401 自著「ノスタルジア鈴鹿の山」

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山小屋カレー
この山小屋は御在所岳一の谷新道の入り口近くにある。旧名:近鉄御在所山の家。
2006 年当時。ご主人、佐々木正一さん 94 才。妻の春江さん 92 才。山の家を 2 人で切り盛り
する。無口で働き者の正一さん。頑固でおしゃべり自分勝手な春江さん。
老夫婦は半世紀以上もこの山小屋で暮らし続けてきた。2 人のたくましい「老い」の日々を
見ていると、老いることの本質は何かと考えさせる。近くに住む子息の助けも借りず 2 人きり
で小屋と生活を両立させている。 この 2 人の生活を幾年もかけて追い続け、淡々と撮影され
たドキュメンタリードラマ。これが 2006 年 11 月に放映されたCBC制作の「山小屋カレー」
である。
ドラマは 2 人の日々を春や秋に追ったもの。それが見る人の感動を呼んだ。
この年 11 月。アジア太平洋法曹連合賞の最高賞、第一回放送文化大賞を受賞している。
淡々とした暮らし、2 人の会話は噛合わない。妻がカップ麺のカップを出すと、「薬か」
と聞きながら夫は湯を注いでやる。妻がビールのコップをつき出せば、夫は黙ってお付き合い
する。「山小屋カレー」は妻の自信メニュー。お客に遠慮なく手伝わせる。レトルトカレー、
みりん出し汁、ソース、肉やら加えて煮込む。スパイスは妻が仕上げ最後に片栗粉を入れる。
そのウンチクを客に得意そうに話す。夫はそれを嬉しそうに黙って見ている。2 人とも耳が
遠い。 朝、オニギリ作る当番は夫、妻は口を出さない。それが山小屋のきまりだ。
テレビは音を消して画像だけ見るのが妻。
今日は妻がお出かけ。美容院で髪をセットし、
お嬢さんと洋服を新調する。高い買い物。昔はいつもオーダーメイドだった。
「知らんうちに年をとったわ」
。妻が帰宅した音を聞きつけ、夫はそっと出入り口に回り妻の
荷物を受け取る。
秋、「明日はどうなるかわからん」と云いながら
今日もお客さんを迎える。お客を山に送り出す。
いつも 2 人きりの静かな家にに戻る。寝具の天日干
し、部屋内の修理、登山道の補修をする。
ところ
がある場面から夫の正一さんが独りでカレーを作って
いる。 あれほどカレー作りにこだわった妻の春江
さんの姿が台所にない。夫は呟く「人間は、倒れ
るまで働かなあかんでな…」
。
カメラがゆっくりと棚の上にある妻の春江さんの若き日の遺
影を映す。
それからも、夫は黙々と山小屋を守る。いつもまるで変わ
らない。柔らかい緑の中…。このドキュメンタリードラマ
は「老い」をテーマにしながら、老いの悲惨さがない。
ユーモアにあふれており、佐々木さん老夫婦の何気ない
会話に思わず微笑みが沸いてくる。
見終わった後も実にさわやかな空気が胸に残った。
残念ながら 2010 年正一さんは亡くなられた。享年 99 才
いま息子の正巳さんが藤内小屋から転じて守っている。
御在所岳山の家