友の会だより - さらしな堂

2009・秋
友の会だより
第21号
閻魔大王に肝冷やす
芝原の阿弥陀堂三福寺
う ん せ い あ ん・あ み だ ど う・さ ん ぷ く じ
千曲市芝原区の西の地域に、古くからのお堂があ
る。雲晴庵阿弥陀堂三福寺。更級地区で通称、
「堂の
山」と呼ばれている山の東側の裾にあり、昔から住
民に親しまれ信仰のための祭り場であり、心の寄り
どころとしての場所でもあった。
ね は ん ず
じゅうおうず
ちょうでんす
(芝原区・宮原実雄)
広く見ていただきたいと思います。
道徳教育と通じるものであり、青少年や社会人にも
描いたもので、人生の戒めとなって現代の社会教育、
十王図は生前の行いの善悪を順次審判する様子を
に、大勢の弟子や生き物たちが悲しんでいる図です。
られる貴重な掛軸であり、お釈迦さまが入滅のとき
涅槃図は、室町時代の画僧、兆殿司の筆とも伝え
けたものでした。
冷やし、帰りには、おだんごをいただき心を落ちつ
示されます。戦中までは閻魔大王の恐ろしさに肝を
えんまだいおう
春と秋の彼岸の中日に涅槃図と十王図の掛軸が展
ひがん
瓦葺きの建物となった。
が老朽化が激しくなったので、先の大戦後、改築し、
牌が祀られている。古くから芝原区で管理していた
な阿弥陀如来像と、寂誉上人の座像と歴代住職の位
じゃくよしょうにん
茅葺きの寺院造りのお堂であった。仏壇には立派
宝暦年間から、九基ある。
には、僧籍と思われる墓石が、それより約百年前の
を訪れ、定住したと思われる。お堂に隣接する墓地
にある九品山三福寺の住職が、隠居の身となり当地
く ほ ん ざ ん・さ ん ぷ く じ
いが、天保六年(一八三五)
、今の長野市小田切塩生
このお堂の開基は、いつの時代か確かな記録はな
十王図の掛軸の意味を確認する芝原区の役員のみなさん。左奥に涅槃図(9 月 23 日撮影)
(2)
六月八日の朝十時ごろ、三島神社の北側に新居を
ロなどと呼ばれて の小柿の木が二本がすっかり食い荒らされた。卵を
おい
構える甥から、悲鳴にも聞こえる電話がかかってき
いる。そして、
クリ・ 産み付けた木の葉がおいしいらしい。
くすのき
楠 木・ ク ル ミ・ ク 近所の男衆が交代で退治したが手に負えない。ク
た 「
―おっちゃん、お宮のケヤキの木が青くなって、
道も変な毛虫で通れねや」
ヌ ギ・ ケ ヤ キ・ ト ルミの木と同様、列をなして下り、たちまちケヤキ
サンダル履きで現地へ飛ぶ。
「ナンダコリア」と
チなどの葉を好ん の木に登り始めた。そこでひらめいたのが、蔟の代
わりに大量のワラを幹に巻き付け、その中に閉じ込
道路を渡る毛虫の集団に足を踏み入れた。その時
「プ
で食べるという。
シュ」と内臓が破裂して、足からズボンにかけて付
成 虫 の 蛾 は める作戦だ。これはうまくいった。二時間ぐらいで
や が
着する。その悪臭が鼻をつき、吐き気を催した。毛
「夜蛾」と呼ばれ成 ワラ束の中が満杯になったところで処理した。これ
虫の発生源は個人のクルミの木(写真左)
。こんな
熟した果実の蜜を で休息も取れた。処理を繰り返して二週間目で、騒
かいこ
まゆ
に大きい毛虫に何で気づかなかったのか。体長十㌢。 吸い荒らす害虫だ。幼虫のころは蚕と同じで、繭を ぎはおわった。隣の上山田にも大発生したようだ。
青白色に白い毛が生え、腹は黒色。この日の午前で 作る前に一瞬にして葉を食い尽くしてしまうのだ。 三カ月後の十月の始め、夜蛾を外灯の下で見つけ
すっかり葉は食べつくされ、枯れ木のようになった。 既に繭を作り始めた場所を見ると、建物の下屋・大 た。ほとんど動かずだった。通常盆ごろ羽化すると
話はたちまち近所に伝わり見学に押し寄せる。大 きな石の凹み・木の表皮の中・ケヤキの小枝などい 言われていたが、八月に入り急に低気温が続き、し
まぶし
かも遅く羽化したので自然淘汰されたようだ。来年
正生まれの人も、初めて見るそうだ。しかも、先祖 たる場所を蔟の代わりにしていた。
よりいと
からも聞いたことがないという。とにかく毛虫の名 繭の形は撚糸を合わせ、網目状になった楕円形を の動向はどうだろう。 (羽尾四区・大橋静雄)
前を調べないと対策にならない。インターネットで している。通称「透かし俵」といわれ、現在も、こ
さらしなの里歴史資料館で開催された夏
くすさん
しらがたろう
図鑑を検索したら「楠蚕、別名白髪太郞、栗毛虫、 の茶色の繭からつむいだ糸は丈夫で、高級な着物の
の草木の布教室「葉っぱだって虫の繭だっ
栗虫」という厄介な毛虫(写真中央)であることが 帯になっていると言われるから「ビックリ!」だ。
しらがたゆう
てランプに変身」では、害虫として嫌われ
わかった。楠蚕は地方によって白髪大夫とか白髪ド 幼虫は平年なら五~七月にかけ、ふ化し自然淘汰さ
ている愛称シラガダユウの繭が、シックな
れたりして、人目につかない程度の数になる。しか
灯火になってほのかな明りに揺らいだ。
し近年の温暖化現象で二カ月も早く一挙にふ化して
葉を蝕む幼虫の美しさにも負けず、網状
しまった。そして、繭を作る場所を探し集団で降り
の繭には張りがある。時はエコの時代!使
てきた。道を横断して三島神社のケヤキに登り始め
わない手はないと、ランプの傘に利用した。
たので「青いベルト状」に見えたのだ。
お父さんと参加した男の子が後日「あのラ
「お宮のケヤキ木がやられる」と恐怖がわいた。
ンプの灯がね、不思議だから寝る時いつも
あんずの収穫期で消毒はできないので、人海作戦だ。
眺めてるんだ!」と嬉しそうに語りかけて
ほうきでたたき落として、太い枯れ木で一匹ずつつ
ぶすのだ。朝十時ごろ下り始めることもわかった。
くれた。(さらしなの里歴史資料館・荒井君江)
午後七時にはピタと止まる。いいこと考えた、釣り
ざおの弾力を利用して高いところから木の表面を勢
い良く滑らせ
るとバラバラ
と落ちて動か
な く な る。 二
日目でほぼ退
治 し た。 と こ
ろ が、 今 度 は
三島神社境内
の樹齢二百年、
高さ二十五㍍
巨 大 毛 虫 、白 髪 太 夫 と の 奮 戦 記
嫌われ者 おしゃれに変身!
(3)
オーケストラとの合奏も可能に
お月見会では、謡曲師匠の清水和二三
さんの「姨捨」に合わせ、塚原佐久子
さんが琵琶の音色を披露(伊藤可主也
更級小校長が携帯電話で撮影)
明徳寺(羽尾四区)の先々 ほしい旨を伝え結果を待ち いたころの琵琶に修復され、 た も の と 思 わ れ ま
つ か は ら・ぎ し ん
代、塚原義真和尚が琵琶を弾 ました。数日後、楽器店から 手元に戻ってきました。そし す。 川 中 島 の 合 戦
いていたという話は聞いて 連絡があり、直すに値すると てこの琵琶は薩摩琵琶であ が 奏 で ら れ て い た
ることも分かりました。
また、 か も。 な ん だ か 琵
いました。また、あるときは のことでした。 琶の音が聞こえて
写真家が訪れ、琵琶を弾く義 こうして先々代が奏でて バチも発見されました。
義真和尚はその昔、琵琶を き そ う で す。 ど な
真和尚の姿を撮影していっ
背負い、自転車に乗り、お弟 たか義真和尚の声、
たとも。しかし、琵琶にも写
子さんのところにお稽古に 琵 琶 の 音 色 を 聞 か
真にも出くわすことはあり
行っていたとも言われてい れ た 方 は あ り ま せ
ませんでした。
ます(今ならエレキギターを んか?
ところが、十二、
三年ほど
担いでバイクに乗ってとい 本来、薩摩琵琶は柱(駒) よってオーケストラとの合
前、長男が屋根裏の物入れよ
が 四 つ で す。 し か し、 こ の 奏も可能になりました。現実
うところでしょうか)
。
り琵琶を見つけて来ました。
詩吟が盛んであったこの 状態ですと、音域が狭いた に一緒に演奏されています。
その琵琶は形こそやっとの
地域で詩吟に合わせ(語りな め、柱を五つにして音域を広 わが家の琵琶も同じよう
ことで原形を留めていまし
がら)琵琶の音色を入れてい げています。こうすることに に手を加えました。良い音が
たが、柱(駒)も足りず、糸
でるはずで
も切れていたりで、とても無
す。 で も わ
残な姿でした。
が家の弾き
楽器店に持ち込み、直す価
手は音痴で
値がある品であれば直して
良い音にならず、掻き鳴らす
のが精一杯。右上の写真は今
年の中秋十月三日に郷嶺山
で開かれた更級人
「風月の会」
のお月見会で、修復がなっ
た琵琶をみなさんに見ても
らったときのものです。
そうそう五年ほど前、写真
家の方が琵琶を抱えた義真
和尚のパネルを数枚持って
来てくださいました。上の写
真はその一枚です。写真を見
ていると音が聞こえてきそ
うです。
(明徳寺・塚原佐久子)
発見、
修復された明徳寺の琵琶
(4)
おらほの冠着
事務局・さらしなの里歴史資料館
〒三八九‐〇八一二
長野県千曲市大字羽尾二四七の一
電話 〇二六(二七六)七五一一
Fax
〇二六(二六一)四一六一
さらしなの里友の会だより編集委員会
編集・発行
に巣食う鬼と渡辺が戦う武勇伝が謡曲にもなって
〈
編集後記〉
「友の会だより」の秋号はいつも縄
文まつりに合わせて発行しているのですが、こ
いる。なにかおどろおどろしい名前ではある。
クルマバソウ(写真下)は葉が車のように輪生 としは新型インフルエンザの流行を受け、中止
冠着山は姨捨伝説でよく知られ、また最近、山 しているので分かりやすい。葉には芳香があるそ となりました。まつりに向け準備を進めてきた
更級小学校の子どもたちは、かなり残念だった
頂に舞うヒメボタルも話題になっている。そして うだ。
ようです。
意外に美しい花の多い山でもある。
季節がもう少し夏に向かうと、アジサイがたく
今号はその無念さを吹き飛ばすような楽しい
ある年の五月二十六日、旧坂井村方面(現筑北 さん見られる。仙石口から車道のわきに、そして
記事があります。白髪太夫についての大橋静雄
村)から登ったとき、山頂付近でたくさんの花を 羽尾口の久露滝の上などに。素朴な花の形から自 さんの報告は臨場感たっぷりです。駆除の対策
見かけた。アザミ、ニリンソウ、ラショウモンカ 生のものと思う。
までしっかり紹介してくださっています。嫌わ
ズラ、クルマバソウなどだ。
里から眺める冠着山も心に安らぎを与えてくれ れ者でありながら、繭の糸はとても丈夫で人間
その他、名前の分からないものがいくつかあっ るが、山から眺める北アルプスの山並みも山頂付
の
暮
ら
し
に
も
実
は
役
立
っ
て
い
る
こ
とを、荒井君
「怪獣みたい」
た。ラショウモンカズラ(写真上)は「羅生門蔓」 近の花々も心を和ませてくれる。まだ登ったこと 江さんのランプも示しています。
と書き、解説書によると、花冠の形を羅生門で渡 のない方には登ることをお勧めしたい。坊城平か という人もいます。
辺綱が切った鬼女の腕に見立てたとある。羅生門 らはゆっくり歩いて一時間、坂井村側からは三十 明徳寺の琵琶は更級に伝わる民話を、語り部
とは平安時代の都である平安京の正門で、この門 分ほどで山頂に達する。 (羽尾四区・塚田正志) グループのみなさんが披露する際、合いの手と
してこれまでも掻き鳴らすことがあったそうで
す。オーケストラとの合奏も可能になったとの
ことなので、どんな音色がこれから生まれてい
くか楽しみです。琵琶の音色を使った「明徳寺
の歌」もいつか聞いてみたいです。
阿弥陀堂というと、羽尾のものがよく知られ
ていますが、芝原のものも由緒があります。掛
軸は彼岸の中日、年に二回、二日間だけのご開
帳です。お堂の中いっぱいに広がった光景は圧
巻です。冠着山の植生の豊かさも、
これからもっ
と気にしながら登ることにしたいと思います。
羅生門蔓もある花の山
21