概要 「エディプス的な領域」からの逃走の試みとその挫折 ―出口から始まる物語 山尾 涼 カフカ (Franz Kafka, 1883-1924) の作品である『巣穴』(„Der Bau“, 1923) は未完の断 片であり、主人公は一匹の動物である。物語は主体としての獣の視点を通して展開される 一人 称 小 説で あ り 、獣 の 内 的独 白 に よっ て 構 成 され る 。 ドゥ ル ー ズ/ ガタ リ (Gilles Deleuze/Félix Guattari) は、 『マイナー文学のために』 („Kafka. Für eine kleine Literatur”, 1976) において、父‐母‐子の「抑圧的な三角形」が家庭の枠を越えて様々な場面にまで 肥大し、見いだしうるのだと指摘した。そのような三角形の構造が見出されうるような領 域をドゥルーズ/ガタリは、「エディプス的な領域」とよぶ。カフカは『巣穴』において主 人公を獣に設定することにより、 「エディプス的な領域」から逃走の線を引くことの可能性 を試したのではないだろうか。 獣の世界観には、地上である「外の世界」と、外の世界とは「別の世界」である地下の 巣穴の世界との 2 つの世界が見出される。だが獣はその別の世界にある巣穴にこだわり続 け、獣と巣穴は主体と客体の境を喪失するほどに結びつく。獣の内面は、本来外部にある はずの巣穴を取り込み、拡大していくのである。 獣は単なる雑音に過ぎない音を、超越的な敵の忍び寄る音だと判断する。獣に強い不安 を与えるこの音は、『父への手紙』(„Brief an den Vater“, 1919) における、父親の声が内 面化されたものであるといえる。審級とは非現前な状態においても圧力を発揮できるもの であり、音へと代入された他者の像は、獣を裁き、破滅の判決を下す獣自身の審級なので ある。こうして獣は母体としての巣穴、獣、音に象徴される父親=外敵というエディプス の三角形による「再領域化」に組み込まれてしまい、 「エディプス的な領域」からの逃走は 打ち砕かれる。
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