はがっかりする、実に自分勝手なもの。天も、お医者さんも、学校の 第 10 号 平成 20 年 9 月 先生も、部下も、夫も妻も、信じて任せられたならば、相手のために尽く しきろうと思うはず、要は任せる側が腹をくくれるかどうかでしょう。 行合の空(ゆきあいのそら) ● 夏の暑さと秋の涼しさが入り混じった空を「行合の空」といいます。 仏教のことば 「自業自得」 私たちの生活のなかで使われる言葉ですね。いらいらして道端の石こ 今年の夏はきつかったですね。雷と激しい雨も多く、厳しい暑さをより ろを蹴とばしたらその石が思いも寄らず大きくて、自分の足をひどく 際立たせていたようです。季節の変わる頃は体調を崩しやすいです。十 痛めてしまった、 「いててて、石を蹴とばすんじゃなかった!」こんな 分にご自愛されてください。 とき「それは自業自得さ」ということになります。 ● 「任せる」ということ 夏の話題のひとつに「北京オリンピック」がありましたね。選手たち 自分の思い(意思)が 行ない(行為)となり その報い(結果)を自分が受けること には感動と勇気を与えられました。大きな目標に向かっていくひたむき さ、挫折や障害を乗り越えていく忍耐力、第三者の我々には想像も及ば 今の、自分がある環境は、すべて自分の思い(意思)が求めたこと ない試練があったことでしょう。だから、金メダルの人も、そうでなか の報い(結果)である。ということです。人生を創りあげていくも った人も素晴らしい。代表に選ばれなかった人も素晴らしい。みんな「一 の、それは他の誰でもなく、学校、職場でもなく、ましてや自分の 生懸命に活きる」ことを与えてくれたのですから。 両親でもない、という答えに行き着きます。 野球の星野監督は、終わってからの方がよく騒がれているようです。 メジャーリーグで活躍しているイチロー選手は、小学生のときに 理由は金メダルを取れなかったからなのでしょう。しかし、よく考えて 将来プロ野球の選手になる、と決意し、練習を重ねてついにその夢 みれば我々国民は星野監督に「任せて」送り出したのではありません を叶えました。「プロ野球の選手になる」という意思が自分自身を導 か?勝てなかった原因を分析し、次に活かすことの方が大事なわけで、 いて、報いを得たわけです。 人間性がああだの、こうだのと批判するのは筋違いでないかと思います。 人生が自分の思うようにならないとき、つい、誰かのせい、環境 生活のなかで他人に「任せる」ことはよくあることです。子供の教育 のせいにしてしまいます。「自分の人生は、自分がすべての責任を持 を学校に「任せる」、お医者さんに命を「任せる」、上司が部下に仕事を つ」という考え方に変わらない限り、ずっと他者に依存しながら生き 「任せる」、夫婦が相互いに心を「任せる」、自分の運を天に「任せる」、 ていくことになります。 などなど日常のいたるところで任せたり、任せられたりしているのです。 仏さまのお言葉に、自らを 灯明とせよ という教えがあります。 そのどちらも、相手を信じて任せきっているかどうか、が分かれ道で 他に依るのではない、すべては、「自分」の中にあるのだ、という す。任せるときは過大な期待をし、こちらの望むような結果でないとき ことです。 ●仏さまの教えを実践しましょう 水のような信心 日蓮聖人は「信心の在り方」について、 「火と水」に譬えられて教 えられました。説法を聞いて感動し、燃えるような信心を起こす者 なった○○さんの冥福を祈ります」「明日は遠足だから、晴れてほ しいなあ」など、私たちはいつも何かを祈っていますね。これらの 願い、思いのすべてを「祈り」といいます。 自分の願望、他者への思い、それが「幸福」に至るものであるこ と、そして「感謝」の思いを忘れないことが大切です。 がいる、けれど遠く離れてしまうとせっかくの信心も捨ててしまう。 それよりも、どのような時であっても、けっして怠ることなく、流れ る水のごとく信心を保つ者は尊い、と言われました。 「困ったときの神頼み」のごとく、自分の都合によって祈ったり、 朝、布団のなかで目を覚ました時、頭のてっぺんから足の先まで 意識を向けましょう。今日も無事に朝を迎えることができたのです。 そのことに「ありがとうございます」と感謝の思いを表わしましょ 祈らなかったりする人がいます。願いがかなえば「この神様は御利益 う。誰に?そうですね、偉大なる存在の方へ(天、神仏)、そして、 がある」となり、逆にかなわないと「ほかの神様に頼もう」となる。 自分を産み育ててくれた御両親へ、夫は妻に、妻は夫に、親は子に、 まさに、ご都合主義。このような人は「信心をしている」といいませ 「お陰様で」を伝えましょう。そして、夜寝る前にも同じように「 ん。神仏を冒とくしているのですから。 祈ります」1 日の終わりには、今日出会った人や共に仕事をした人へ お盆には、お寺で法要を務めますし、縁者さんのお宅を廻るお盆 経もあります。そのなかで、毎年欠かさず出席される方、毎年ご自宅 の感謝も念じましょう。これで我が家に仏壇、神棚がなくとも「お 祈り」をすることができます。 に呼んで頂く方がいらっしゃいます。1 年に、1 度お会いすることが できます。ほんとうにありがたいなあ、と思います。このように、地 私たちの「こころ」は自由自在、何を思っても、 道に、絶えることなく続けていくことが「水のような信心」なのです。 何を願ってもよいのです。明るく、楽しく、和やかな 祈りはいつでも どこでも 温かい気持ちになれることを祈りましょう 「我が家には、仏壇も神棚もないので手を合わせることができま 息子のヒロアキは「祈りの名人」です。折につけ「ニンテンドー せん。」という方がいます。また、「朝から晩まで仕事に追われてお DSゲームがほしい」とせがみ続けているものですから、先日つい 線香をあげる時間がない。」と愚痴る方もいます。お寺や神社にお参 に根負けした私は「次の誕生日に買ってあげるよ」と約束しました。 りしたり、仏壇、神棚にお参りすることだけが「信仰」 「信心」であ 決してあきらめない持続力はたいしたものだなあと感心しました。 ると理解している人が多いようです。 「祈る」という行為は、自分の 思いを心のなかで念ずることですから、時間も場所も選びません。 また、宗教儀式だけが「祈り」でもありません。 「今日は仕事が無事 に終わりますように」「素敵な人に出会えますように」「先日、亡く みなさんも「祈りの名人」になりましょう !
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