宮沢賢治の「日輪と山」について 宮沢賢治の「日輪と山」 私の論文「山地拠点都市構想」の第1章第6節の町田 宗鳳の語る「山の魅力」におい て、私は、『 宮沢賢治が、山の頂(いただき)に小さな太陽が浮かんだ「日輪と山」と いう不思議な水彩画を残している。山の端(は)に太陽が昇り、そして沈むのを麓から眺 めた、あの構図こそ古代日本人が山に抱いてきた宗教感情を如実に表現しているような気 がする。』と述べたが、それは山越阿弥陀図というものがあるからである。 では、山越阿弥陀図とはどのようなものか? 山越阿弥陀図というのがいくつか現存する が、その内の一つに当麻曼荼羅というのがある。その当麻曼荼羅については中将姫の伝説 というのがあって、折口信夫はその当麻曼荼羅(山越阿弥陀図)を見つめ、読み、中将姫 の伝説と結びつけて思索を重ね、そして遂に、かの有名な「死者の書」を書いたのであ る。 「死者の書」のガイダンスについては私のホームページがあるので、まず次をクリックし て下さい。「死者の書」というものがどういうものかおおよそのことは判るでしょう。こ れを読んだ上で、次のお進み下さい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamagosi.pdf 次の論文「邪馬台国と古代史の最新」の第5章第1節「葛城というところ」の説明で、 「死者の書」について、より詳しく中身の紹介をしたので、是非、その部分を読んでもら いたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai05.pdf
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