年前をふり返る んの親類は、救援で市内に 入り、戸石村に帰ってしば らくしてから亡くなったと は 島で被爆した体験を聞きま 害を受けながら被爆者認定 した。 「当時は長崎市じゃ をされていない「被爆体験 なかったので被爆者に認定 者」を訪問し、話を聞きま されなかったという話を聞 した。 「被爆体験者」は、 いて、福島を思い出した」 原爆投下時に爆心から12㌔ と言います。松井さんはゴ 圏内のうち、被爆者援護法 ールデンウイークに福島で で指定されていない地域で 行われた民青のボランティ 被爆したため、被爆者手帳 アに参加し、行政区分によ ではなく「第二種健康診断 って賠償の中身が変わると 受給者証」が交付されま いう被災者の話を聞きまし す。その被害は「被爆によ た。 「 長 崎 で70年 間、 土 地 るトラウマが原因」と規定 され、精神疾患とその合併 で分けて被爆者に寄り添わ ない政策を続けている。行 症についてのみ医療費が支 政の在り方が間違ってい 給されるという不十分なも る」と話します。被爆者援 のです。 護行政の改善が求められて 広島と長崎の両大会に参 加した松井さんは長崎の います。 駄目だと伝えていかないと れました。東京の松井明さ 意志だと思う」と言いま ん(大学1年)は「すごい 7日に行われた「長崎の す。大会中、被爆者の代わ いけない」と話します。 つどい」では、 歳で被爆 委員の谷口稜曄さんが体験 体験を直接聞ける最後の世 井 さ ん。「 僕 た ち は、 被 爆 ふ 代に伝えることが大切」と てもらって、一人でも多く ろ布を下げたように皮膚が ほしい」(2面につづく) ひ 左手は肩から手の先までぼ の人に被爆者の話を聞いて ばらくして起き上がると、 道路に叩きつけられた。し 「来年、広島・長崎を訪れ 烈な爆風で吹き飛ばされて くのは重要」と松井さん。 のような光が目に映り、強 話 し ま す。「 実 際 に 話 を 聞 爆 し ま し た。「 背 後 か ら 虹 郵便配達をしている時に被 ったことを同世代や次の世 爆心地から1・8㌔の所で 代。被爆者の話を聞いて思 を語りました。谷口さんは すみてる 協議会(日本被団協)代表 を目指す学生と出会った松 した日本原水爆被害者団体 りに体験を語る「語り部」 16 (3面) 川内原発1号機の再稼働強行 い い ま す。「 顔 が 真 っ 黒 く 腫れてから亡くなった。救 と い い ま す。「 ま ず 大 き な 援に行ったのが原因だと言 地から10㌔ほど離れた伊王 に分かれ、放射線による被 (10、11面) 「戦争法案」と日本共産党の平和構想 8日に長崎で行われた分 科会「青年のひろば」で、 音がして、そのあと光、熱 われていた」と古木さんは ふり返ります。 話を聞いた京都の松尾教 古新聞が飛んできた」 「 そ 史さんは、これまでは爆心 て、長崎の方から壁の土や 原爆投下当時の状況が被爆 風を感じた。空が暗くなっ 者によって語られました。 「8月9日は今日よりも で被爆したからといって症 いたら血まみれだったが、 手を当てると着ていた物は 自分の血ではなくて友だち 何もなく、ぬるぬると焼け 。 そ の 後、 3 年 7 カ いて助かったが、位置が違 い た 」 「青年のひろば」で、爆心 では、約70人が8グループ 地近くで被爆した人の話を 崎に行っていた人たちが帰 聞くことが多かったといい もっと快晴で、入道雲がも の日の夕方には、仕事で長 くもく出て天気が良かっ って来て、けがをした人や ) 。 他 リヤカーで運ばれてきた人 状が軽いわけじゃない」と ま す。「 爆 心 地 か ら 遠 い 所 た」と 年前をふり返るの を見た」と話します。警防 は 古 木 泰 男 さ ん( の2人の被爆者と共に8日 話します。 た瞬間に気絶した。気が付 垂れ下がっていた。背中に 団の団長をしていた古木さ の血だった。友だちの陰に ただれた皮膚がべっとりつ 木さんは当時、国民学校高 ったら自分が死んでいた」 月の病院生活を過ごし、そ と聞きました。中澤さんは のうち1年9カ月はうつぶ せのまま死のふちをさまよ 意を新たにしました。 「本当は思い出したくない ったといいます。 年を迎 長野の中澤誠人さん(大 し、話したくないと思う。 被爆・終戦から ました。国民学校の校庭で えた今年、被爆・戦争体験 学2年)は長崎の「青年の 体調が万全でない中で世 者の平均年齢が初めて 歳 それでも話してくれるのは 界大会の檀上に立った谷口 行っていた塩作りが一段落 で作業をしていた母親の所 した青年の多くが被爆体験 80 や平和の思いを受け継ぐ決 る作業中に被爆して、光っ 思いを受け継いで核兵器は さんの発言の一部は代読さ ばいしよう 長崎の「青年のひろば」 に行った時に原爆が落ちた ま し た。「 魚 雷 の ね じ を 作 ありがたいし、自分たちも を超えました。大会に参加 ひろば」で被爆体験を聞き ら 約 ㌔離れた戸石村にい 等科2年で原爆投下地点か 被爆体験を語りました。古 約 人の青年を前に自身の 7、8グループに参加した 84 ▲「青年のひろば」の感想 交流で青年と話す古木さん 被爆体験受け継ぐ の「青年のひろば」で、第 やす お 70 して、近くの小高い丘の畑 70 20 (6、7面) 全国高校生平和集会in広島 4~9日にかけて、広島と長崎で原水爆禁止 2015年世界大会が開催されました。被爆・ 終戦 年の節目であるとともに安倍政権による 「戦争法案」が国会で審議される中、参加者の 多くが戦争や平和、核兵器について思いを深め ました。 (文中は一部仮名、増田哲明記者) 70 大 阪 で の 平 和 行 進 で 沿 道 に 呼 び か け た「 え え じ ゃ な い 原水爆禁止 2015年世界大会 広島・長崎 か」コールで会場を盛り上げる大阪の代表団(9日、長崎) がつぺい しつかん 8 31 70 10 被爆者援護の改善を 隔週月曜日発行 2015年 月 日(月) 号 2949 1953年6月16日 第三種郵便物認可 被爆70年 戦争・原爆の悲惨さ受け継ぐ
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