紀行文

天覧山・多峯主山・吾妻峡トレッキング紀行
平成 27 年 4 月 19 日 #1 國見昌宏
平成 27 年、2回目の高知学芸高校関東支部トレッキングを 4 月 19 日に実施。
今日は気温 20 度、薄曇り。天候の関係で 1 週間遅らせたため対応できずキャン
セルした人が続出、定刻の 10:30 に飯能駅に集合したのは男性 3 人、女性 1 人
の 4 人。(参加予定の男性 1 名を待つも来ないため 15 分遅れで出発)
飯能駅から商店街を進み飯能銀座・大通りに入る。どことなく懐かしくレト
ロな町並み。大通りの途中に、大きな古民家がある。明治時代に地域一帯の農
家で生産された絹織物、生糸、繭などを購入し外国との取引など全国の絹問屋
に卸す中間取引所で、明治 37 年建築の店蔵絹甚(飯能市指定有形文化財)です。土
蔵造り二階建て、黒漆喰壁、棟飾り・うだつがあり、瓦一枚ごと山甚の屋号入り。
使用されている木材はケヤキの大木と、当時の権勢を彷彿できる。道路反対側
のうなぎ畑屋は飯能市で有名な店と岡村君が言う。急ぎ八坂神社の前を過ぎ市
立図書館と鬼子母神前の信号を渡り北上、観音寺入り口、飯能幼稚園近くでは
桜の花が僅かに残り、余花が舞い散っている。多くの人で賑わう中央公園桜祭
り会場を横目に、鉄腕アトム像の横から道路を横断し天覧山登山口に到着。天
覧山の謂れを書いた案内板の横で小休止、上衣を脱ぎトレッキング準備。
いよいよトレッキング開始、と言っても天覧山は標高 195m、20 分くらいで
登れる市民の散歩コースの一部、お年寄りや子供連れの若い夫婦と行き交う。
それでも忠霊塔を過ぎた坂は少しきつい。周りは若葉が芽吹き始めたばかり、
山躑躅の赤い花が開き始めている。思わず深呼吸。程なく天覧山中段の御駒繫
松(明治 16 年 4 月 18 日、山麓での近衛兵春季対抗演習視察のため明治天皇が統裁点・天覧
山に登る途中で愛馬・金華山号を繋いだ松の 2 代目)のベンチに到着、休憩時を利用し
て糖分と水分補給。
吹き渡る
卯月の風に
咲く躑躅
休憩後、登山道を少し登ると三叉路、南回りは五代将軍綱吉の生母・桂昌院が
寄進した十六羅漢を巡る岩登りコース、北回りはゆったりした樹林を巡るコー
ス、道の左右あちこちに山スミレが可憐な花を咲かせている。二つのコースに
分かれ夫々天覧山頂上を目指す。程なく明治 44 年行幸記念碑がある展望台に到
着。展望台から眼下を見下ろすと飯能の家並みや庭に咲く花まどが箱庭のよう
に見える。南東には日高市・狭山市越しに都内のビル群が広がり、西は遠くに秩
父連山の峰々が霞む。展望台には幾組もの老若男女が眼下の市街や萌える若葉
など春景色を愉しんでいる。時々雨粒を感じるが、雨にはならない。
1
若葉萌え
霞む武蔵や
天覧山
天覧山頂上裏手の休憩所を左に見て多峯主(とうのす)山に向かう。ゆったりし
た起伏の少ない登山道、山苺があちこちで白い花を咲かせている。途中の道路
脇、所々に花壇がありムスカリなどが咲いている。太郎坊(標高 200m)で小休止、
小鳥にはまだ少し寒いのか囀りは聞こえない。暫らく進むと登山道は三叉路に、
左は雨乞池経由の女坂、右は鎖場経由の男坂、先頭の久常さんは躊躇なく男坂
を進み、男性共は黙って後に続く。鎖場の急坂を喘ぎ喘ぎ登り、やっと多峯主
山の頂上(経文を書いた 12,000 個の石を岩穴に収めた経塚、1765 年と記入あり)に到着。
頂上をバックに高校生と若い男性外人教師が写真を撮っている。西武鉄道イベ
ント担当に出会う。二つあるベンチは先行組が使用中、久常さんがにこやかに
交渉すると一組が快く譲ってくれ、ここで昼食。さすが女性は強い。久常さん
が持参した高知のトマト、オレンジピール、牛肉の煮付けをご馳走になる。彼
女のお嬢さんが自由の森学園の 1 期生とのこと、岡村君が西側の谷を越えた丘
陵の中腹に見える白い建物、あれがその学園と指を差す。隣のベンチでは一人
の初老のオジさんが缶酎ハイを愉しんでいる。昼食を終わって山菫や躑躅を眺
めていると中年婦人が高麗、日和田山はどこかと尋ねる。谷を越えた東の山の
中腹上に見える金比羅神社を示し、その上が日和田山、下の集落が高麗と教え
ると、更に細かい地名を言う。地元の人らしく、細部までは対応できない。
多峯主の 奥の武蔵や 山菫
多峯主山を後に御嶽八幡神社に向かう。ゆるやか杉や檜林の中の下り道、林
を過ぎると西側が明るくなり、お社が見えてくる。神前で二礼二拍一礼のお参
り。義経の母、常盤御前の伝説が残る常盤平に行く道でなく、きつい石段を下
ると御嶽八幡神社の下、50m程の大岩の広場。牛頭天王の祠、岩穴の中に安置
された仏像、岩盤に張られた不動明王の石版など祈りの場。岩場でのロックク
ライム禁止の標識がある。広場の周りは山苺が沢山の白い花をつけている。
絶壁の 下の不動や 花苺
大岩の広場入り口の大楠を過ぎると九十九折れの下り道。所々に休憩所があ
り明るく伐採・整備されている。小さな鳥居を潜ると下り坂の終わり。小川の横
の田舎道、ホトケノザやオオイヌノフグリなどが咲いている。更に下って御嶽
入の大鳥居を潜り旧道を右に進む。車道に沿って上り大東幼稚園前を経て、永
田大杉バス停を左折、スーパー横の小道・人家の間を通って吾妻峡に向かう。人
家の前の八重桜が満開、角を廻ると荒瀧不動明王、坂を下ると名栗川の吾妻峡
に到着。
2
吾妻峡、円形の飛び石、ドレミフア橋を渡って名栗川の河川沿い 1km ほどの
トレイルを下る。所々河川の砂利の上を歩く。清冽な渓流に響くせせらぎの音
が心地よい。宮君が、「秋は渓流両岸のモミジが素晴しい」と話すと、久常さ
んが「その頃、また来たい」と言う。浅瀬を覗くとカゲロウの幼虫が動いてい
るが、子魚は見えない。赤岩を過ぎると河岸に可愛い白い花ニリンソウが群生
し、所々にその 3 倍ほどの大きな白いイチリンソウが咲いている。「二人はニ
リンソウ・・・♪」と演歌の一節を口ずさもうと思ったところ、山吹が一杯に一重
の花をつけているのを見つけた久常さんが「みのひとつだになきぞかなしき」
と言う。後拾遺集にある醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠んだ和歌、太田道
灌が鷹狩りに出掛けて俄雨に遭い、蓑を借りようとした際に少女が差し出した
山吹の花の故事「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞか
なしき」の下の句。さすが学芸出身者は教養が高い。兎岩を過ぎると汽車渕、
鎖を伝って岩を渡る。中平河原では子供連れ二家族の若い夫婦がテントを張っ
てバーベキューを愉しんでいる。中平河原を登って吾妻峡を終わり休憩。
ドレミフアの 橋を渡れば ニリンソウ
渓流の 瀬音やさしく 山吹に
車道に出て、大沢橋経由で民家の前を通る。道の向い側、トウの経った蕗の
薹の隣で 2 本の色違いの八重桜が満開、宮君がボテッとした女性のようだと言
うので、その表現は女性に失礼との声が出る。幾つもの水槽にメダカを飼って
いる家がある。家の隣の僅かな畑を耕し、葱を植えている夫婦がいる。庭の木々
は色々な花を咲かせている。大河原を下り名栗川にかかる岩根橋を渡って右折、
名栗川沿いの小道を下り飯能河原に向かう。飯能河原では大勢の若者がゲーム
やバーベキューを愉しんでいる。途中の澄んだ広い川の中で 7~8 匹の真鯉がゆ
っくり泳いでいる、自然を大事にする人々に守られていることが分かる。
清流に 群れる真鯉や 余花の下
飯能駅で急ぎ汗のシャツを着替え池袋行きの急行に乗る。池袋では、いつも
の清龍で反省会、事故なく楽しくトレッキングを終えたことに感謝し、ジョッ
キで乾杯。赤ワインのデキャンタ、鰹の刺身、鰯の姿造り、ホッキ貝の焼き物、
シラス酢、野菜の天婦羅、野菜サラダ、串焼き鳥などを肴に将来のトレッキン
グへ思いを馳せる。久常さんがニュージランドやピレネー山脈など世界を股に
掛けて歩いたトレッキングや 4 ヶ月近くの船旅の想い出話しをすると、宮君が
しきりに久常さんに他の女性トレッカーを連れてきて欲しいと言う。
トレックは
3
夢壮大に
ピレネーへ
参加者所見
宮 悠司君(#1-#3 チームリーダー)
(1)這ってでも・・・
「這ってでも参加する」と言っていた男が・・・1期生の国見さんが、ほんとに
這ってでも飯能駅にやってきました・・・。18日(土)夕方(米国から)帰国し
たばっかりだっちゅうのに!!!。時差のせいでほんの2-3時間しか寝て
ないはずなのに・・・なんちゅう無茶をする男や!。しかも古希を過ぎていると
いうのに・・・。小生・学芸1期生で入学し、あと数ヶ月で卒業という時に人生
躓いて追加の授業料を払い3期生で卒業しましたが、当時の同僚・国見がこ
んなにこじゃんとヤバイことをするタイプには見えませなんだ!
(2)心配いらんぜよ・・・が起こっちゃいました。
そこへ颯爽と現れたのが5期生の久常節子さん、フローレンス・ナイチンゲ
ール記章を受章された前・日本看護協会会長である。トレック途中で国見さん
が引っくり返っても これ以上はおられない CAREGIVER が現れたのでもう一人
の1期生・岡村さんと大安心。
(3)1週間延期して参加人数が4人になりました(岡村、国見、久常、宮)。
学芸トレックメンバーの超多忙振りは、延期すると先約ありで人数が半減す
ることで証明されます。 旅行に観劇に、皆さんよう気張っちょるじゃいか!
ところが初参加の久常さんの TALK が明るく、前向きで GLOBAL ときたもんだ
から百人力の彼女に引き摺られ思わず足取りも軽く・・・。
(4)久し振りの行楽日和
いつものルートを変えて大通り経由で登山口を目指すと西武鉄道のイベント
等で相当の人出にて一緒に江戸、明治時代の文化財を見学する機会を得た。
(5)天覧山(197M)
大勢の人が頂上からの展望を楽しんでいた。頂上からまっすぐ多峰主山(と
うのすやま)を目指すとかなり急で長い下り道なので東屋から右に迂回して
ゆるやかなルートを選んだ。
(6)多峰主山(271M)
ゆるやかなUP-DOWNを楽しみながら あと 200Mで多峰主山への頂上と
いう最後の坂道を登り始めたところでやや大き目の雨粒がポツリポツリとき
た。曇りのち晴れの予報に対し西からの雨がスピードを速めたか!と雨具の
ことが脳裏にちらついたが幸いそれっきりだった。
登り切って頂上を見渡すと先きにシャキシャキ登った久常さんが数少ないテ
ーブルを確保してくれていた、ラッキー!やることが早いね!
当初の計画では 多峰主山から折り返しで天覧の方へ引き返す予定だったが、
国見さんが来月友人達と反対側の「御岳八幡神社」経由「名栗川」方面に下
4
るルートを計画していることが判明、では名栗川の「吾妻峡」を実地検分し
ようとルート変更した。小人数だと柔軟に対応可。 この下り道は飯能市が伐
採開発したせいか、明るいお薦めのトレックロードとなっている。
道中見つけた花の名前をひとつひとつ教えてくれる久常さん、現役の頃こん
なアシストが欲しかったなあ。海外から来日する顧客や代理店から日本の草
花や魚の名前を聞かれたが殆ど回答できず勉強不足を痛感した・・・「久常
さん、なんでこんなに知っちゅうがですか?」「若い頃勉強した信州の環境
が良かったがです。」(これで医学博士号を取得と聞いてもっとびっくり!!!)
(7)名栗川の吾妻峡
大東幼稚園の先を左折して名栗川側に下りると 清冽な流れの中にある手作
りの岩を連ねた「飛び石ブリッジ」を渡って対岸に達する。ここから下流に
向かって河川 WALKINGCOURSE が造成され、1KM ちょっとの川沿いトレックを
楽しむことが可能になっている。紅葉の頃には飛び石の途中で止まり上流に
向かうと素晴らしい「吾妻峡・紅葉 SHOTS」が臨める。
(8)清龍談義
いつもの美味しくて安い料理と反省会を楽しみました。メンバーの一人であ
る岡村さんは、実は飯能の近くの「仏子駅」の近くにお住まいです!電車を
下りずに池袋まで御付き合いして下さる凄い人です。曰く、「清龍」の話題
が面白く続く限り、池袋への通勤を継続する!!!
#1岡村圭祐君
國見さん、宮さん、久常さん、昨日(4月19日(日))はお世話になり、あり
がとうございました。天候も良く、快適な一日でした。いつもはまっすぐ山に
入るところ、今回は飯能大通りの飯能市指定有形文化財「店蔵絹甚」(歴史的
建造物)を見学し、しばし、明治のころの飯能の絹商いの賑わいに思いを馳せ
ました。天覧山では、つつじが咲き始め、きれいでしたし、山頂では大勢の人
が眺望を楽しんでいました。宮リーダーのお勧めで、今回は天覧山から多峰主
山へ、なだらかな道の方を登り、脚への負担少なく、助かりました。
多峰主山への途中や山頂で、単独行動の人に遭遇しましたが、宮さんの話では
地元の人は散歩がてらに来るところだそうです。
帰路は、新緑に覆われた吾妻峡の清流沿いを歩き、無事飯能駅に到着しました。
池袋の清龍では、飲んで食べて話して、大変楽しいひとときでした。
また、次の機会に、お互い元気でお会いしましょう。
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