1969年5月,国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の学術調 査の結果

②中国・台湾は石油の存在が指摘された後の1971年に初めて領有権を主張。
●1969年5月,国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の学術調
査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ,
尖閣諸島に対する注目が集まった。
ECAFE報告書(1969年)(抜粋):石油及び天然ガス賦存の可能性が最も大きいのは台湾の北東の20万k㎡に及ぶ地域
である。・・・台湾と日本との間にある大陸棚は世界で最も豊富な油田の一つとなる可能性が大きい。この地域は,世界でも有数
な大規模な大陸棚の一つであり,また,軍事的,政治的要因ばかりでなく,今回の調査から得られた程度の地質学的知識すら
欠いていることから抗井掘削にとっての未踏地となっている。
●それまで何ら主張を行っていなかった中国・台湾は,1970年代
になって初めて尖閣諸島の「領有権」を主張するようになった。
1970年12月,中国新華社が日本の尖閣諸島の「領有」を批判する記事を掲載,1971年4月,台湾「外交部」スポークスマン談話
1971年6月 台湾「外交部」声明(抜粋)
…同列嶼は台湾省に付属して,中華民国領土の一部分を構成しているものであり,地理位置,地質構造,歴史連携ならびに台
湾省住民の長期にわたる継続的使用の理由に基づき,すでに中華民国と密接につながっており・・・米国が管理を終結したと
きは,中華民国に返還すべきであると述べてきた。
1971年12月 中国外交部声明(抜粋)
・・・この協定の中で,米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは,中国の領土と主
権に対するおおっぴらな侵犯である。・・・釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に,これらの島嶼はすで
に中国の海上防衛区域の中に含まれており,それは琉球,つまり今の沖縄に属するものではなくて,中国の台湾の付属島嶼で
あった。・・・日本政府は中日甲午戦争を通じて,これらの島嶼をかすめとり…「台湾とそのすべての付属島嶼」及び澎湖列島の
割譲という不平等条約-「馬関条約」に調印させた。・・・
1972年3月
日本外務省公式見解にて上記の台湾,中国の独自の主張に反論。
7