道教の「禹歩」と能の「すり足」について

道教の「禹歩」と能の「すり足」について
中国の道教における「禹歩」については、次をご覧頂きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=9ALeMr9uVpk
神獣である龍や獅子の舞いは、長崎や神戸や横浜で中国人が行う道教の祭で見ることがで
きるので、多くの方が知っているかと思う。しかし、この祭りに出て来る不思議な人形を
被った見たこともない面白い「舞」が道教の神に奉納される。不思議な人形が両手を大き
く振ってゆっくり歩く、それだけのことだが、私が面白いと思うのはその歩き方である。
私は、人間の歩き方に特別の興味をもっていて、10種類ほどの歩き方をそれぞれ名前を
つけている。その中で、能に見られる「舞い舞い」というのがあるが、これは自然の
「気」に合わせて足を運ぶ、神と一体になった姿である。その際の重要なポイントは、
「間」の取り方である。その微妙な間をとった歩き方が上記のYouTubeに出て来る。
不思議な人形が両手を大きく振ってゆっくり歩く、その足の運び方にご注目願いたい。誠
に微妙な「間」がある。私達は今年もこのように無事祭ができる。これもあなた様のお蔭
である。これからもあなた様と一体になって生きていくので、引き続きこれからも私達を
慈しみお守りして下さい、と言っているようだ。
また、能の「すり足」の不思議については、内田樹が自分の体験上次のように語ってい
る。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/bunmya04.pdf
能や狂言のあの特殊な歩きから「すり足」については、中国道教の影響ではなく、日本古
来の伝統であるという見解を縄文文化の権威・小林達夫が示している。すなわち、小林達
夫は、『 楽器が自らの音の調べとリズムを主張するとき、人の身体、人の身振りや身の
こ なし方にも干渉し、注文をつける。わが国の芸能においては、スリ足で舞い舞いし
て、なかなか大地からはね跳ぼうとしないのは、楽器の発達が縄文以来、控えめに 終始
してきたことに遠い由来があるのかもしれない。』・・・と言っている。このことについ
ては次をご覧頂きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hohitu02b.pdf