機関紙 - 全港湾

第 289号
ビラ をそっ と手 渡し まし た。
2015年 9 月 7 日
その 後 、徳 島 に移 動 し、
当 時お 世 話に な った 方 々と
発
行
大 阪 市 港 区 築 港 1 − 1 2 ー 2 7
全 日 本 港 湾 労 働 組 合 関 西 地 方 大 阪 支 部
発 行 責 任 者
林
繁
行
お 会い し て、 た くさ ん お話
を して い まし た 。当 時 の資
← 徳 島 に て
1989年 日 本 遠 征 闘 争 の 記 録
料 や写 真 など 大 切に 保 管さ
れ てお り 、サ イ ンが 書 かれ
た 資料 な ども あ りま し た。
上 映会 は 千秋 閣 ホテ ル で行
わ れ、 当 時の 関 係者 を 含め
執行部
陣 内 恒 治
約50名で 開催 され た。
者で 開 催さ れ た 。ヤ ン ・ヒ
して い る とデ モ やビ ラ 配布
私は 5 年ぶ り の再 会 でし
最 近 完成 し た、 ア ジ アス
支給 要 求で 籠 城し て 、武 装
ドを 張 り団 交 拒否 も 繰 り返
編集 を 数十 回 もお こ な い、
スク も 徐々 に 当 時を 思 い出
した こ と も思 い 出し て いる
た 。 過 去 に は 機 関 紙 2 35号
ワニ ー 労組 の 日本 遠 征闘 争
警察 の 介入 に よっ て 負傷 者
され た 。彼 女 たち は 、 抗議
やっ と 今年 、 上映 会 が 開催
し、 委 員長 ら し い発 言 で会
よう でし た。
(2010年 発行 )で スワ ニー 20
記録 映 画の 上 映会 が 、韓 国
も出 た 。そ れ でも 会 社は 交
行動 、 ビラ 配 り、 各 労 組の
され るこ とに なっ た。
場は 盛り 上が った 。
から 当 時の 委 員長 ヤ ン・ ヒ
渉に 応 じよ う とは し なか っ
支援 を 呼び 掛 ける な ど 決死
スク と 副委 員 長ウ ・ ヨン ヒ
た。
の闘 いを 連日 つづ けた 。
8月7日大阪
宗 教 法 人「 お ほも と 」で
周 年集 会 を取 り 上げ ま した
お世 話 に なっ た とい う こと
が 、2 名 とも 元 気で 変 わら
で、 見 学 中に 管 理者 と 話を
ない 様子 で安 心し まし た。
徳 島 に移 動 中 、上 映 時間
して い た ら、 年 配の 女 性が
現在 、 彼女 た ちは 労 働運
8月9日徳島
そし て 映画 を 作っ た 「平 和
大 阪 での 上 映会 場 を どれ
の風 」 のタ ル ギさ ん が来 日
くら い の規 模 で開 催 す るか
まで 観 光を 予 定 して い たが、
出て こ ら れま し た。 会 話を
動 には 携 わっ て はい ま せん
して 、 8月 7 日大 阪 、8 日
を 議 論 し た 結 果 、 200 名 が
ヤン ・ ヒス ク と ウ・ ヨ ンヒ
する と 、 なん と スワ ニ ー会
が、家族を守るために頑張っ
神戸 、 9日 徳 島の 3 日間 、
入る エ ルお お さか 南 ホ ール
がス ワ ニー 本 社 に行 き たい
長で あ る 三好 鋭 郎氏 の 奥さ
てい ます 。
開催 され た。
に決 定し 、準 備を 進め た。
と言 う ので 急 遽 、予 定 を変
んだったのです。険悪なムー
各地 で この 映 画の 上 映会
映 画 は1989年、 韓 国 女性
当 日 は他 の 集会 が 重 なっ
更し 、 早朝 か ら 香川 県 白鳥
ドに な る と思 い まし た が、
を 開催 し て頂 い て、 国 境を
労 働 者 2 30名 が 突 然 解 雇 さ
たが 、 当時 の 闘争 で 頑 張っ
町に あ るス ワ ニ ー本 社 に向
ヤン ヒ ス クは 「 いろ い ろな
越 えた 連 帯、 団 結の 精 神を
た人 た ちも た くさ ん 駆 けつ
かっ た。
人生 経 験 がで き まし た 」と
受 け継 ぎ 、共 に 闘い 続 けま
言葉 を 交 わさ れ 、上 映 会の
しょ う。
▲ 当 時 の 写 真 か ら
れ、 香 川県 白 鳥町 に 本社 が
ある ( 株) ス ワニ ー に代 表
労 働 者た ち は解 決 に向 け
5名が来日して闘ったドキュ
て、 香 川県 の 本社 で 三好 社
メン タリ ー映 画で す。
長と 交 渉す る ため 代 表団 5
名を 日本 に派 遣し た。
突然の集団解雇通知
1978年、 韓 国裡 里 市 (現
日本遠征闘争
日韓労働者連帯の
かけ橋
け て 頂 き 、 約 1 20名 が 参 加
した 。
本 社 の門 は 当 時の ま まで
した が 、敷 地 内 にあ る 建物
代 表 団が 来 日し 、 各 労組
挨 拶 でア ジ アス ワ ニ ー労
は一 変 し立 派 な ビル に なっ
や団 体 が支 援 をし て 約90日
組委 員 長ヤ ン ・ヒ ス ク は当
てい ま した 。 駐 車場 も バス
間闘 い 、解 雇 は撤 回 で きな
時の 辛 い日 々 を思 い 出 し、
が20台 は 入る よ うな 敷 地で
かっ た が、 謝 罪、 雇 用 ・生
涙な が らに 「 日本 人 は みん
その 奥 にビ ル が あり 、 事務
在、 益 山市 ) に手 袋 を生 産
89年 12月 22日 、代 表 団は
存権 対 策資 金 支払 い 、 争議
な悪 い 人だ と 思い な が ら来
所に 入 るの も 大 変な 作 りで
する 日 本の 工 場が 設 立さ れ
大阪 空 港に 到 着。 そ のま ま
費用 の 負担 、 夜間 学 生 の卒
日し ま した 。 しか し 、 各地
万が 一 の抗 議 に も備 え たよ
た。 勤 労学 生 だっ た 彼女 た
香川 県 の本 社 に直 行 した が、
業ま で の保 障 など を 補 償さ
での支援や闘争に関わる人々
うな 敷 地に 変 更 した の かと
ちは 劣 悪な 労 働条 件 の中 で
会社 は 門を 閉 ざし て 応対 し
せ、事実上の勝利を勝ち取っ
のお か げで 勝 利す る こ とが
感じ た。
も学 費 や生 活 費を 賄 うた め
よう とは しな い。
た。
でき ま した 」 と報 告 さ れた。
ヤ ン ・ヒ ス ク は門 の 前で
に残 業 や徹 夜 をし て きた 。
1 回目 の 交 渉で は NH K
そ れ を支 え たの が 、 当時
交流 会 では ま るで 同 窓 会の
無言 で ずっ と 立 ち続 け 誰も
人員 削 減や 廃 業に つ いて は
や朝 日 新聞 社 を入 れ 21時か
全港 湾 建設 支 部副 委 員 長の
よう に 懐か し い話 で 盛 り上
声を か ける こ と がで き なく
協議 す ると の 協定 が あっ た
ら行 わ れた が 不誠 実 な回 答
中村 猛 さん で した 。 こ の支
がり まし た。
て、 し ばら く 見 守り ま した。
が1989年10月 1日 、 会 社は
で終 わっ た。
援が 発 端と な って 、 ア ジア
経営 難 を理 由 にF A X1 枚
90年 1月 21日 まで の 約1
スワ ニ ー労 組 があ っ た 全北
で突 然 の廃 業 通告 、 労働 者
カ月 間 に交 渉 は14回 も たれ
地域 の 民主 労 総と の 相 互交
たち を全 員解 雇し た。
社長 は 廃業 手 続き の 非を 認
流を 続け てこ られ た。
彼 女 たち は 工場 に 籠城 闘
争を 展 開、 メ イン バ ンク で
ある 全 北銀 行 前で も 退職 金
めた が 労側 の 要求 に は一 切
応じ ない 。
会 社 は22日 か らバ リ ケー
そ し てバ ス で 町内 を 移動
▲ エ ル お お さ か 会 場
8月8日神戸
翌 日 、マ イ クロ バ ス で神
戸に 移 動し て 白鶴 酒 造 資料
このきっかけを韓国の
館な ど も見 学 した 。 会 場で
「平 和 の風 」 が記 録 映 画に
ある 神 戸市 勤 労会 館 に 到着
する た め8 年 間映 像 を 集め、
し、 上 映会 が 約50名 の 参加
h t t p : / / w w w . z e nk o w a n - o s k . o r g /
だ
20 15.9 .7
書記次長
小
林
ん
勝
け
つ
彦
N o.289
積極 的 に国 家 政 策に 影 響を
与え 、 社会 に 教 育し な くて
に中 国 の 軍事 的 潜在 力 と発
展に 危 機 を持 っ てい て 、北
らな い許し 難い 談話 であ る。
私 たち は 村山 元 首相 の 談話
はな ら ない 。 そ のた め には
3カ 国 の市 民 は 選挙 前 の公
約を 確 認し て 代 表と な る議
朝鮮 の 核 開発 に 頭を 抱 えて
いる の で はな い 」簡 単 に言
うと 「 北 朝鮮 の 核兵 器 は米
を 支持 し 日本 の 政権 が 一日
で も早 く 村山 談 話を 継 承し
て いく 事 を強 く 願う 」 と発
員を 選 び、 ま た 、当 選 後も
公約 を 守る よ う 促し て いく
事が 重 要で あ る 。国 交 正常
国に と っ て大 き な問 題 では
なく 、 米 国の 最 も大 き な関
心は 、 急 速に そ の軍 事 力を
言さ れまし た。 数々 の市 民、
労組、学生の代表者のスピー
チ があ り まし た が全 て の方
化50年 を 迎え て 近い 国 から
膨張 さ せ てい る 中国 に 注が
れて い る 。そ こ には 、 日韓
を巻 き 込 み、 軍 事力 と それ
が 安倍 談 話は 認 めら れ ない
8 月 12日 、 日本 国 内 で戦
争法 案 反対 の 波が 沸 き立 つ
追悼 碑 にひ ざ まず い て黙 祷、
謝罪 し た意 義 や中 国 に対 す
米軍 基 地近 く での 反 戦 ・反
基地 集 会に 参 加し デ モ にも
に て 開 催 さ れ ま し た 。 100
人が 入 れる 会 場内 が あ ふれ
中、 訪韓 しま した 。
現 政 権は 、 過去 の 過ち を
真摯 に 反省 せ ず、 近 年で は
る過 去 の侵 略 戦争 ( 歴史 の
真実 ) を真 に 謝罪 し なけ れ
ば東 ア ジア の 平和 、 世界 の
参加 しま した 。
韓 国 の集 会 ・デ モ は 服装
から コ ール ま で統 一 さ れて
るく ら いで 、 廊下 で 視 聴さ
れる 方 が出 る ほど 討 論 会の
関心 の 高さ が 感じ ら れ まし
意図 的 に歪 曲 した 歴 史認 識
の拡 大 を進 め てい る 。ア ジ
ア諸 国 への 謝 罪ど こ ろか 、
平和 は ない と 話を さ れま し
た。 ま た、 広 島・ 長 崎の 被
爆国 日 本が 、 福島 の 原発 事
いて 団 結力 が 感じ ら れ まし
た。 集 会自 体 も凄 く 若 者が
多く 歌 やダ ン スな ど 趣 向を
た。
主 催 者( 戦 争反 対 平 和実
現国 民 行動 ) の挨 拶 と 意義
に関 わ る 資金 を 大き く して
いか な け れば な らな い 」と
発言 さ れ まし た 。ま と めと
戦争 が でき る 国を 造 るた め
の法 案 を民 意 を無 視 して 政
府与 党 だけ で 強行 採 決し ま
故を 引 き起 こ した 反 省を し
ない で 核( 原 子力 発 電) を
手放 さ ない 事 や、 沖 縄を 軍
凝ら し た集 会 で楽 し さ さえ
感じ ら れま す 。私 た ち 日本
の労 働 組合 が 忘れ ゆ く 姿で
説明 で 幕が 開 き、 訪 韓 団の
代表 挨 拶と し て加 来 洋 八郎
団長 ( 元全 港 湾大 阪 支 部委
遠い 国 にな っ て しま っ たこ
して、韓国では今、インター
ネッ ト 放 送の 立 ち上 げ を進
めています。日本でもメディ
と 言っ て いま す 。韓 国 政府
した 。
そ ん な歯 痒 さと 申 し訳 な
い気 持 ちの ま ま、 国 際平 和
事力 の 要石 か ら平 和 の要 石
にし て 行か な けれ ば なら な
いと 訴 え、 紛 争を 未 然に 防
あり 、 取り 戻 さな く て はい
けな い姿 です 。
員長 ) は、 「 日韓 が 真 の友
好を 築 くに は 過去 の 侵 略戦
争の 謝 罪と 日 米安 全 保 障条
の関 係 の最 中 、 安倍 談 話は
本人 の 口か ら は 慰安 婦 問題、
侵略問題の謝罪が一切なかっ
アが 取 り 上げ な いか ら と嘆
くよ り 、 ネッ ト を使 っ て放
送す る な ど拡 散 して い かな
が 一定 の 評価 を して い ると
コ メン ト した の とは ほ ど遠
く 、民 衆 は納 得 して い ない
会議 の 晩餐 会 ・前 夜 祭に 招
かれ ま した 。 日本 か らは 鳩
山元 首 相を は じめ 現 役の 国
ぐ東 ア ジア 共 同体 ( 東ア ジ
ア平 和 会議 ) を造 る 提案 を
力強 く演 説さ れま した 。
約・ 米 韓相 互 防衛 条 約 を破
棄し 、 朝鮮 半 島の 統 一 と日
朝国 交 正常 化 を実 現 し なけ
た事 は 残 念で あ る。 (私に
はも っ と怒 り が ある が 、訪
韓団 の 手前 ザ ン ネン に 感じ
くて は な らな い と感 じ まし
た。
と感 じま した 。
会議 員 、地 方 議員 、 大学 教
授な ど の著 名 人が 参 加し 、
韓国、中国、米国やヨーロッ
れば な らな い 。そ の た めに
は、 米 ・日 ・ 韓の 民 衆 が連
帯し な けれ ば なら な い 」と
た。 )安倍 首 相は 抗 日 義士
追悼 碑 で膝 間 づ いて 謝 罪し
た鳩 山 元首 相 を 見習 わ なけ
参加者の気持ちが熱い
15時 か ら今 回 の訪 韓 の主
韓国 で 見た 集 会・ デ モは
大 阪支 部 とし て 見習 わ ねば
な らな い 事が 多 く、 忘 れ去
パか ら も大 物 議員 や 著名 人
など 、 総勢 80名が 出 席 して
いま した 。
述べ まし た。
ペ ク ・ハ ク スン 氏 ( 世宗
研究 所 首席 研 究員 ) の 「光
れば な らな い 。1998年 の日
韓パ ー トナ ー シ ップ 宣 言に
戻り 再 構築 し て 行か な けれ
目 的 で あ る 8 ・ 15民 族 統 一
大会 に 参 加し ま した 。 まず
驚い た の は参 加 者の 数 と参
ら れた 闘 いの 原 点だ と 感じ
ま した 。 戦後 70年の 節 目の
年 であ る 本年 、 安倍 政 権が
復・ 分 断70年 、 東ア ジ アの
ばな ら ない 」 と 述べ ま した。
加者 の 気 持ち が 熱い こ とで
す。 た だ 参加 す れば 良 いと
いう 気 持 ちで 来 てい る 人は
強 行に 推 し進 め よう と して
い る戦 争 法案 を 認め れ ば、
よ く言 わ れて い る戦 争 がで
夕 方 、統 一 と平 和 を 願う
ロウ ソ ク集 会 に参 加 し まし
◇ 総 括 ◇
続いて中国の李肇星(リ・
た。ここでも、若者のパワー
は凄 く 、歌 あ りダ ン ス あり
で子 供 から お 年寄 り ま で参
13日 、大 韓 商工 会 議 所に
て「 2015東 ア ジア 平 和 国際
会 議 」 が 20 0名 の 参 加 で 開
チョ ウ セイ ) 元外 務 大臣 の
演説 が はじ ま り、 鳩 山元 首
相の 12日の 抗 日 義士 追 悼碑
加者 や 近く に いる 人 ま でリ
ズム に 乗り 大 変盛 り 上 がっ
てい ま す。 若 者が 先 頭 に立
いな い ぐ らい 盛 り上 が り真
剣な 表 情 です 。 先日 の 集会
でも 感 じ たの で すが 若 者が
きる 国づく りだ けで はな く、
今 後も 国 民の 声 を聞 か ずに
国 会だ け で何 で も決 め てし
催さ れ まし た 。主 催 者挨 拶
に続き、朴元淳(パク・ウォ
ンス ン )ソ ウ ル市 長 の歓 迎
での 謝 罪、 本 日の 中 国に 対
する 侵 略戦 争 への 謝 罪が 高
く評 価 され 、 現日 本 政府 が
ち企 画 ・立 案 する 事 が 、こ
れか ら の平 和 や希 望 に 満ち
た世 の 中に は 必要 だ と 考え
圧倒 的 に 多く 会 場付 近 で、
各グ ル ー プが パ フォ ー マン
スの 練 習 をす る など 、 大会
ま う事 が でき 、 民主 主 義の
崩壊 です 。
集会 は 面倒 く さい 、 しん
の辞 、 李姫 鎬 (イ ・ ヒホ )
金大 中 元大 統 領夫 人 ・金 大
中平 和 セン タ ー理 事 長の 祝
正し い 歴史 認 識を 認 めれ ば
中国 は 対話 の テー ブ ルに 着
く用 意 があ る 事や 、 その 事
させ られ まし た。
ど いと い って い るだ け でな
く、支部の方針である反戦・
平 和・ 反 差別 そ して 、 国際
辞、 そ して 体 調不 良 のた め
に出 席 出来 な かっ た 村山 元
首相 の ビデ オ メッ セ ージ 、
が東 ア ジア 全 体の 平 和に 繋
がる と演 説さ れま した 。
鳩山 元 首相 の 平和 宣 言、 基
調演 説 が行 わ れま し た。 そ
の中 で 、ソ ウ ルの 抗 日義 士
団結力を感じるデモ
東アジアから平和を
14日、平沢(ピョンテク)
民衆の連帯を!
対立 と 韓米 日 市民 社 会 の課
題」と題した発言では、
ブ ル ース ・ ギ ャグ ノ ン氏
(宇 宙 への 兵 器 と原 子 力の
を盛 り 上 げよ う 、成 功 させ
よう 、 ま た、 民 族統 一 を心
から 願 っ てい る のが 私 には
1 5日 、 国 際 平 和 討 論 会
「朝 鮮半 島 の光 復と 分断 70
「日 米 韓3 カ 国の 市 民 は各
国政 府 と社 会 の各 部 門 が相
互に 対 決と 戦 争の ア イ デン
配備に反対するグローバル・
ネットワーク事務総長)
「米国の“アジアへの帰還”
言葉はわからなくても伝わっ
てき まし た。
大 会 の メッ セ ージ で 正義
連帯 の活動 を拡 大し てい き、
い ま一 度 、闘 う 全港 湾 の誇
り を胸 に 闘争 力 の低 下 した
年、 歴 史正 義 の回 復 と 平和
実現 の 課題 」 が全 国 民 主労
働組 合 総連 盟 本部 の 教 育室
ティ テ ィー で はな く 、 和解
と平和のアイデンティティー
を確 立 する 方 向に 進 む よう、
政策 と 反戦 平 和 の課 題 」と
題し た 報告 で 、 米国 の 「ア
ジア へ の回 帰 」 政策 は 、主
党議 員 が 「先 日 の安 倍 談話
は時 代 を 逆走 す るも の で慰
安婦 、 植 民地 問 題の 謝 罪す
労 働組 合 を代 表 して 闘 わな
け れば な らな い と強 く 感じ
まし た。