日 A_22V 韓国併合と東アジア 教科書 P92-93 植民地の

日 A_22V
韓国併合と東アジア
教科書 P92-93
植民地の経営
①領土の拡大
日清戦争・ 日露戦争をへて,日本は新たに広大な領土や租借地を獲得。
日清戦争で獲得した台湾に{1台湾総督府 }を設置すると、財閥をはじめ特権的な資本
家が進出し主産業の製糖業を独占。台湾銀行も設立 。
②関東軍の起源 遼東半島の租借地を{2 関東州 }と名づけ、旅順に{3 関東都督府
}を設置。地域行政を担当させ、軍事指揮権を与えた 。
③ 1906 (明治 39)年、{4 南満州鉄道 }を設立し鉄道経営などを独占。
韓国併合
1904 年 {5 日韓議定書 }調印
第 1 次日韓協約 ・・・日本人を政府顧問に
1905 年 アメリカと密約 {5 桂・タフト協定 }をかわす ・・・アメリカのフイ
リピン統治、日本の韓国支配を相互承認
日英同盟の改定でイギリスも日本の韓国保護権を承認
{6 ポーツマス条約 }・ロシア、日本の韓国支配承認
第 2 次日韓協約 韓国を「保護国」として{7 外交権}を奪う
伊藤博文を初代統監として {8 統監府 } を設置
{9 ハーグ密使 事件重要!}・・・オランダで開催された国際会議に韓国
1907 年 皇帝が密使をおくり 、日本の韓国支配の実情を訴えた
第 3 次日韓協約 ・・・韓国の行政権を掌握、韓国の軍隊解散
1909 年 伊藤博文が安重根に射殺される 重要!
1910 年 日本、{10 韓国併合}を断行
重要!
統治機関 {11 朝鮮総督府 }初代総督は寺内正毅
{12 土地調査事業 }・朝鮮人農民から収奪した土地を日本人地主や東洋拓
殖会社等に払い下げ 。軍・鉄道用地の名目で、総督府は膨大な土地を獲得
中華民国の成立
重要!
①中国の革命 義和団事件以来、中国では漢族の間に清朝打倒と共和
国樹立をめざす革命の機運が高まった。{13 孫文 }は 1905 年、東京
で中国同盟会を 組織し革命運動を開始 。1911 年には、革命を支持す
る軍人たちが武昌で蜂起に成功した。{13 孫文 }は翌年臨時大総統に
なって { 14 中華民国 } が成立 ({15 辛亥革命})。その後、実権
は軍閥の{16 袁世凱}に移った。
Q 1孫文が唱えた三民主義、三つ答えよ。{17 民族主義、民権主義、民生主義
}
Q 2「南満州鉄道株式会社」とは? 図表 P240 で確認!重要!
大連~{18 長春}間、{奉天}~安東の間の鉄道とその支線、鉄道付属地、撫順炭坑な
ど付属事業を経営するための半官半民の株式会社 。民間株式に半分を出させたが、年 6
分の配当が保証されたため満鉄株は大変な人気となって応募があいついだ。
日 A_23 資本主義の発展 教科書 P94-95
軽工業の拡大
①紡績業 鐘ヶ淵紡績、 東洋紡績などが独占的地位を固めた 。綿糸だけでなく綿布の大
量生産を開始し 満州市場に進出。
②綿織物業 国産 { 力織機 }を導入し 小工場の形態に。
③製糸業 アメ リカ合衆国むけの輸出が中心。1909 (明治 42) 年に中国をぬき 、輸
出の規模が世界最大に。
重工業と財閥の形成
①重工業の発展 日露戦争後、重工業中心に資本主義が新たな発展をみせた 。製鉄業で
は 1906 年に { 八幡製鉄所 }が拡張され、鉄鋼生産が軌道にのった。 造船では技術
が世界に追いつき 、工作機械工業では{ 旋盤 }の製造に成功した 。
②{ 財閥 }の形成 1907 年の恐慌への対応をへて 、紡績 ・化学肥料 砂糖 ・ 製
粉などの諸産業で { カルテル }(産業別企業連合) が結成された 。新しく発展した
電気事業 ・機械工業・ 化学工業などでは、最初から大資本が形成され
た。三井 ・三菱 ・住友 ・安固などの政商は、政府の保護と援助により、多角経営をお
こなう大資本家に成長し、{ 財閥 }を形成。金融業では { 財閥 }系の大銀行の独占
的地位が高まった。
*カルテル(企業連合)<トラスト(企業合同)<{コンツェルン}(企業連携、財閥)
①鉄道業 1906 年、軍事力強化のため { 鉄道国有法 }公布。鉄道の固有化が進んだ。
農村と地主制
重要!
・松方デフレ以降 、没落した農民の土地を集積し 農業生産はせずに小作料だけで生活
する { 寄生地主 } が出現。1898 年施行の民法は 、小作農民の耕作権より地主の土
地所有権を優先して認めたので 、農村では { 寄生地主 }制が支配的に。地主の小作
料収入は株式・公債に投資されて近代産業発展を支えた 。
Q 下のグラフは、小作地率の変化をあらわしたものである 。1883 年から 1903 年にかけ
て小作地率が 増加 した理由を二つ考えよ。
解答例:1880 代なかば、松方財政で没落した農民が手放した土地が小作地となった。1898
年施行の民法は小作農民の耕作権よりも地主の土地所有権を優先したので、地主による
土地集積が進んだ。
少し難しいが、理解すれば簡単!
日 A_24 桂園時代と社会運動
教科書 P96-97
桂園時代と大逆事件
①桂と西園寺 藩閥勢力に基礎をおく第 1 次桂太郎内閣は、ポーツマス講和条約の批准
後に総辞職し、立憲政友会の総裁西園寺公望が組閣。桂と西園寺が交互 に組閣した時期
を { 1 桂園時代 }という。
日本最初(1901 年)の社会主義政党は社会民主党デス!→ 教 P83 L15
比較
治安警察法で即日解散
②社会運動の再興と弾圧 1906(明治 39) 年に { 2 日本社会党}が結成されたが、第
1 次西園寺内閣は即時結社禁止 とせず、財政悪化と社会 主義に対する寛容な態度を藩
閥勢力から批判されて倒れた 。第 2 次桂内閣 は社会主義運動への弾圧 を加えた。1910
年、明治天皇の暗殺を計画したとして { 3 幸徳秋水}らを逮 捕、24 名に死刑判決 。
半数は減刑されたが{ 3 }らは死刑に。これを{ 4 大逆事件}といい、以降 社会主
義運動は沈滞 。
③{5 工場法 }1911 年に制定され、女性や年少者の深夜業の禁止などをおこなったが、
不十分なものだった。
第一次護憲運動
①第 2 次西園寺内閣 日露戦争後の財政悪化が進むなかで西国寺内閣が 陸軍の軍 拡要
求を拒否すると反発した陸軍は陸軍大臣を辞任させ 、{ 6 軍部大臣現役武官制 }を背
景に後任者を出さなかった。陸相を得られず、内閣は総辞職。
②第一次護憲運動 1912(大正元) 年、即位したばかりの大正天皇を内大臣兼侍従長と
して助けていた桂太郎が組問。陸軍の横暴と、宮中 ・府中の別を乱 したこ とを批判し
て 「閥族打破」「憲政擁護」の世論が高まった。立憲政友会の { 7 尾崎幸雄 }・立
憲国民党の{ 8 犬養毅 } らが第一次護憲運動を指導して全国に拡大。成立から約 50
日で、第 3 次桂内閣は総辞職 {9 大正政変}という 。
③山本内閣 海軍大将山本権兵衛が組閣 政友会が与党。{ 6 工場法}を改め { 10 文
官任用令 }を緩和し 政党員の官界進出が可能に。海軍の汚職事件 ({11 ジーメンス事
件})が発覚すると、民衆は激しく批判し、内閣は退陣。
④第 2 次大隈内閣 1914 年、大隈重信が{ 12 立憲同志会 } などを与党に組閣。
直後、第一次世界大戦が勃発。
天皇・太皇太后 ・皇太后
・ 皇后 ・皇太子 ・皇太孫
危害を加えた者
危害を加えようとした者
皇族
死刑
死刑
死刑
無期懲役
間 1 1910 年、大逆罪が適用され 24 名に死刑判決が下された事件は何か。
大逆事件
問 2 この事件で減刑を願う文を新聞社に送り 、政府を批判した人物は誰か 。
徳冨蘆花
徳冨蘆花(とくとみ ろか、小説家 1868- 1927 年) 『不如帰』がベストセラーになる
・「ホトトギス」と読みます!
・ 日本文学史で出ている!?
日A_25 復習プリント
第2章の歴史の大きな流れを理解
教科書 P99
A自由民権運動の展開
歴史の大きな流れ!
1880 年、[1 国会期成同盟 ]が結成され、自由民権運動は政府による取り締まりをう
けながらも、高揚していった。[2 明治 14 年の政変 ]で国会開設が公約されると、政
党も設立された。この政変後に大蔵卿に就任した松方正義が財政立て直しのため緊縮財
政に取り組むと、デフレと増税で農村は大打撃をこうむり、自由民権運動を担っていた
豪農層は経済的な余裕を失って運動から離れた。自由民権運動は一部で急進化し、[3 福
島事件 ]などの激化事件が続くと自由党は解散し、立憲改進党も解党状態になった。
国会開設が近づくと民権派の再結集が図られ、[4 大同団結運動 ]や三大事件建白運
動が展開されたが、政府は[5 保安条例 ] を制定する等運動の高揚を押さえようとした。
B立憲体制の成立
ヨーロッパで憲法を研究した[1 伊藤博文 ]は帰国後、[2 内閣制度 ]などを導入し
て政治制度を整えた。 1889 年、[3 大日本帝国憲法 ]が発布された。これには[4 天
皇大権 ]が明記され、「臣民」とされた国民の権利は制限をうけた。憲法以外の諸法典の
整備も進められた。また、翌年実施された第1回衆議院議員総選挙では、民権運動の流
れをくむ民党が勝利し、初期議会では[5 超然主義
]を表明する藩閥政府と対立した。
=======以下2学期中間
まとめの文章
外交面の重要な政治的課題であった不平等条約の[6 条約改正 ]交渉は難航したが、
1890 年代、ロシアの南下政策に対抗するためイギリスが日本に接近したことで情勢が変
化した。1894 年、日清戦争開戦直前に日英通商航海条約を締結して領事裁判権が撤廃さ
れ、 1911 年には関税自主権の完全回復が実現した
C日清戦争と国際関係
日朝修好条規締結後、日本は朝鮮への経済的進出を進めたため、[1 壬午軍乱 ]、つ
づいて[2 甲申事変 ]と二度にわたって朝鮮で清国と対立し、両者の緊張関係は高ま
っていった。社会の疲弊を背景に大規模な農民反乱である[3 甲午農民戦争 ]が朝鮮で
広がると、日清両国は朝鮮に出兵し、 1894 年、[4 日清戦争 ]がはじまった。日本の
勝利後、清国にかわりロシアの影響力が朝鮮において増大した。
この問、日本国内ではしだいに国民としての意識が形成され、排外主義的な風潮が強
まっていった。政府と民党は接近して 1898 年にはじめての政党内閣が成立し、1900 年
には伊藤博文を総裁とする[5 立憲政友会 ]結成された。また紡績産業を中心に産業革
命が進むとともに 日清戦争の賠償金をもとに 1897 年に金本位制を確立した日本は、世
界の資本主義のなかに組みこまれた。
重要!
D日露戦争前後の世界と日本 日清戦争後、列強の中国分割が進み、[1 北清事変 ]を
で満州を占領したロシアに対抗。日本は 1902 年に[2 日英同盟]を締結。 1904 年、[3
日露 戦争]がはじまり、翌年ポーツマス条約が調印されたが、戦争による犠牲と重い税
負担に耐えた国民は、賠償金のない講和内容に不満。政府批判の運動が全国に広がった。
日露戦争後、日本は台湾や南満州などの開発を進め、1910 年には[4 韓国 併合]を
強行し、植民地経営を拡大した。国内では、軽工業が拡大し重工業が発展をみせる過程
で、藩閥勢力と立憲政友会が交代で組閣する[5 桂園 時代]がやってきた。第2次桂内閣
は社会主義運動を弾圧し、1910 年には[6 大逆事件]が起こり、社会主義運動は沈滞した。
1912 年第3次桂内閣が成立。憲政擁護運動が全国に広がり、内閣を総辞職に追いこんだ。
日 A_26 第一次世界大戦と中国侵略 教 p.100-101 この A_26 プリントは3年のみ
ヨーロッパの戦火
①ドイツとイギリスの対立
ヨーロッパでは、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、イタリアの[1 三国同盟
]と
イギリス、ロシア、フランスの[2 三国協商
]が対立。対立の場のバルカン半島は
[3 ヨーロッパの火薬庫 ]とよばれた。
②世界大戦勃発[4 1914 ](大正3)年、[5 オーストリア ]の皇位継承者が、ボス
ニアの首都サラエボで、セルビアの民族主義者に暗殺され、第一次世界大戦が勃発。
日本の対独参戦
①戦争の拡大 戦争は帝国主義諸国と植民地を巻き込んだ史上初の世界戦争に発展。
②日本の参戦 第2次[6 大隈重信
]内閣は、[7 日英同盟 ]を理由にドイツに宣戦。
日本本はドイツの勢力範囲である中国の膠州湾・[8 山東 ]半島を攻撃し、青島を占領、
赤道以北のドイツ領[9 南洋諸島 ]も占領。
日本の中国侵略
重要!
①二十一か条の要求 1915 年、第2次大隈内閣は中国の[10 袁世凱]政府に二十一か条
の要求をつきつけた。
(1)[11 山東省 ]のドイツ権益の継承
(2)南満州・東部内蒙古での権益拡大
(3)製鉄会社[漢冶萍公司」の日中合弁事業化 (4)中国の島・沿岸の他国への不割譲
(5)中国政府の政治・財政・軍事顧問への日本人招請
②列強との調整 中国各地で日本に対する反対運動が起こった。 1916 年の第4次日露協
約、1917 年の[13 石井・ランシング ]協定の締結などで、日本は列強と中国問題で利
害調整。段祺瑞に巨額の借款([14 西原借款
])を与え、中国への影響力を確保。
③革命への干渉 1917 年、[15 ロシア ]革命が起こり、世界ではじめて社会主義政府
が成立。影響をおそれた日本・アメリカ・イギリス・フランスは 1918 年、共同で[16 シ
ベリア ]出兵を開始、革命に干渉。
借款(しやっかん):国家間の貸し借り。
1 イタリア
2 フランス
3 ドイツ
4 イギリス
5 アメリカ
6 オーストリア
7 ロシア
この 図 の 意味、理解 していますか ! 昨年度 の 「世界史 A」 の 重要 な 範囲 です !
♪雪やコンコ♪
長:長州
1 イ① 伊藤博文
長
2 ク
黒田清隆
薩 a
3 ヤ① 山県有朋
長 a
4 マ① 松方正義
薩 a
5 イ② 伊藤博文
長
6 マ② 松方正義
薩 a
7 イ③ 伊藤博文
長
8 オ① 大隈重信
憲政党
9 ヤ② 山県有朋
長 a
10 イ④ 伊藤博文
(長)
11 カ① 桂 太郎
長 a
12 サ① 西園寺公望
公家
13 カ② 桂 太郎
長 a
14 サ② 西園寺公望
公家
15 カ③ 桂太郎
長 a
16 ヤ① 山本権兵衛
薩 n
17 オ② 大隈重信 立憲同志会
18 テ
寺内正毅
長 a
19 ハ
原 敬
立憲政友会
20 タ
高橋是清 立憲政友会
21 カ
加藤友三郎
n
22 ヤ② 山本権兵衛 薩 n
23 キ
清浦奎吾 貴族院議員
24 カ
加藤高明
憲政会
25 ワ①若槻礼次郎
憲政会
26 タ 田中義一 長 a →政友会
27 ハ 浜口雄幸
民生党
28 ワ②若槻礼次郎
憲政会
29 イ 犬養 毅
政友会
30 サ 斉藤 実
n
31 オ 岡田啓介
n
32 ヒ 広田弘毅
外交官
33 ハ 林銑十郎
a
34 コ①近衛文麿
公家
35 ヒ 平沼騏一郎
官僚
36 ア 阿部信行
a
37 ヨ 米内光政
n
3839 コ②③近衛文麿
公家
40 ト 東条英機
a
41 コ 小磯国昭
a
42 ス 鈴木貫太郎
n
薩:薩摩 a:陸軍 n:海軍
憲法草案検討の開始、枢密 院の設置
1889 年大日本憲法 発布、超然 主義
第1回帝国議会開会 教育勅語 発布
1991 年大津 事件
1894 年日清 戦争、1895 年下関 条約
金本位制
自由党・進歩党との連携→失敗
隈板 内閣、 最初の政党(憲政党)内閣
1902 治安 警察法 文官 任用令 軍部大臣 武官制
立憲政友会が基礎
1902 日英 同盟、1905 年日露戦争 ポーツマス 条約
南満州 鉄道株式会社 、日本社会党結成
1910 年大逆 事件
1910 年 韓国 併合
陸軍2個 師団増設問題で陸軍と対立
第一次護憲 運動
1913 年(大正 2 年)大正政変
ジーメンス 事件
1914 年第一次 世界大戦参戦、 1915 二十一 か条要求
1917 年石井・ランシング協定
1918 年シベリア出兵
1919 ヴェルサイユ条約調印 初本格的政党内閣 暗殺
1921 年 ワシントン会議
ダルマ(あだ名)
海軍軍縮
関東大震災
虎ノ門事件で引責辞任
第二次護憲運動
1925 年治安維持法 1925 年普通選挙法
1927 年金融恐慌
政
山東出兵 東方会議 満州某重大事件
党
金解禁 統帥権干犯問題 ライオン
狙撃される 内
柳条湖事件=満州事変
閣
金輸出再禁止 1932 年五・一五事件
国際連盟脱退
天皇機関説 二・二六事件
軍部大臣現役武官制復活
日独防共協定
宇垣一成組閣失敗後成立 祭政一致方針
盧溝橋事件 国家総動員法
「欧米情勢は複雑怪奇」
第二次世界大戦不介入方針、
親米的
日独伊三国同盟
日米開戦
一億総武装
ポツダム宣言受諾
イクヤマイマイ/オヤイカサカサ/カヤオテハタカ/ヤキカ
ワタハ/ワイサオヒハコ/ヒアヨコトコス