取り虫代わり) にして一方の棒を 測っているとも考えられる。 誤解を避けるために述べておくが、筆者はなにも量の指導において、第 1, 2 段階が必要ないとは言っていな い。必要性の有無は、実際の授業の場で検証すべき問題である。そうではなく、人類の歴史は、教育の順序と 同じ順序をたどってきた*5 のかという疑問なのである。 2 ベクトル導入の 4 段階 前節末で述べた筆者の第 2 の疑問に対し、自分ながらの解答を以下に記したい。 高校において導入される新しい量、ベクトルについて、その指導階梯が人類史的なものか、思弁的なものか を考えたい。 2.1 教科書の記述から 某社の数学 B の教科書の「平面上のベクトル」の節の最初の 4 つの小節の見出しを書き出してみると、 1. ベクトルの意味 2. ベクトルの加法・減法・実数倍 3. ベクトルの 1 次独立 4. ベクトルの成分 となっている。 これが、単位導入の 4 段階にみごとに対応していることを見ていく。 2.1.1 第 1 段階 前述の教科書はベクトルの冒頭で、ベクトルの相等の定義を述べている。これが最初に来るのは当然で ある。 2 つのベクトルがあって、片方を平行移動して他方に長さも等しく重ね合わせることができれば、2 つのベ クトルは等しい。 これは、まさしく直接比較だ。 *4 *5 元来は、尺取り虫の方が人間の尺取り動作に似ているのだが。 教育は、人類の発展史と必ずしも同一の順序をたどらない。例えば、零の発見はかなり時代が下ってからのことだが、だからと いって零を教えるのを負数を教える中学校あたりまで待ったりしない。 2 ベクトル導入の 4 段階 6 2.1.2 第 2 段階 上図のように、2 つのベクトルがそっぽを向いていたらどうするか。直接比較ができないので、間接比較に なる。 三角形または平行四辺形の法則を使って、なかだち ~r を介して、 ~p = ~q +~r と表現する。生徒はここで、ベクトルの加法・減法を学ぶ。 2.1.3 第 3 段階 教科書は「1 次独立」を定義して、平面上の任意のベクトル ~p は、2 つの 1 次独立なベクトル ~a,~b の実数倍 の和 (それを「1 次結合」と呼ぶことも教える) で表わされることを述べる。すなわち、 ~p = x~a + y~b である。 ~a,~b という個別単位 (線型代数ではそれを基底と呼ぶ) でベクトルが表現される。 ここから、斜交座標系 (デカルト座標) が生まれる。高校では斜交座標は正式には出てこないが、案外役に立 つ概念である。考え方としては、直交座標をひしゃげただけなのでそれほど難しくない。例えば、 3x~a + 2y~b (x + y = 1) を図示する問題なら、3~a, 2~b の終点をそれぞれ座標 (1, 0), (0, 1) だと思って、直線 y = −x + 1 をひしゃげて描けばよい。 2 ベクトル導入の 4 段階 7 2.1.4 第 4 段階 教科書は、「O を原点とする座標平面上で、 x 軸および y 軸の正の向きと同じ向きの単位ベクトルを基本ベ クトルといい、それぞれ ~ e1 , ~ e2 で表わす」と述べる。そして、 ~p = x~e1 + y~e2 なるとき、 ~p = ( x, y) と成分表示されることに言及する。 基本ベクトルは、ふつうは正規直交基底という。これが普遍単位に相当すると見てよかろう。「正規」は長 さが 1 のことで、 「直交」は文字どおりの意味である。それを「基本」と言ってしまうと、単なる基底 (任意の、 1 次独立な 2 つのベクトル) のことであるような気がして、筆者は好きになれない言葉である。 さて、厳密に言うと教科書の説明はおかしい。座標軸の正の向きと同じ向きのベクトルと言っているが、ま だこの時点では座標軸は存在しないはずだ。正規直交基底 (と原点) を導入したから直交座標ができ上がるの であって、その逆ではない。 教科書はそのページまでいっさい座標平面のことに触れないで叙述したきたのに、成分表示の話の所でいき なり座標平面が登場するのは唐突だ。それなら、ベクトルの章の最初のページから、有効線分の始点が原点に 来るように平行移動したときの終点の座標が ( x, y) のとき、その有効線分をベクトル ~p = ( x, y) と表わす、とした方がスッキリする。 2.2 4 段階指導と歴史的順序 上に取り上げた教科書を読むと、多次元量 (ベクトル) の導入に際して、きちんと 4 段階を踏んで記述がさ れている。しかし、この順序は人類史的な順序かというと、そうであると断言はとてもできないだろう。 人類が最初にベクトルの相等の定義を思いつき、それが発展していって、やがて座標平面を得るに至ったと は考えられない。 デカルトがハエが天井に止まるのを見て、座標平面の概念を作ったかどうかはともかくとして、数学史的に 見てベクトルより座標の方が先だ。したがって、ベクトルだけに関して言えば、4 段階指導は数学の論理と学 習者の心理から導き出される順序性であって、歴史的順序とは一致しないと言える。 c °muraken5, 2005
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