1. 序文 1.1. 化学と原子 化学とは、物質の構成を調べ、物質の持つ性質、反応を明らかにするととも に、新しい物質を合成する分野であり、物質科学の基板分野と考えることがで きる。さて、物質を次々と細分化していくと、最終的に原子まで行き着く。原 子は、図1に示すように、原子核とその周辺をまわる電子からなる。原子核は、 陽子と中性子よりなる。 電子 陽子は正電荷を帯び、中性子は中性であ る。それぞれ、質量はほぼ同じで、1.67 x 10-27 kg である。1 陽子の電荷は 1.60x 10-19 C(クーロン)2である。 電子は負電荷を帯び、その質量は 9.109x10-31 kg である。電荷は陽子の電荷と 同じである。(-1.60x 10-19 C) 問1 電子と陽子の質量比はいくらか? 問2 原子は一般に中性である。陽子と電 子の数はそれぞれどういう関係にあるか? 原子核 図 1.1-1 原子の構造 さて、原子は原子核に存在する陽子の数で、区別される。陽子の数を原子番 号とよび、同じ原子番号をもつ原子の集合名詞として元素という言葉を用いる。 また、一つ一つの元素には名前が付いており、元素(原子)記号により表され る。同じ元素でも、中性子の数が異なるものがある。これらを同位体(アイソ トープ)とよぶ。同位体は化学的な性質が似ている。ただし、原子番号が小さ いものでは、性質も異なる。たとえば H2,D2 の沸点は 20.39 K, 23.67 K である。 原子の質量はほぼ中性子と陽子の数の和で表すことができる。そこで、陽子 と中性子の和を質量数とよぶ。 現在物質は、原子番号 92 までの原子の組み 合わせとして存在する。それぞれの原子は、原子核に存在する陽子の数で区別 される。原子の性質は、原子番号順に並べると周期的に変化することが知られ ており、その性質で並べたものを周期表(図 1.1-2)と呼ぶ。 周期表で同じ列に属するものはほぼ同じ性質をしめす。これを周期律と呼ぶ 周期表の同じ列に属するものを族とよび、横の行を周期と呼ぶ。3 問3 なぜ原子番号で周期をしめすのだろうか? 周期律がなぜおこるのか? 原子の性質はどうしてきまるのか?また、原子 が集まった物質性質はどうやってきまるのか? 1 中性子の方が若干重い。 クーロンとは電荷の単位である。1秒間に1クーロン流れた時に1アンペア (電流の単位)となる。 3 周期律を見出したのはロシアの化学者メンデレーフである。(Mendeleev, D.I., 1834-1907) 2 その疑問は原子の構造や電子の振る舞いを知ることでわかる。これを知ること がこの講義の目的である。 ところで、物質の性質とはなんだろうか? 問 4 物質の性質とはなんだろうか。思いつくもをすべてあげよ。 図 1.1-2 周 期 \ 1 2 元素周期表 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 族 1 H 2 Li He Be B C N O F Ne 3 Na Mg Al Si P S Cl Ar *V *Cr *Mn *Fe *Co *Ni *Cu Zn Ga Ge As Se Br Kr 5 Rb Sr *Y *Zr *Nb *Mo *Tc *Ru *Rh *Pd *Ag Cd In Sn Sb Te I Xe Tl Pb 4 K Ca *Sc *Ti 6 Cs Ba ランタ ノイド 7 Fr Ra アクチ ノイド ラ ン タ ノ イ ド ア ク チ ノ イ ド *Hf *Ta *W *Re *Os *Ir *Pt *Au Hg Bi Po At Rn *La *Ce *Pr *Nd *Pm *Sm *Eu *Gd *Tb *Dy *Ho *Er *Tm *Yb *Lu *Ac *Th *Pa *U *Np *Pu *Am *Cm *Bk *Cf *Es *Fm *Md *No *Lr 1.2. 原子と物質 1.2.1. 原子の性質と原子の集合 原子が集まることで物質が作られる。 問 5 身の回りにどういう物質があるだろうか? 物質の性質をしることは、原子と原子がどういう風に結びつき、集まってい るかを知ることである。 たとえば、ダイアモンドと黒鉛を比べてみよう。 ダイアモンドも黒鉛も炭素からなる物質である。 しかし性質は異なる。これは、黒鉛とダイアモンドとでは炭素の結合の仕方が 異なるからである。すなわち、物質の性質は原子それ自体というよりも、原子 の集まり方によりきまるといえる。 したがって、集まり方、結び付け方を理解することが大事である。 問 6 事典で黒鉛とダイアモンドの性質や構造をしらべよ。 原子と原子を結びつける力を化学結合と呼ぶ。原子が2個以上結びついたも のを分子という。分子が集まって物質を作る場合がある。(たとえば、酸素と か水素、水や氷) 一方、原子からなる物質もある。(鉄とかダイアモンド、 黒鉛) また、原子から、電子がのぞかれたり、加えたりして、電荷を帯びる こともある。これをイオンと呼ぶ。正負のイオンが並んでできた物質もある。 たとえば、岩塩である。 イオンからなる物質は水に溶けやすい。一方、金属 は水に溶けにくいが、水銀には溶ける。(アマルガムを作る。) このように 原子―原子を結びつけている化学結合を知ることで、物質の性質を理解するこ とができる。 以上のことから、化学結合を理解することがこの講義の第 2 の目的である。 化学結合は以下の4種類ある。 表 1.1.1 化学結合の種類 化学結合 例 特徴 共有結合 O2, H2,多くの 強い結合である。(切れにくい) 分子、ダイア モンド イオン結合 岩塩など 強い結合であるが、もろい。水に溶けやす い。 金属結合 金属 強い結合であるが、弾性変形しやすい。 電気を流す。 分子間力 分子間 弱い結合である。集合することで強い結合 になる。生体における物性を決定する。 この化学結合は、電子より引き起こされる。 問 7 クーロン力とは何かしらべよ。 2. 原子と電子 2.1. 原子モデル 原子は原子核と電子からなる。電子と原子核とはそれぞれ、負の電荷と正の 電荷を帯びていて、電気的に引き合う。これがいわゆるクーロン力である。ク ーロン力は、次式で表すことができる。 F q1 q 2 4r 2 ( 2.1-1) ここで、Fがクーロン力であり、その向きは、二つの電荷を結んだ直線上で ある。また、単位を[N](ニュートン)とする。q1,q2 は電荷であり、[C(クーロ ン)]を単位とする。r は二つの電荷の距離で、m(メートル)単位とする。は、 誘電率とよび、真空はX-12 Farad/m=X-12C2/Nm2 という値を持 つ。 問 2.1.1 水素原子中の電子と原子核との間に働くクーロン力を計算せよ。 ただし、電子と原子核との距離は 5.3X10-11m とし、電子の電荷は 1.6X10-19C *********************************発展******************************** さて、電子と原子核が引き合うので、電子が原子核に引き込まれて、原子がつ ぶれてしまう。これを防ぐには、地球が太陽の周りを公転することで、太陽の 引力を受けても太陽に落ちないように、電子は円運動する必要がある。この円 運動した電子の軌跡を電子の軌道と呼ぼう。では、毎秒どれくらいの早さで円 運動するかを考えてみる。中心から一定の力を受けて、物体が円運動する時に、 以下の式が成り立つことが知られている。 すると、 F m v2 r ( 2.1-2) 円運動を考えるとき速度の変わりに角速度を考えると便利である。すなわち、 速度は単位時間あたりにものが進む距離をあわらわすが、角速度は、単位時間 あたりの角度の変化を表す。半径 r の円を角速度をで回転するときのその物 質の速度 v は、 v r ( 2.1-3) であたえられる。 問 2.1.2 ( 2.1-3)を証明せよ。 したがって、( 2.1-2)は、 F mr 2 ( 2.1-4) と書くことができる。 さて、クーロン力を受けながら、円運動するのだから、そのときの速度は、 ( 2.1-1)と( 2.1-2)を用いて、得ることができる。 問2.1.3 水素原子中の電子の速度を求めよ。 ***************************************************************** かつて、電子が円運動するモデルを 長岡半太郎(1865-1950)が提出したが、 当時このモデルでは、1つの不都合があることが指摘された。すなわち、円運 動するということは、下の図のように絶えず上下で+とーが入れ替わっている ことであり、この状況では、電磁波が発生する。電磁波はエネルギーを持つか ら、電子はだんだんエネルギーをうしない、最終的に核につかまってしまう。 一方トムソン(1856-1940)は正電荷が均等に原子全体に広がっているトムソン模 型を提案した。 + 正の背景電荷 図 2.1.1 長岡モデルとトムソンモデル。 ところが、ラザフォード(1871-1937)は、アルファー線を原子にぶつける実験を 行い、アルファー線がほとんどの場合まっすぐに進むのに有る角度に対しては 大きく曲がることを見いだし、これが、長岡モデルで説明できることを突き止 めた。 図 2.1.2 Rutherford の実験 α線を打ち込むとたまに大きく曲げられる物があ る。正電荷が一点に集中しているためである。 このように長岡モデルが正しいことがわかったにもかかわらず、何故、原子が 安定に存在するのかを理解することは、19 世紀までの知識では難しかった。 これを解決したのが量子論である。量子論では、物質はある決まった状態にし かいることができず、その状態のエネルギーは、離散的な値を取る。すなわち、 電子は原子の周りを円運動するが、離散的な値しか取ることができないから、 その間電磁波を出しながら、少しずつエネルギーを失うことはできない。 すなわち、ある状態から別の状態に移るとき、そのエネルギーの差の光を放出 して移ることができるが、それ以外の場合には、電磁波放出できないと考える。 もし電子が一番エネルギーの小さな状態にあるとすると、それ以上エネルギー を失うことができないので、これ以上エネルギーを失えず安定に存在すると考 える。 量子論においては、おのおのの電子が特定の決まった状態に離散的に存在し、 その状態のエネルギーがとびとびになる。光の放出や吸収は、別の状態に移る ときに起こる。そのときに、状態のエネルギー差のエネルギーをもって光放出 が起こる。量子論においては、光はエネルギーをもった固まりとして考えられ、 光子と呼んでいる。また、光は周波数 や波長 をもっているが、一個エネル ギーE とは以下の関係にある。4 E h ここで、 h は後で出てくるプランク定数である。また、波長と周波数の関係は ch c (c は光速)であるから、 E とかける。 さて、周波数の違いは、色の違いとして観測される。物質に特定の色が付いて 見えるのは、特定の周波数を物質の中に存在する電子が吸収して別の状態に移 るからである。 4 この関係式は今から100年前の 1905 年アインシュタインが提出した。この 年、アインシュタインは他にブラウン運動、特殊相対性理論を発表したことか ら奇跡の年といわれ、100年目の 2005 年は国際物理年となった。 問 2.1-1 か? 赤色の波長は 800 nm であり、紫色は 300 nm である。どちらがエネルギーが大きい 問 2.1-2 紫色より波長の短い紫外線は DNA をきずつけたりして、発ガン性をしめすことがあ るが、赤外線では起こらない。なぜだろうか? 私たちの実生活では、エネルギーは連続である。しかし、ナノメートルのサイ ズの世界では、原子、分子などものを構成する最小単位が不連続になるのと同 様に、エネルギーも不連続になる。すなわち、最小単位が存在するのである。 その単位は光の場合であると光の持つ周波数を h = 6.626 x10-34 Js 倍したものに なる。 (物質でも原子や電子に周波数や波長を定義することができて、その周波数の h 倍がエネルギーの単位になる。) こういう風にナノレベルの世界で、エネルギーが離散的になることを理論的に あつかった学問が量子論である。最初にこの量子論を概観して、化学をどうい う風に理解できるか考えてみよう。 講義到達目標 物質の基本となる原子・分子について,元素・原子の電子構造・化学結合の観 点から基礎的な理解を深める。特に有機物の骨格の成り立ちを理解する。 キーワードに掲げた大学生として当然知っていないといけない知識とその活用 の仕方を教える。 1.原子の構造:原子構造と周期律について量子力学の立場から説明できる。 2.化学結合:混成軌道の概念にもとづいて σ 結合と π 結合、分子の形を説明 できる。 3.軌道エネルギーと吸収スペクトル:物質の色と軌道エネルギーの関係を説 明できる。 講義計画 物質の基本となる原子・分子について,元素・原子の電子構造・化学結合の観 点から基礎的な理解を深める。 (1)原子の成り立ち 電子構造と周期律について概説する。物性の発現を理解する。 水素原子:量子数と軌道の形と符号 (2)化学結合と分子の形成、分子軌道の基礎 共有結合とイオン結合等について概説する (3)脂肪族炭化水素:基本骨格としての脂肪族炭化水素の構造と名称を書く ことができる。 (4)混成と炭化水素の結合 (5)芳香族炭化水素と共鳴 (6)電磁波と物質の相互作用 光の吸収と物質の構造について概説する キーワード 量子化学、周期律表、水素原子の電子構造、量子数、原子軌道の形と符号、 化学結合、有機分子、イオン結合、共有結合、金属結合、分子間力、 受講状況、小テスト、レポート、および試験の成績により、下記の点から総 合的に評価します。 1)基礎的知識を記憶して、正確に理解しているかどうか、2)講義に積極 的に参加して問題意識を深めたかどうか、3)出席状況など。やむを得ず欠席 する場合は届けを出してください。遅刻限度(15 分)以上は遅刻は厳禁とする。 評価は相対評価をとっており、秀・優・良・可および不可の比率は、 20%:40% : 30% : 10% : 0% 程度を目安としますが、出席が悪く、試験で基礎問 題ができなかった方は不可をつけます。
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