書けと言われて書いてみた− その1 (2009) 「研究室を選ぶ」とはどういう活動なのか? 4 年になってからの卒業研究、そして大学院受験は、ともに「試験」という形にな ってはいます。しかし、研究選びも加え、卒研、大学院受験はすべてについて、本当の中 身は、「研究における就職活動」と言って過言ではありません。理由は、研究室を選ぶこ と、研究テーマを決めることは、研究人生の進路を決めることだからです。特に博士過程 に進みたい人は、自分が研究するテーマ、そしてその成果が出るかによって、自分をアピ ールできる内容や程度が大きく変わります。これらの点はもちろん4年で卒業する人、修 士で修了する人も同じことです。もっと言えば研究に関係した職に就かない場合でも自己 アピール材料という点では状況は同じです。 そういう意味では、博士号取得を見すえた場合の研究室選びは学内にとらわれる必要 も本来はないでしょうし、逆に学内の研究室を選択する場合でも積極的な動機を持つべき です。 もっとも実際には今の制度では4年時の研究室は出身大学内で選ぶことになりますが、 卒業後どこに異動しても(企業等への就職であっても)、4年時に過ごした研究室での成 果は最初の自己アピール材料になります。これはなんとも動かしがたい事実です。早い段 階で成果を持つことが次のアピールにつながり、逆にこそうでないときはハンディを背負 うことにもなりかねません。 このことを考えれば、研究室選びにおいては、個々の状況による差異は多少あっても、 何を基準に選べばいいのか、そして研究室訪問ではどういう質問をするべきか(あるいは したらいけないか)、想像できるでしょう。まずそこの研究室で進められている研究につ いて自分で調べるのは当然のことです。ホームページを見るだけでは不足です。いわゆる 邦文(実験医学、細胞工学、PNEほか)、原著論文などは自分で探して勉強するのは当然 でしょう。「先生の研究室はどのような研究をしているのですか」などと第一声で質問す るのは、その先生が本当に発表していない場合ならともかく、あり得ないことです。質問 者が何も調べていないということ丸出し状態で、その一言で、こいつはだめだなと即断さ れかねません。それでも答えてくれる方は、とても寛容かつ教育的な方か、さもなければ その真反対かも知れません。考えても見て下さい、相手のことを調べる作業は就職活動(面 接準備)でも行うはずで、企業面接で「お宅は何をやっている会社ですか」なんて尋ねる 人はいませんよね。こういった準備は、研究室えらびに限ったことではなく就職活動をは じめとするごくごく一般的な話ではないでしょうか。研究室選び、研究室を調べることも すでに研究の一部、ということはご理解いただけるかと思います。 それに実際自分で調べてみると、一見すごそうに見えても実は単に「地域初」とい うだけかもしれない。逆に地味でも評価されているかもしれない、そういうことだってあ るでしょう。 また研究室の院生など学生を捕まえて彼らから話を聞いてください。教官とは見え 方が違うこともあります。それに同じ研究室でもグループによってテーマが全く違うこと があります。先輩を捕まえて必要な情報を入手する、その程度のコミュニケーション能力 は研究上のみならず、これもまた一般の社会生活に必要でしょう。2チャンネルとかで調 べてもしょうがありません。 まだ、研究室訪問で、何をどう聞けば良いのかについて答えていませんね。これは その回答ではないですが、自分から聞くのではなく、自分が聞かれる内容を想定して、そ の答えを用意する、分からないころはさらに調べる、それでも分からないところを聞けば いいと思います(←その質問で自分も判断されることは前述の通りです)。一般の社会生 活でも同じですが(←この表現くどいですね、すみません、病気かも)、研究室選びも、 研究も、質問を正しく設定することさえできれば、すでに答えは半分手にしたようなもの です。その残りの答えを一緒考えてくれる研究室をぜひ選んで下さい。 ところで修士課程から研究室を変えて、なおかつすぐに企業への就活をする人って、 何をアピールできるのかは知らないんですが、きっと大変なんじゃないのかな?就活も時 間がかかるし、本人も短期間で修論をまとめないといけないし、受け手もきっと指導が大 変だろうし(半年間しか知らない学生の推薦状を書くのも大変かと・・・)、送り手も喪 失感があるんでしょうね。この場合に限らず、途中でラボを変わるのは、本人にも周りに も大変なことです。 書けと言われて書いてみた−− その 2(2009) 私が思う生命科学科の使命 本学科は医学部内にありますが、なぜ医学科から独立した学科として存在するので しょうか。以下は私の勝手な解釈であることを前提としてよんで下さい。 医学研究は大別すると現在苦しんでいる患者を救う臨床研究と将来投資のための基 礎研究から成り立ち、医学研究に携わる人ならばどちらも重要であるとおもっていただけ るはず。 前者の目的に特化したと思われる大学は多くあり(特に私立)、良いか悪いかは さておき本学医学科についても様々な事情その方向に進んでいるように見えます。しかし 後者の目的に特化した大学はありません。 それは、「市民」 なるものには基礎研究の重 要性が分かりにくいからではないでしょうか。 しかし(このしかしはとても大きいしかしです)、ここでは医学研究のことを知 らずしてわかりやすい成果を求める人を市民と呼ばないことにします。選挙投票に行かな い人が民主主義の定義上「市民」と呼べるかどうか、病気のことを知らない人を患者と呼 べるのかという問題と同じです( 「罹患者」が正しいと思われる」)。本来の意味での「市 民」であれば臨床、基礎研究両方の重要性が分かると高い要求を前提とした話ですが、そ れであるなら基礎研究との境界領域研究を進めている生命科学科は「市民」の医学研究に 対する期待を背負っています。というか、それを理解している人のみが市民と定義したい です。 それでは臨床、基礎研究どちらに現在注力しないといけないのかを自分を市民の立 場において考えた場合、我田引水という批判もあるかもしれませんが、基礎研究かと思い ます。もちろん医師不足問題、特に地方でのその問題を知ってはいます。明らかに医師は 尊い職業ですが、その尊さは公務員、八百屋さん、そして社会を動かすすべての人は同じ はずです。たしかに八百屋さんは病気の人を直そうと思っていてもできませんが、医師な らできる可能性があり、そのことは良い野菜を扱うこと以上に重みがあります。 しかし正 しいトレーニングを積めば多くの八百屋さんは医師と同じ能力を持てるはずです。一部両 側に飛び抜けた例外はあるかもしれませんが、基本的に医者は全員名医であるはずです。 八百屋さんだって基本的にみんな優れたプロの八百屋さんであるし、どのタクシーに乗っ てもハズレがないのと同じです。 それらのことはきちんとしたトレーニングが生みだす素 晴らしい結果です。 基礎研究も誰かがやらねばなりません。なぜならどのような組織でもそうですが、 現状重要課題の解決(ここでは臨床のこと)に加え、将来への投資もしなければ継続的な 発展はない、つまり基礎研究なしでは医学の継続的発展はないからです。しかし、一見ネ ガティブなことを言えば、医師養成課程と異なり、同じトレーニングを積んだとしても誰 もが同じような結果を得ることではないのです。 プロスポーツ選手だって全員がイチロー や松坂にはなれないのです(バンド職人や敗戦処理投手も重要ですがここでは議論しませ ん)。 なぜ大学院化しているのか、 その理由もそこにあります。 成功の保証のない分野 でありますが、生命科学科の学生はここに入学を決めた時点でその潜在能力は高いものが あるのです。なぜならば、思い出してみてください、その決断すること自体がすでにサイ エンスだったはずです。過去 20年で輩出した OBの活躍ぶりを見てください。驚くべきも のがあります。このように重要性は高いし、全く保証のないことでもないのです。 さらに言えば、研究ではない、全く新たな分野で活躍している人もいますが、全員 「何とかなっている」以上の大活躍です。これは研究の過程で養った問題解決能力、問題 設定能力の賜物であると信じます。研究ではない部分にも生命科学科の底力がにじみ出て いると思います。生命科学科で基礎研究に携わらなければ良かった、という人はいないの ではないでしょうか。 ここで医学科について言及します。潜在的な研究能力の高さは、医学科に入学した 人であってもそのような力が本来あったはずで、実際全国には多くの医学科出身の基礎研 究者がおられるわけです。本学医学科にもすばらしい基礎研究をされている方が多くおら れますが、もっと増えても良いかと思います。本来なら一部が基礎研究を行うために生命 科学科に来るような、そんな医学科であってほしいと思っています。 現在、生命科学科の卒研で生命科学科、機能再生で過ごすのは半分くらいで、残り は医学科に出ます。当たっていようがはずれていようが僕には僕の考えがあるように、そ の人にはその人の動かしがたい考え方があるので、それは合うところに行けばいいことで す。医学科に行ってもそれが本当に良い経験になればそれで良いです。もっとも医学科に 編入し医師になりたいという人については、その方の気持ちが申し訳ないですが(本心は 少しも申し訳ないとも思っていませんが)全く理解できないでいます。ここから先は、失 言になるので、失言を聞きたい人は来てください。一言言うなら、生命科学科の君らなら NASAの宇宙飛行士と地上に残っている側(開発研究員)とではどちらが長い時間をその ことに費やしているのか分かるはずです。 この流れで言えば、ここは生命科学科の他の先生と意見が異なるかも知れませんが、 卒業後はその人にためになるならどこか外部の、別の教室に行っても良いと思います。 むしろ場合によってはそのために一緒に考えてあげることも必要だと思っています。 書けと言われて書いてみた−− その3(2009) ゲノム医工学で過ごすことについて その2を受けての話しです。ゲノム医工学でなければ生命科学科でなければ、そ して可能であるなら自分でなければできない研究を目指しますと言いたいところなのです が、実際には、1)今必要で、2)今なら自分が一番になれること、3)他人からもなる ほどそういうことだったのかということが分かってもらえる、研究を進めています。古典 的な分子細胞生物学、生化学で育ってきたので、どうしても手にした分子や実験系に引き ずられます。でも、そこそこ当たりそうなところを感知することはできています。目的を 修正しながら進めることもします。だって、ねらったところではなく、横や後ろに獲物が いることが多いし、ねらったものを得たとして、それが実際に大物であるということは、 能力不足のせいかなかったですから。 じゃあどのような卒検を過ごすのかということですが、卒業後は研究を続けるに しろ一人歩きすることになるわけで、そのための拠り所、備えが必要です。これについて すべてをたった一年の準備できるわけではないのは明白です。しかし、たった一つかも知 れないけれど、どこでも通用する拠り所があるのも真実です。そういうことを認識できた のは博士課程時代でしたが、残念ながらこのことを表現する言葉を持ち合わせていないの ですが、強いて言えば自分で獲物を捕りに行く方法と言うことになるでしょうか。それだ けは、研究を通して伝えていかなければと思います。そういう意味では、そのことを伝え ることができるのは何も研究に限ったことではないのですが、僕らには研究を通じてしか 方法はない。 実際に進めている研究は別に記したし、そのことを調べることも研究のはずな ので割愛します。学生には早期に成果を出すことともに(早い段階で成功体験するという のは大切です)、 研究を進める方法を学んでほしいと思っています。 ゲノム医工学のス タッフはイチローや松坂クラスではありません。 しかし一軍の試合に出場しています。 死 球だろうとバンドヒットだろうと塁に出ます。たまには二塁打くらい打ちます。現在のイ チローを指導する能力はありませんが、高校一年生のイチローなら預かってプロの世界に 送り出すことはできると思っています。ゲノム医工のスタッフを超えられると思ったら、 次の別の世界に進んでくれれば良いだけの話で、その選択もまた研究の一部です。 「市民」のはなしに戻りますが、真の市民の期待を背負っている私たちは常に真の 市民側から市民になりきれないあちら側に向けてメッセージを発信して啓蒙したいと思っ ています。 研究で社会も変えられるとすら思っています。 イチローは自分の打率のこと だけを考えてヒットを目指しているのではなく、 あるメッセージを発信しているのだと思 います。 そのメッセージの内容についてはいろいろな受け取り方はあるかと思います が・・・。 (ここまで書いて思ったのですが、たとえ話、しかも野球のたとえ話ばっかりですね。 いかに表現を持ち合わせていないかを恥じるのみ)。 書けと言われて書いてみた− その4 (2009) 謝恩会について これはその1を受けてのはなしですが、僕は謝恩会に一度も出たことがありません。 今後も出ないと思います。毎年誤解を受けないよう説明するのが大変なので書き留めます。 その1で卒研の実体は試験ではないと書いたものの、やはり教官側からすれば試験に なるわけです。試験と言うことであれば、採点は教官が行い、最終的に合格は年度末の教 育委員会で決まります。もっとも実際に落ちた人を知りませんが。 一方準備が大変なこともあって 4年生の方では 5月くらいには準備を始めて、夏に は教官の方に案内状を送ったり、アルバムに寄せるコメント執筆依頼が来たりします。ど うも僕個人はこの「5月くらいには準備を始める」、ここに引っかかってしまうのです。 「まだ合格の決まっていない時から、お互いに合格を前提としたことをして良いのか」、 とか思ってしまうのです。お互いに卒研の価値をおとしめ合う行為に見えてしまうのです。 僕も大学受験の時、それなりに苦労し、それ以来「試験」「検定」という言葉が恐 怖です。謝恩会の準備って、大学受験生に例えれば、志願票を書いた時点ですでに合格の 祝賀会の準備をするようなもので、「試験」ということばに恐怖を感じる僕にはなじめな いのです。夏の時点で出欠回答するのは、すでにお互い合格を前提とした行為に見えてし まうのです。考え過ぎでしょうか?(あらためて読み直したところ、一応そう言ってるだ けで、本人はそうとも思っていないようだ) その昔自分の卒研の時にはお世話になった先生を同教室の同期と一緒にお金を出し 合って、食事に招待させていただき(勘定の時、実際には払っていただいたのですが・・・)、 花束を渡しました。準備は直前です。3月に入ってできる範囲でも良いのではないでしょう か。実際当時も学科全体でなんかやらなかったし、やろうという考えすらきっと多くの同 期の人にはなかったように思うけれども、それでも学科内の関係は密接かつ良好でした。 他の先生にはあるいは学生の方にもそれぞれお考えがあるので、尊重しますが、毎 年あまり悩みたくないので、僕には招待状を送らないでください。もちろん実際には毎年 卒検合格の時には祝福していることを申し添えます。 書けと言われて書いてみた− その5 (2009) 地方で研究するということ これは山田科学財団への寄稿した際の文章を元に、学生向けに加筆修正したものであるこ とを申し添えます。しょせん頭は一つなので言ってることは同じですが、文章は違います。 2000年前後の話しです。私は増殖と分化の接点のあり方を知ることで多くの高次生命 現象を理解できるのではないかという思いのもと、その接点に位置するHLH蛋白群の分子 機能の解明を目指していました。この一つを単離した英国John Norton博士の研究室に行 く機会を得ました。 彼は癌研究でヨーロッパでも屈指の拠点であるマンチェスターのパターソン癌研究所 におり、当時はDexter培養で有名なDexterからMAP Kinase カスケードの解明で有名な Nic Jonesに所長が変わったばかりで、京大柳田研ですばらしい業績を残したIain Hagan 、そして今癌研の部長をされている原英二先生が超若いgroup leaderでおられました。日 本ではまだ有名ではなかったベッカムもManchester Unitedにいました(ま、これはどう でも良いことですが)。当時Manchesterは研究都市構想みたいな構想の下、かなり研究に おいてはロンドンに次ぐくらいのメジャーな場所になっていたと思います。ここに行ける ことをとっても楽しみしていました。 ところが、私の渡英が決まってから、そのパターソン癌研究所から、少なくとも著名 とは言えない田舎町コルチェスターにあるエセックス大学へ教授で移ることになりました。 少々とまどい、正直に言えば、周りに他には研究機関がないこんな田舎町に・・・と落胆 しました。結果的には、研究で落胆することはなく有意義な二年であり、それ以外にも今 につながる貴重な経験ができました。今回は研究そのものではなく、現在においても私の 影のテーマである「地方で研究をする」ことのついての思いや、我が国の研究のあり方に ついて思うところを述べます。 英国では、大きな枠組みの中にあるプロジェクトタイプではなく、すそ野を広げ るタイプの研究はむしろ地方大でできる、あるいは期待されているという感触を得たこと 私には重要でした。この点は今も私の拠り所となっており、現在、癌での染色体動態異常 と、人工染色体ベクターを使うゲノム操作技術開発いうピンポイントに研究テーマを絞っ ています。 主張したいのは、すそ野を広げるということとか地方で研究するということは、のん びりすることでは全くなく、そういった貴重な機会を与えられていること、そしてその機 会をいかに有効に活用したのかは、厳しく問われもすると言うことです。英国にはUK University Rankingsという外部評価があり、多くの人が訪れて時間をかけたものでした。 そしてこの評価にそって、あるいはこれを念頭に異動や改革がされていました。もう一点、 これと相応して、機関の長には大きな権限が与えられており、意向が反映されやすい体制 にあるようです。ある学科が丸ごと消えていくのを目の当たりにしたときには驚きました。 日本には実際に機能している外部評価の系があるかと言われれば、よくわかりません。し ばらく前にあったTOP30構想がそれなのかも知れませんし、一応文部科学省の外部評価が ありますが、学生もその中身を知らないし、教員だって知らない場合があるのはUKのとは 大きな違いです。 機関の長だって、日本では権限・決定権があるようには見えません。文化的な違 いもあるし、英国で良いことが日本でも良いかというのはそうでもないので、それはそれ で良いですし、また外部評価系と機関長の強大な権限は二つでセットなので、日本で機関 長の権限がないのは、安全装置として良いのですが。 研究における国民の視点は大切ですし、逆に「国民が評価する」という活動は大切 です。なぜなら国民のレベル以上には科学や教育は(そしておそらく政治、経済、芸術も) 発展しないからです。しかし、国民が簡単に理解できる研究、国民がすぐ納得できる、イ コール良い研究、必要な研究であるどうかは、実際多くの研究者が疑問を持っているはず です。外部評価システムは、国民を啓蒙し、国民と研究者をつなぎ、研究者の活動をより 意味あるものとするために有効だと感じました。外部評価システム、機関長のへの運営権 限、そして国民への啓蒙、これらが英国の科学の歴史を支えてきたのではないでしょうか。 外部評価ではなく、私のマイカレント評価に過ぎませんが、先述のすそ野を広げると いう貴重な機会を与えられていること、そしてその機会をいかに有効に活用したのかは、 と言う点については、生命科学科の先生方は尊敬できる先生ばかりだと思います。教官に よっていろいろな異なるところを向いていて不安だという指摘を生活委員会で学生から受 けたことがありますが、むしろそこがそこも良いことだと思うのです。それだけすそ野が 幅広いということですから。全体が同じ方向を向いている場合のメリットもあるのでそれ を求める人は研究所に行くこともできますし。 今後、地方大がいかにしてテーマ研究を展開し、すそ野を広げるタイプの研究を進め、 次世代のトピックを提供できるかは、日本の研究や教育レベルのバロメーターになるだけ でなく、その将来に直結します。その良い範をこの学科がしめせるかも知れないと思うの です。なお、医学科・保健学科のことはこれから調べようという段階でまだよく知らない ので書けませんでした。 著者遠影 (取らない文責:井上敏昭)
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