【別紙】 <翻刻> ランコ行キ 昭和十一年六月七日 后後十時久見発 八日午前十一時頃ランコ着 木戸屋 1)トド 2)取り 鮑取リニ中尾 3)ト私二人 私九日 21.6 4) 、十日 18.4、十一日 12.4、十二日 13.4 十三、十四、十五日トド取りノ箱拵へ 十六日 31.3、十七日 10.2、十八日 24.1、十九日 16.9、二十日 11.7 トド 23 頭モ取リ、全部帰リ、21 日ニ 晩九時頃発、二十二日午前十時頃久見着 十六日ブリニ帰リ ※著者の八幡伊三郎氏は、かなぎ漁師。竹島のアシカ漁業許可者の八幡長四郎・池田幸一・ 橋岡忠重の各氏に雇われて、竹島へ 4 回渡航した。昭和 40(1965)年朝日放送「リャン コ」で竹島でのかなぎ漁を証言した。かなぎ漁の名人と言われた。昭和 11 年当時 41 歳。 1)前田峯太郎。前田芳樹町議の祖父。竹島ではアシカ捕りを行う。昭和 11 年当時 44 歳。 2)アシカのこと。 3)佃祥二郎氏。前田峯太郎氏の弟。かなぎ漁師。昭和 40(1965)年朝日放送「リャンコ」 で「かなぎ漁」を証言。昭和 11 年当時 42 歳。 4)アワビの漁獲量 21 貫 600 匁。以下略。 八 ⑫年五月二十九日晩九時頃発 5) 三十日午前九時頃着 木戸屋、福中 6)ト私行キ 31 日 98.6、六月一日 65.0、二日 35.1、三日 42.5、四日 25.1、五日 15.5、サ 40.0 7) 七日塩ナク 8) 、ア取リ休ミ、八日一時行 16 ヶ取リ自分デ生シ 9)10) 九日 17.2、六月十日 15.1 11)、十一日 10.0、十二日 15.0 生シ 十三日 20.0 生シ、十四日 20.0 生シ、十五日 15.0 渡シ 今回ハ加茂ノ新屋敷 12)、西郷指向へ移転シテ 居リ、トド取リノ都田、久見新屋敷ヲアワビ取リデ 負カストノ事、連れて一緒ニ行キタルガ、私ガ百貫 近クモ取ルニ、六十貫余リ取リ、其後次第に 私ニハカナワクナリ 発動機来り、午後九時ラン(コ)発、アワビ取ハ帰 十六日午前十一時頃久見着、トド取ハ残リ 十九日ブリニ帰リ <註> 5)日誌では、久見を午後 9 時発としている。 6)中川章氏。竹島ではアシカ捕りを行った。昭和 40(1965)年朝日放送「リャンコ」でア シカ猟を証言。昭和 12 年当時 44 歳。 7)サザエ 40 貫匁。以下略。 8)「アワビを塩漬けするための塩がなくなった」という意味。 9)日誌では、「海行 一時、晩ニ海行 鮑 16 ヶ 自分デ生シ 渡サズ」とある。 10)「アワビを塩漬けし干さずに生かした」という意味。アワビが大漁で、アワビを塩漬 けするための塩が 6 月 7 日で枯渇してしまったので、その後、アシカ用の木製の檻や「か んこ船」などを利用して、アワビを生かしておいた。 11)日誌では、13 貫 100 匁とある。 12)加茂在住の門脇軍一氏(当時は西郷に在住)。かなぎ漁師。昭和 12 年当時 40 歳。 ⑬五月十三日午後十一時発、十四日午後一時着 木戸屋、福中、加茂新屋敷、私ト行キ 十五日午後一時着 トド取り時期マデハ、トド取り人夫モ皆中間 ニ和布(カ)リヤ和布干シヲシ、七尺モ八尺 13)モノ 長イ和布デアリ、加茂新屋敷ト私ハ 和布刈、後ノ人夫七人ハ和布干シタリ 二十六日ヨリトド取リト別レテ、今年ハア 14)、サ 15)モ 取リ、西郷ヨリ森山缶詰士 16)モ行キテ居リ 缶詰ニシタリ 二十六日ア 32.4 サ 26.2、二十七日ア 16.8 サ 42.7、三十一日ア 22.7 サ 20.6 (後欠) <註> 13)約 212cm~242cm 14)アワビ 15)サザエ 16)森山秀之助氏。西郷指向で缶詰工場を経営。昭和 13 年当時 26 歳。
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