秋津町97-101

田辺市秋津町
あ き づ
小学館、日本古典文学全集「万葉集」の地名一覧によると「秋津」には奈良県吉野郡吉野町
み そ の
宮滝から対岸の同町御園にかけての一帯と和歌山県田辺市秋津町と思われるものとが
記されている。いずれとも決定できないが田辺市の「秋津」と思われる歌を五首紹介します。
わ
97 見れど飽かぬ 人国山の 木の葉をば 己が心から なつかしみ思ふ
人国山-田辺市秋津町岩倉山宝満寺の西北の人国山とする説もあるが当否不明。人国に他国の
意を含める。当時は一般によそ者同士の結婚は許されなかった。「木の葉」-恋人、「人国山の木
の葉」-恋してしまった人妻を指す。(7-1305)(柿本朝臣人麿)
いくら見ても見飽きない人国山の木の葉を私は心からなつかしく思う。
(いくら見ても見飽きない他国の人妻を俺は心底恋しく思う)
あき づ
の
かきつはた
いめ
98 常ならぬ 人国山の 秋津野の杜 若 をし 夢に見しかも
常ならぬ-人の枕詞。人の命ははかないものとしてかけた。
「人国山の杜若」-美しい人妻の比喩。
昨夜人国山の辺りの秋津野に咲く美しいかきつばたを夢に見たことよ。(7-1345)(読人不詳)
(俺は尋常ではない。秋津野の美しい人妻の夢を見たことよ)
いはくら
を
の
99 石倉の 小野ゆ秋津に 立ち渡る 雲にしもあれや 時をし待たむ
いわくら
奈良県と和歌山県の二説あるが田辺市秋津町宝満寺の巌倉山とみるのが妥当。
巌倉山は海抜150m位の小高い山でその中腹に禅宗巌倉山「寶満寺」があり境内に歌碑が
建立されている。お寺の裾野(南側)は田辺湾につながる平野である。「石倉の小野」とは巌倉山
付近の野を指している。
雲にしあれやー「雲であるというのかそんなはずではないのに」の意。「や」は疑問的反語。
結婚をためらう男をなじる女の歌。
巌倉山の裾野の秋津野に広がる雲であるというのでしょうか私は雲ではないのですよ、
雲の過ぎる時を待っても意味がないですよ、直ぐプロポーズしてよ (7-1368)(読人不詳)
あき づ
の
か
や
100 秋津野を 人の懸くれば 朝撒きし 君が思ほえて 嘆きは止まず
懸くれば-口にするので 朝撒きし-火葬の灰を撒き散らす習慣を歌う。当時庶民は墓を造らな
いのが普通であった。秋津野に火葬場があったことが推察されるが実際、田辺市秋津町から
火葬墳墓跡や窯跡が発見されている。
秋津野という言葉を口にすると朝、遺骨を撒いたあなたのことが思い出されて嘆きが止まらない。
(7-1405)(読人不詳)
1
きのふ
け
ふ
101 秋津野に 朝居る雲の 失せ行けば 昨日も今日も なき人思ほゆ
雲を火葬の煙に見立てた歌。
秋津野に朝立ちこめていた雲が消えて行くのを見ると昨日も今日も亡くなったあの人の
ことが思われる。(7-1406)(読人不詳)
ふるさと自然公園ひき岩山頂から東方向を撮る。寶満寺が見える。左山端に煙がたちこめていた
06,12,05
2