私にとっての身近な台湾

奨励賞
私にとっての身近な台湾
みず もと
の
え
水本 乃愛 同志社中学校 2年
日本は台湾を統治していた時代がある。統治時代、台湾は第2の日本となるように日本は
多大な支援をし、経済の発展、農業・鉄道の発達とめざましく発展していった。台湾の年配
特別賞
の方の中には「日本の統治時代は良かった。」と言う人もいる。2011年の東日本大震災のと
き、台湾は、一早く支援をしてくれた。日本と台湾は長い歴史の中で、お互いを支援する関係
になっていたのだ。
私は、昨年の5月に学校の国際交流プログラムで台湾を訪れた。同年代の台湾の子と日本
のアニメ・ドラマなどの話で盛りあがったり、街には日本語教室の看板が多くあったりと、私
が想像していたとおりだった。予想通り、台湾には日本語が少しでも話せる人がたくさんい
た。私が、以前行った国では、日本語の認識が薄く、日本語を話せる人はほんの少しだった。
聞き慣れた日本語が聞けて、街並みも日本と似ており、外国とは思えなかった。いろいろな視
点から見ても台湾は親日的だと思った。しだいに私は台湾に魅了されていった。
帰国してからもその熱は冷めず、台湾に関する本を読んだり、テレビや新聞で台湾のニュー
スがあると熱心に見たりした。すると、私が知らなかった台湾の別の顔が見えてきた。尖閣諸
島の領有権の問題である。尖閣諸島のことに台湾も関わっていることを初めて知った。また、
台湾は安倍首相の靖国神社参拝も批判している。台湾は他の国々と同じように日本と対立し
ている部分もあるのだ。しかし、一方で台湾は多くの日本人を魅了している。その魅力は何だ
ろうか。私は言葉だと思う。台湾には日本統治時代に伝わった日本語が、同じ読み方で同じ
意味の中国語となっているものが多くある。この言葉は同じ中国語圏の中国では通じず、台
湾のみの言葉である。70年も前に台湾で使われていた日本語が、中国語となって現在の台湾
で使われている。この出来事は日本と台湾の歴史的なつながりを表している。そして、日本で
は台湾の歌手が、日本のテレビに出たりしている。テレビに出演している時、彼らは日本語で
話している。日本と台湾は歴史的なつながりだけでなく、人々と生活の中でもつながっている
ことがわかる、両国とも相手の国に影響を与えている。だが、日本人の多くが台湾に関する認
識として、国と国との交流であり自分達の身近な存在としては感じていない。台湾に行ったこ
とのある日本人は、台湾人の親切さ、台湾のすばらしさを知っている。しかし。台湾をよく知ら
ない日本人の多くは、台湾と中国が同じ国だと認識しており、中国に関する暗いニュースが流
れると同時に、台湾のイメージも下がってしまうのである。現に、私も台湾へ行くまでは、中国
と台湾は似ていると思っており、少し悪いイメージをもっていた。だが、行ってみると、行く前
の悪いイメージは消え去り、台湾の虜となった。日本には、台湾に関する情報が近隣の国々と
比べて少ない。もっと、たくさんの人が台湾の人と交流すると、日本での台湾のイメージが変
わるのではないかと私は思う。そして、交流するうえで大切なのは言葉だと思う。世界の共通
語として使われているのは英語だが、やはり相手の母国語で話すと相手も嬉しそうだ。私は
台湾の人たちに日本語を話してもらい安心感を与えてもらった。今度は私が台湾の人たちを
喜ばせる番だ。私は今、ホームステイでお世話になった女の子に中国語を教えてもらってい
る。教えてもらった中国語の中で、私が1番好きな言葉は「再見」だ。意味は「さようなら。」
だが、日本語のように暗い感じではなく、再び見ると書くので明るく感じる。台湾から帰る日、
台湾で仲良くなった女の子たちが「再見!」と言って見送ってくれた。帰国してからもずっとそ
の子たちと連絡をとり合っている。その内の1人とは、その後も台湾と日本で合計2回会った。
その他にも、我が家で台湾人のホームステイの受け入れをして、その子とも仲良くなった。私
は台湾に友達ができたことを誇りに思う。
日本と台湾は歴史・文化・言葉でつながっている。そして、国だけでなく国民も、もっとお互
いのことを知り交流できていけたらいいと思う。もっと多くの日本人と台湾人が交流できるよ
うに、私は日本の友達に台湾の良さを伝えていきたい。そして日台のつながりを強める架け橋
になりたい。