NOOS LECTURE 2014 Vol.03 資料

NOOS LECTURE 2014
The Noosology and the Philosophy of Gilles Deleuze
1
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——ヌースレクチャー2014 : 第3回資料 2015/01/18(東京)02/14(福岡)
ドゥルーズの思考の足跡(初期)̶̶ヒュームとベルクソン
主体性の哲学であるヘーゲル哲学に対抗するために、脱主体性の哲学の骨格を練る
●前期 哲学史家としてのドゥルーズ
ドゥルーズは『経験論と主体性』(1952年) というヒューム論を共著で出版した後、『 ベルクソンにお
ける差異の概念』(1956年)、『ニーチェと哲学』(1962年)、『ベルクソンの哲学』(1965年)、『ニ
ーチェ』(1965年)、『スピノザと表現の問題』(1968年) 、『スピノザ』(1970年)というように、ベ
ルクソン、ニーチェ、スピノザのモノグラフを書き、自分自身のオリジナルの哲学を展開するというより、
哲学史家としてスタートを切る。ドゥルーズはこれらの哲学者の研究を進めて行くに当たって、自分自身の
哲学を構築していくための明確なビジョンを持っていたと考えられる。そのビジョンというのがヘーゲル哲
学に対抗する哲学をどのように作り上げていくか、というものである。ドゥルーズが何よりも嫌うのは主体
性であった。ドゥルーズはデカルト、カント、ヘーゲルという近代哲学の主流はすべて主体性の哲学であっ
たと考え、それを乗り越えるための生の哲学を作り上げることを目指した。
●ヒューム(知覚の束としての主体/わたしがまずあって経験が成立するのではないということ)
18世紀、イギリスの哲学者。経験論の哲学者として有名。ヒュームの経験論は理性や主体を経験のプロセ
スに解体し、経験の束からいかにして主体が形成されていくのかを問う。理性が先行してしまうと主体は情
念を否定しがちだが、情念を否定するのではなく、情念が本来持っている傾向を拡張していこうという肯定
的なエチカがヒュームの経験論には含まれている。ドゥルーズはここにヒュームの先駆性を見る。主体は経
験の中で形成されたものでありながら経験を認識するために経験を超えている。カントは経験には左右され
ない先験的真理がある(超越論的領域)としてヒュームに対抗しデカルトとの調停をはかった。超越論的経
験主義としてのドゥルーズの経験主義的側面はヒュームから継承している。
●ベルクソン(差異/潜在的なものとしての持続)̶̶理論的基盤
20世紀、フランスの哲学者。意識に直接与えられたものとして純粋持続の概念を最重要視し、そこに同一
性に対する本性上の差異を見てとった。
・ベルクソンにとって本性上の差異とは存在を根拠づける概念でもあった。
・持続は物質と知覚の次元に対して決定的な質的差異持っている。ここに本性上の差異がある。「物質とは
記憶である」→イマージュ。
・ベルクソンは本性上の差異をスコラ哲学の内在因・自己原因と関連させて考えた。ドゥルーズはここに
ヘーゲル哲学(外在因)への対抗を見る。空間的なもの(ヘーゲル)VS時間的なもの(ベルクソン)。
・ベルクソン哲学では差異=持続とは潜在的なものとされる。
・生命(実体)とは持続の中に実現されている差異化の過程として考えられる(エラン・ヴィタル)。
・ドゥルーズはこのベルクソンの「潜在的なもの」に現象学から仮借した「超越論的なもの」と精神分析か
ら仮借した「無意識=エス」を重ね合わせて主体の成り立ちについて独自の分析を重ねていく。
・主体はこの超越論的構成による経験によって生み出されていくが、「超越論的なもの」の経験自体は存在
の外部であり、そこにはもはやかつての主体は存在しておらず、その経験は非人称の主体による経験と見な
した。→超越論的経験論。
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The Noosology and the Philosophy of Gilles Deleuze
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——ヌースレクチャー2014 : 第3回資料 2015/01/18(東京)02/14(福岡)
ニーチェとスピノザ̶̶肯定的論理から肯定的倫理に向けて
肯定的世界の開示に向けての土台となるもの
●ニーチェ(否定的なものの極限に肯定的なものが現れる)̶̶倫理的基盤
19世紀、ドイツの哲学者。主体と客体は超越的に与えられそこに意識を発生させている。人間の意識
の発生自体が反動的な力とともにあり、それは生成に対して倒錯している。この倒錯を力への意思へと
向けなくてはならない。徹底したヘーゲル批判を行なう。
・意識は力への意思から生じる反動から生じる。意識は力への意思がみずからを拡張するための手段に
すぎない。
・人間の意識は反動的な力とともにある。
・能動的=肯定的なものか反動的=否定的なものか――ニーチェが問うのはこの差異であるということ。
・哲学の中に意味と価値の概念を導入すること。ニーチェのこの価値転換の視点は特異性を浮上させ、
主体を非人称的主体の場へと開くことにある(トリノでの発狂事件)。
・永遠回帰――否定的なものの極限に現れる。第三の時間の総合。現在が未来を過去から創造する。
ニーチェ同様、ドゥルーズは自己意識を存在論的病の形態として見る。つまり、それ自身のなかに退
行してしまった力の反動=否定性として生じた受動的ニヒリズムの産物であると考えるということであ
る。ドゥルーズが探求しているのは、この力の根源的反転性、すなわち、肯定に基づいた産出の外部性
である。ドゥルーズにとってベルクソンから吸収した潜在的なものに関する論理的な問題が、ニーチェ
を通して意味と価値の問題として捉え直され、反ヘーゲル的な思考線を強化させていく。「それは何か
=一般性」から「それは誰か=特異性」の位相へ。
●スピノザ(存在の一義性と特異性のつながり)̶̶実践的基盤
17世紀、オランダの哲学者。両親はポルトガルからオランダへ移民したマラーノ。スピノザ自身は反
ユダヤ教的であり、かつ反キリスト教的でもあった。スピノザの汎神論とは唯一の実体が神であり、被
造物はそれが表現されたものだと見なす。ドゥルーズはこのスピノザの考え方を超越的なものの不在と
考え、無神論かつ唯物論であるとも考えた(観念が上位に立つという視点の排除)。すべては自然の中
に十全に存在するという汎神論。観念の哲学から自然哲学へと向かうための土台に据える。
・すべてが神という唯一の実体の様態である………存在の一義性(汎神論的一元論)
・すべての個体は唯一(特異性)という意味でそれぞれが平等であるということ。
・身体と精神の呼応関係を説く。身体(物質)と精神は同一の実体の二つの属性にすぎない。
・モラルとエチカの違いを区別し、一般化と特異化の関係にみる。
・道徳――超越的な基準によって善悪を決定する言表の集まり。
・倫理――身体による触発によって、より強く、広い一つの内在面を構築していく働き。
・第三種の直観により十全なる観念が生まれる(直観的知性)→概念と対象との一致(イデア論)。
・すべてが内在であるということ。
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ヘーゲルの弁証法とドゥルーズの反-弁証法の位置関係
●ケイブコンパスで示すヘーゲル的なものとドゥルーズ的なもの
先手
ヒトの思形
Ω9
存在
12
否定的なものの消滅
13
Ω
ベルクソン
潜在的なもの
ヘーゲル
現働的なもの 差異
14
否定的なものの世界
7
9
11
受動的なものが先行して流動する世界
先手
後手
後手
スピノザ
特異性・一義性
10
ヒトの思形
先手
Ω
Ω10
生成
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●偶数系先手としての人間の意識の内面は次元観察子ではどう示されるか
ニーチェ
超人・永遠回帰
ヒトの感性
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■大系観察子Ωと次元観察子ψの関係性
ドゥルーズの反-弁証法の領域
ヘーゲルの弁証法の領域
8
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4
ケイブコンパスに見るドゥルーズのいう
「差異」
10
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12
Ω9
Ω*11
存在
前半
14
8
13
Ω
7
9
ヒトの感性
Ω10
生成(潜在化)
11
後手
顕在化
人間の定質
肯定的なものの回帰
4
6
人間の思形
9
2
ψ
人間の内面
●ドゥルーズ哲学の射程(P.ホルワード『創造の哲学』より)
8
7
人間の感性
3
1
12
10
人間の外面
5*
5
3*
7*
1*
8*
ψ*
他者領域
2*
6*
11
4*
人間の性質
1. 存在とは創造性(生成)である。
2. 差異化とは決して否定ではなく創造であり、差異は決して否定的ではなく本質的に肯定的かつ創造的であ
る。
3. われわれの存在の最も創造的な媒体は、抽象的で直接的(無媒介的)な、または脱物質化された思考の形
●次元観察子ψの発展を重層的な構造としてみる
●偶数系観察子の先手運動と否定的なものの弁証法
式である。P.12
4. 人間をそれ固有の平面ないし水準から解放して、創造行為の運動全体に適した一人の創造者たらしめる機
ヌーソロジーのいうNOSとNOOSはドゥルーズのい
ψ*1
顕在化
顕在化(潜在化においては死)
構を展開することである。P.14
5. 問題はあらゆる個別の被造物がみずからの溶解にその方向性を展開することを、購いとして履行すること
である。P.15
ドゥルーズが目指していたものはベルクソンが潜在的なものとして直観していた差異を救出することだっ
た。差異の救出は人間の意識が潜在的なものの認識を達成し、それを新たなる現働性と見なすことによって
可能になる。差異はヘーゲル的な同一性の中では同一性に従属したものとして現れるが、潜在的なものの浮
いると考えられる。その意味で、ヘーゲルの否定的
欲望の他者化
中性質後半
創造を引き起こしたところの認識)を直接つかむということを意味する。
自我の完成
他者構造
思形の観察
中性質前半
なものの弁証法は次元観察子の偶数系先手の運動に
対応づけることができる。ヘーゲルにおいては肯定
的なものは常にアンチテーゼとして位置づけられ、
感性の観察
結局、否定的なもののもとに回収されて統一を見る
調整質
(思形と感性)
内面の意識
外面の意識
自己構造
上においては、事物の内在因、すなわち自己原因として現れる。この自己原因の認識はスピノザがいう第三
種の認識に相当する。スピノザのいう第三種の認識とは永遠の相のもとに世界を知覚し、神の観念(事物の
う否定的なものと肯定的なものにそれぞれ対応して
元止揚
人間の内面 人間の外面
赤先手
ψ1
循環・反復
ような総合になる。OCOTのいう最終構成とはこう
した否定的なものの先行の弁証法的運動が限界を迎
え、次元観察子ψ14∼13をψ13∼14として顕在化
させる領域へと意識が侵入していくことを意味して
いる。これが「肯定的なものの回帰」である。
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『差異と反復』
(中期)̶̶ドゥルーズ哲学の基礎の完成へ
同じものは反復しない、反復するものは差異である
●ドゥルーズは時間の成り立ちについて考え、そこから超越論的なものの骨組みを見ていく
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ドゥルーズの時間論̶̶超越論的領野の三つの位相
6
時間はどのような仕組みで人間の意識に成り立っているのか
●時間における三つの綜合
『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)という二冊の著作によって、ドゥルーズは存在
ドゥルーズにとって時間は「ある我(低次の自我)」と「考える我(高次の自我)」の間に亀裂を入れて
の同一性批判としてのドゥルーズ哲学の基礎をほぼ完成に至らせる。これは同時にドゥルーズのイデア論の
いる差異そのものだった。そこで、ドゥルーズは流れる時間が意識に発生するための条件となるその超越論
土台の完成とも言えるものだ。ドゥルーズは『差異と反復』において「現働的なもの=延長」と「潜在的なも
的構成について考える。その構成は三段階に分かれており、ドゥルーズはここで抽出してきた構造を軸にし
の=持続」という二つの次元を軸にして時間論を論じ、存在の同一性が時間によって根拠づけられていること
て、フロイト-ラカンの精神分析の知見などを取り込み、人間の内在性の中に潜む超越論的なもののより具
を示唆する。そして、この同一性の解体のためにニーチェの永遠回帰を第三の時間の総合として導入し、存
体的な構成を追跡していく。
在の外部へと離脱するための思考のイマージュを展開する。
・時間の第一の総合(生ける現在/土台)………現在を中心に据えた第一の時間(習慣)。
●ハイデガーの存在論的差異からの脱却
・存在論的差異→「存在者(あるもの)」と「存在(あること)」の 差異である。「存在と存在者の区別は
・時間の第二の総合(純粋過去/根拠)………過去からの連続体を見渡す第二の時間(記憶)。
・時間の第三の総合(永遠回帰/脱根拠)………空虚な時間の形式。発狂した時間。蝶番が外れた時間。
存在論を初めて構成する区別である。我々はこの区別を存在論的差異、つまり存在と存在者の区分と名づけ
一瞬一瞬としての現在が生まれるには、その素材となる瞬間の継起の連鎖とそれを縮約の中において保持
る」ハイデガー/1927年夏学期講義『現象学の根本問題』言葉とは存在の住処である(ハイデガー)。
する持続が存在する必要がある。その縮約が純粋過去である。これら2つの位相があれば、「実際に経験さ
・ベルクソンは持続と延長に本性上の差異を見た。
れる今現在」と「延々と広がる過去∼未来というもの」を想起と予期のもとに表現できる。しかし、これだ
・メルロ=ポンティはこの差異を知覚(奥行き)とした。
けでは時間が「流れる」という性質は説明できない。時間を展開する素材となる瞬間の連続とそれが収縮し
・ドゥルーズはベルクソンとメルロ=ポンティを受け継ぎ、この差異を無限小の微分化領域に見た。存在者
た持続があるだけでは、「流れること」の条件が示せない。しかし、時間は流れている。過去から未来へと
と存在の差異は物質と時空との差異とも言い換えることができる。差異は同一性に従属している。ドゥルー
常に動的に動いている。そうすると、時間を過去から未来へと動かしている何ものかが存在するはずであ
ズのもくろみは同一性を差異に従属させる領野の前景化である。→脱表象化の思考の確立。表象とは抑圧さ
る。それが第三の時間とされるものだ。第三の時間は未来と関係づけられ、「序数」的なものと呼ばれてい
れたものの反映物にすぎない。
る。これら三つの時間の位相の由来をケイブコンパスの構成から考えると次のような考え方になる。
●差異とパラドックス
●時間の三つの総合と次元観察子の関係性
差異は、所与のものではなく、所与がそれによって与えられる当のものである。『差異と反復・下』p.156
時間の第三の総合
現在の表象化
――現実は差異であるが、これに対し、思考の原理としての現実法則は、同一化である。「したがって現実
は、現実法則と対立し、アクチュアルな状態は、その生成と対立する。∼中略∼ 物理的世界は、おのれの
諸法則が絶えず弱めているような基本的特性によって、どうして構成されようか。これはつぎのように言っ
ても同じことである。すなわち、実在的なものは、それを支配している諸法則の結果ではない。
この延長を満たす具体的な実在に注目してみよう。そこで支配している秩序、自然法則を通じて姿を見せ
る秩序は、逆の秩序が除去されると、おのずから生まれるはずの秩序であって、この除去を生じさせるのは
ψ9
思形
時間の
第二の総合
瞬間
ψ8
ψ7
持続
ψ10
感性
時間の
第一の総合
は、この事物が自己を作る過程は物理的な過程とは逆の方向に向かっていて、この事物は定義そのものから
非物質的なものであるということに他ならないのではないか。(ベルクソン『創造的進化』p.312)
(ψ*7)
持続
瞬間
ψ11
定質
(ψ*8)
(ψ*9)
ある意思の緩みだろう。つまり、この実在が進む方向はまさに、われわれに今、自己解体していく事物とい
う観念を示唆している。これこそ、疑いの余地なく、物質性の特性のひとつである。ここから帰結するの
ψ12
性質
継起する現在の観照
瞬間を送り出す本因力
※人間の定質とは表象を送り出す力のことです̶̶OCOT情報
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ドゥルーズの空間論1̶̶奥行き論
空間論におけるドゥルーズ哲学とヌーソロジーの酷似性
●奥行きとは根源的深さである
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ドゥルーズのいうスパティウムとは複素空間のことである
奥行きを虚軸、幅を実軸と見なすヌーソロジーと奥行きを内包性と見なすドゥルーズ哲学の接続
●根源的深さとしての奥行きが潜在化してしまう仕組み
位置の融和
ヌーソロジーとの関連において特に見逃せないのがドゥルーズの空間に対する考え方である。ドゥルーズ
空間(感性)人間の外面への交差
はおそらくメルロ=ポンティに影響を受けたと思われるのだが、差異の息づく場所を空間における「奥行
き」として思考している。そして、この「奥行き」を強度的空間=内包性と見なし、ライプニッツのコナトゥ
ス(自己保存欲求)という概念を通して微分概念に接続させている。ここでは『差異と反復』から直接、引
用を挙げながら、ドゥルーズの空間論とヌーソロジーの空間に対する考え方との酷似性を見てみたい。
・わたしたちはもはや深さが根源的なものであるということを理解しなくなっているからである。同p.164
・この根源的な深さ[おくゆき]こそが、第一の次元[横]としては左右に繰り広げられ、第二の次元
[縦]においては高低として繰り広げられ、それらと同質な第三の次元[派生的な深さ]においては図と地
+i
自他によって共有化された
客観的視点
-1
位置の等換
持続の空間化(延長化)
複素2次元の球空間(元止揚)
+1
自他によって共有化された
幅化した奥行き
時間(思形)
-i
人間の内面
自我性
複素2次元空間
として繰り広げられるのである。延長は、延長自身の根源[深さそのもの]の非対称的な微表としての諸
時間
ファクター、つまり左右、高低、深浅を現前させるのでなければ、現われず、展開させられないのだ。それ
空間
らの諸規定[次元]の相対性は、それらの起源となっている絶対的なものを証左している。延長全体は、或
る深さから出現するものなのだ。(究極的にしてかつ根源的な)異質な深さこそ、第一および第二の次元と
等質的であると見なされた第三の次元[派生的な深さ]をも含む、延長の母胎である。同p.165
・図と地の法則が妥当して、ひとつの対象が中立的な地の上に、あるいは他の諸対象の地の上に際立つの
は、その対象自体がまずはじめに、おのれ自身の[根源的な深さ]との関係を維持しているのでなければな
らないだろう。図と地の関係は、外的で平面的な関係でしかなく、その関係は、諸表面が包み込んでいる深
さとその諸表面との内的で容積的な関係を前提としているのである。対象にその陰を与え、対象をその陰か
ら浮かびあがらせるこの深さの総合は、もっとも遠い過去を、現在と共存している過去として証示する。純
粋な空間的諸総合が、ここでは、先に規定された時間的諸総合の繰り返しであるということに驚いてはなる
まい。すなわち、一方では、延長の繰り広げは、習慣のあるいは現在の第一の総合に基づき、他方では、深
さの巻き込み[潜在]は、《記憶》のおよび過去の第二の総合に基づく、ということである。同p.165
・深さは、外側から縦と横に付け加えられるのではなく、縦と横を創造する抗争という崇高(ディフェラ
ン)な原理として、埋もれたままになっている。同p.166
・ところが、その根源的深さの方は、たしかにまったき空間であるが、しかしそれは、強度量[内包量]と
しての空間、つまり、純粋なスパティウムspatium[空間]なのである。同p.166
1. 真の奥行きは長さを持たない。この長さを持たない奥行きが、ドゥルーズが根源的なものと呼んでいる
「深さ」のことである。深さを距離と間違えないようにすること。
2. 幅の世界はこの深さの繰り広げとして出現してくる。ドゥルーズはその仕組みにまでは詳しく言及しては
いないが、後で見るようにそれは〈他者=構造〉に拠るものだと言っている。これは自己が他者の視線を自
己のうちに取り込むことを意味するが、これによって、自己は他者と同一化する地平に出てしまい、本来の
深さとしての奥行きを見失う。
3. 世界の延長化の真の原因はおそらく、時間概念の発生にある。わたしたちが時間と呼んでいるものはベル
クソンが言うように空間化した時間である。時間の空間化とは直線的で延長的な時間のことを意味する。こ
れはわたしたちにとって、他者の奥行きが直線的に見えていることと同じ意味を持っている。わたしたちが
他者視線を自己のうちに取り込んでしまえば、自己の奥行きもまた直線として繰り広げられ、延長的な時間
へと変質してしまう。そしてこの延長的時間が空間的延長を確固なものにする。
4. 「深さの総合は、もっとも遠い過去を、現在と共存している過去として証示する」というのは、奥行きに
おいては現在と無限の過去が一緒に同居させられているということだ。ドゥルーズがここにベルクソンの純
粋持続を見ていることは、この記述からも明らかだろう。そして、それはベルクソンが語る通り「収縮」し
ている。
5. こうしてドゥルーズはこの深さ=奥行き=持続を純粋な内包空間(スパティウム)として考えるのである。
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ドゥルーズの空間論2̶̶差異化と差異の取り消し
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ドゥルーズは空間に対して具体的に何を語っているか
●巻き込みと繰り広げ(implicationとexplication)
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巻き込みと繰り広げの原型はSU(2)とSU(2) SU(2)にある
ドゥルーズの空間論は物理学的な裏付けを持つことができる
●ヌーソロジーにおける巻き込みと繰り広げ(内包が外延化する仕組み)
・だからといって空間と《理念》との類縁性は否定することができないのであって、言い換えれば、(《理
念》に含まれているもろもろの差異的=微分的な関係=比としての)もろもろのイデア的な連結の現実化を延
■ψ9∼10・ψ*9∼10
自己側(右巻き粒子)
SU(2) SU(2)群
4
ことができないのである。また、可能的経験の諸条件は広がりに関係するということが本当だとしても、そ
ある。『差異と反復・下』p.170
・差異は、展開されて広がりになることによって、単なる程度上の差異へと生成し、もはやそれ自身におい
6
繰り広げ
2
■ψ7∼8・ψ*7∼8
クォークのスピン空間
SU(2)群、
陽子・中性子
7
ψ
5*
巻き込み
実軸(幅) 虚(奥行き)
8
1
3
てそれ自身の[充足]理由をもつことをやめてしまう。『差異と反復・下』p.187
・したがってわたしたちは、二つのレヴェルの巻き込み、もしくは漸減(デグラダシオン)を区別しなけれ
他者側(左巻き粒子)
ディラックスピノール場
長のなかで規定することができるという(強度的スパティウムとしての)空間のキャパシティーは否定する
れでもなお、根底にあって強度そのものと混じり合っているような現実的経験の諸条件が存在しているので
page5-2
■ψ1∼2・ψ*1∼2
同一化
5
■ψ5∼6・ψ*5∼6
クォークu,d,電磁場
U(1)群・調和振動子
3*
7*
1*
8*
ψ*
2*
6*
4*
■ψ3∼4・ψ*3∼4
光子の波動関数
確率の位相因子
時空
ばならない。まず、二次的な巻き込み。それは、強度が、その強度を繰り広げる質と延長のなかに包み込ま
れている状態を指す。つぎに、一次的な巻き込み。これは、強度がそれ自身において巻き込まれ、包み込み
1. ドゥルーズは空間と《理念》との類縁性を執拗に追いかける。それはドゥルーズがスピノザと同じよう
つつ包み込まれている状態を指す。二次的な漸減においては、強度の差異が取り消され、最高のものが最低
に、物質と精神を一つの実体における二つの属性にすぎないと考えているからである。精神を空間と接続さ
のものに合流しており、一次的な漸減の力においては、最高のものが最低のものを肯定している。『差異と
せ、そしてそこから今度は空間を物質へと接続させる。それによって、ドゥールズは観念の哲学を超えて、
反復・下』p.191
哲学を自然哲学へと、それも生命の自然哲学へと拡張していこうと考えている。
2. ドゥルーズによれば、差異はミクロに巻き込まれているが、同時に展開され広げられるプロセスも持って
・エネルギー一般つまり強度量は、スパティウム(強度的空間)であり、あらゆる変身の劇場であり、おの
いる。それによって差異は本性上の差異であることを止め、延長的な程度上の差異へと姿を変えていく。差
れのすべての度をそれら一つ一つの産出において包み込んでいる即自的差異である。この意味でつねエネル
異が同一性へ従属した差異となってしまうのは、この差異の繰り広げによるものである。ドゥルーズはこの
ギーつまり強度量は、一つの先験的な原理であって、決して科学的[経験的]な概念ではない。経験的な原
繰り広げのことを「差異の差異化=異化」とも呼ぶ。これは、差異=精神が差異化を繰り返していくことに
理と先験的な原理とを割りふるならば、一個の領域を支配している審廷の方が、経験的な原理と呼ばれるの
よって、自分自身を物質として表現していくということを意味している。
である。領域というものはいずれも、延長的で質をそなえた部分的な系であり、その系を創造する強度の差
3. この差異の差異化のプロセスをドゥルーズ一次的巻き込み、二次的的巻き込みとして説明している。一次
異が、結果的にその系のなかで取り消される傾向をもつようなかたちで、その系が[経験的な原理によっ
的巻き込みは強度の即自であり、精神は精神そのものとして活動している。しかし、二次的な巻き込みにお
て]支配されているのである(自然法則)。『差異と反復・下』p.194
いては、精神=最高なものが持った強度は取り消され、それは物質=最低のものと合流している。
4. 科学はエネルギーを宇宙の発生の原因と見ているが、こうした考え方は外的原因(質料因)の範疇であっ
・思考するもの、そして永遠回帰を思考するものはおそらく、個体であり、それも普遍的な個体である。そ
て、内的原因には決してたどり着けない。ドゥルーズはそこでエネルギーの本質を内包的空間に見る。そし
のような個体こそが、明晰なものと混雑したものとの力(ピュイサンス)のすべてを、つまり〈明晰で-混
て、この内包空間を経験以前の、人間に経験を成り立たせるための先験的な原理と見るのだ。これはヌーソ
雑した〉ものの力(ピュイサンス)のすべてを用いて、《理念》をその力すべてのなかで〈判明で-曖昧
ロジーがエネルギーをψ5の人間の外面と見なすのと全く同じ意味を持っている。
な〉ものとして思考するのである。『差異と反復・下』p.228
5. ドゥルーズのいう普遍的な個体とは、言うまでもなく「非人称の主体」のことである。こうした主体のみ
が、物質的知を用いて精神知を構築していくことができる、ということを言っている。
NOOS LECTURE 2014
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The Noosology and the Philosophy of Gilles Deleuze——ヌースレクチャー2014 : 第3回資料 2015/01/18(東京)02/14(福岡)
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ドゥルーズの他者論
NOOS LECTURE 2014
The Noosology and the Philosophy of Gilles Deleuze——ヌースレクチャー2014 : 第3回資料 2015/01/18(東京)02/14(福岡)
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自我が非人称の主体となったとき、他者はどのような存在として現れてくるのか
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潜在的なものと現働的なもの
存在には二つの回路がある
●ケイブユニバースにおける最大回路と最小回路
●知覚野とは〈他者-構造〉である̶̶他者なき世界へ
ドゥルーズにとって、他者とは私では「ない」ものである。にもかかわらず、私の存在は私では「ない」
ものによって可能になる。これはヌーソロジーでいうなら、低次の自我を作り出す母胎であるヒトの思形=
物質の創造の力と方向
NOOS
最大回路
大系観察子Ω9の働きが他者の意識の外面によって方向づけられていることを意味する。つまりドゥルーズ
大系・脈性観察子の世界
と同様に、ヌーソロジーでは〈他者-構造〉とは私が成立するための絶対的条件となっているということ
だ。そして、この他者とはあくまで私の意識に表象=再現前化を可能的に保証するものであって、私と出会
人間の無意識
(潜在的なもの)
う者では決してない。ドゥルーズはこうして〈他者-構造〉を自我の自己同一性を支えている基盤と見な
次元観察子の世界
し、「他者なき世界」へをスローガンに掲げるドゥルーズ独特の独我論を展開する。しかし、この独我論は
フッサールの言うような超越論的主観性が作り出す独我論とは全く赴きを異にするものであり、むしろ、
「我」さえも存在しなくなるような非人称的世界における独我論なのである。
時空
最小回路
物質
自我意識
(現働的なもの)
NOS
「ロビンソン」というフィクションの意味は何か? ロビンソン的なものとは何か?他者のいない世界であ
物質を受け取る力とその方向
る。トゥルニエの推測によれば、ロビンソンは、大いなる苦しみを通して大いなる健康を発見し、それを克
服して、ついには、他者が存在しているときに物事が組織される時とは違ったやり方で物事が組織されるに
至る。類似性のないイメージ、あるいは普段は抑圧されている分身が解放される。この分身は更に普段は囚
●現働的なものと潜在的なものはつねにひとつの回路を構成するが、それは二つの仕方においてである。す
われている純粋な要素を解放する。世界は他者の不在によって乱されるわけではない。反対に、他者の存在
なわち、ある場合には、潜在的なものが現働化されるような巨大回路の中で、現働的なものが[自ら]とは
によって隠されていたのは世界の栄光に満ちた分身であることが分かるのだ。これがロビンソンの発見であ
別のものとしての潜在的なものに向かうという仕方で、ある場合には、潜在的なものが現働的なものと結晶
り、表層の、要素的彼岸の「別のあり方をした他者」の発見なのだ。̶̶『ミッシェル・トゥルニエと他者
化するような最小回路の中で、現働的なものが自分自身の潜在的なものとしての潜在的なものに向かうとい
なき世界』
う仕方で。『現働的なものと潜在的なもの』より
●非人称の主体とは、ヒトの意識進化が生み出すものであるということ
人間の意識の構成
ドゥルーズは晩年に「現働的なものと潜在的なもの」という短い論稿を発表した。ここには最後にドゥ
顕在化は他者の思形Ω*9から到来する
Ω9
存在
ズははじめて創造空間の位置づけを「現働的なもの」と「潜在的なもの」の関係において行なう。ここに書
かれているように、「潜在的なものが現働化される巨大回路」とは奇数系観察子が先手を打って発展を見せ
先手
ヒトの思形
ルーズが垣間みた自分自身の哲学の全体性が珠玉の宝石のように結晶化させられている。この中でドゥルー
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12
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ていく顕在化の領域のことであり、一方、「潜在的なものが現動的なものと結晶化するような最小回路」と
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Ω
ヒトの感性
潜在的なもの Ω10
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9
11
差異に従属する
同一性
Ω
生成
後手
後手
は偶数系観察子が先手を打った人間の意識の内面と外面、つまり自我意識とそれを支える潜在的なものとし
顕在化
Ω*11 前半
非人称の主体
先手
ての人間の無意識が生まれていく領域を意味している。潜在的なものが現働化され巨大回路の中に入ってい
くときは、その変動は、脈性観察子におけるあらゆるレベルにホロニックに配分される。この配分が、原子
や分子やDNA、生態系などの構成を進化、成長させていくことになる。また、ここには示してはいないが、
大事なことは、ブルーで表されたNOOSと、レッドで表されたNOSとが自己と他者では真逆に構成されてい
るということだ。これは自己と他者の隔たりの本質が創造者(神)と被造物(人間)との隔たりと同等のも
のであることを示唆している。言うならば、他者身体とは神の残影なのである。