「炉と石棒」と「土偶」の持つ呪力

「炉と石棒」と「土偶」の持つ呪力
縄文時代の「炉」というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているよ
うだ。「炉の聖性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文住
居の炉は、灯(あ)かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林達雄
は、その著書「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を焚くこと、火
を燃やし続け ること、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的
があったのではないか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘している。
詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形態はさま
ざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が消えずにあった
のだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達雄も指摘しているところ
だが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的である・・・・、そのことを併せ
て確認 しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、これは正し<祭りのための祭壇>であ
る。
この縄文住居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与(神の働き)が発生するのであ
る。縄文時代のそういう様子は 矢瀬遺跡を見ればよくわかる。 もう一つ、縄文時代に盛んに用いられた「土偶のも持つ呪力」について触れておきたい。
私は、電子書籍「女性礼賛」の補筆で「縄文土偶の持つ呪力」について書いたが、
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/onnahohitu01.pdf
小林達雄はその著書「縄文時代の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で次のように言っ
ているのである。すなわち、
『 縄文時代の土偶は、縄文人の精神世界の中で生み出されたものだ。』
『 土偶は縄文人の神さまではもちろんなく、単なる縄文人の写しでも、ましてやお遊び
や 話し相手の玩具でもなかった。』
『 実は縄文人自身も、土偶の正体、つまりその人相・体格を正確にしっていたわけでは
な かったのである。土偶とは縄文人を取り囲む自然物や、縄文人自らが作り出したさま
ざま な物の中にも、かたちとして見いだすことのできない存在なのであった。それは、
現実の かたちを超え、いわば神にも似た力そのものであり、不可視の精霊のイメージで
あった。 縄文人の頭の中のまだ見ぬイメージが、ややもすれば自己の姿に近づきがちに
なるのをあ えて振り払いながら表現したのが、なんとも曖昧模糊とした最初の土偶では
ないか。つま り、精霊の顔をまともに表現するなど、あまりにも畏れ多いことでもあっ
たのであろう。 当初の土偶の伸張が、5 6cmから10cmどまりであるのは、掌(てのひら)
の中に収 められて祈られたり、願いをかけられたりするものであったせいとも考えられ
る。つま り、土偶はその姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安置したりするもので
はなく、閉 じられた掌の中の闇の中でこそ力を発揮したと考えられる。 また土偶の容姿
はもともと縄文人の目には見えなかったのであるから、その詳細なかたち に本質的な意
味があるのではなかった。それは、あくまでも縄文人の意識の中で確信され た精霊であ
り、それが仮の姿に身をやつして縄文世界に現れたものであった、と理解される。』
・・・と。