19.資本主義と寄生地主制~社会問題の発生~

2015 年度 日本史授業プリント⑲(担当:杉山)
<教:74 ㌻~77 ㌻&一:95~97>
★当時の世界の情勢★
◎1891年:シベリア鉄道起工(ロシアの産業革命本格化)
。
◎1896年:第1回国際オリンピック大会がアテネで開催。
[本日の名言:およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。
(岩崎弥太郎)]
19.資本主義と寄生地主制~社会問題の発生~
①【 発表 】プレゼンター[
さん]
ワンセンテンスコメント(プレゼンの感想を書き残そう!)
②【 導入 】~本日の杉山コレクション“足尾銅山のスライドショー”~
Question
③【 講義 】KP法による本日の単元についてのレクチャー(メモ&アンダーラインもしてみよう!)
Related matters
日本の産業革命
軽工業①
軽工業②
日清戦争~日露戦争時
紡績(ガラ紡発明)
綿織物
軽工業は紡績業など
大阪紡績会社
(力織機考案)
重工業は造船業など
(渋沢栄一)
座繰製糸から器械製糸
重工業
鉄道
電力
Trend of the times
官営八幡製鉄所
1881 日本鉄道会社
水力発電事業
三菱長崎造船所
1889 東海道線全通
大都市で電灯
1906 鉄道国有法
普及が始まる
労働運動
ストライキ
労働組合期成会
高野房太郎・片山潜
社会運動
1891 足尾鉱毒事件
田中正造の直訴
社会主義運動
政府の対応①
政府の対応②
1901 社会民主党
1900 治安警察法
1911 工場法公布
1906 日本社会党
(労働者の団結権・争議
条件つきで深夜業を認
権などに制限)
める等不備のある内容
1910 大逆事件
※号令(生徒Aさん&Bさん)
①【 発表 】生徒Aさん&Bさんによる前時の復習(KP法による発表)
[5~10 分]
②【 導入 】本日のクエスチョン提示&実物史料(映像資料)等提示[5 分]
③【 講義 】KP法(板書)による本日の単元についてのレクチャー[10 分] ④1 チーム 2~5 人
※教え合い・質問を積
④【 作業 】ワーク(個人/ペア/チーム)
[15~20 分]
⑤【 学習 】ワーク(B)の答え合わせ&解説(本日のアンサー)
[5 分]
極的に!
⑥【 内省 】振り返りシート記入&確認問題の答え合わせ[5 分]
※時には 1 人でもOK!
※ 次回復習担当者の確認(最後の号令は行いません)
※教科書&一問一答必須!
④【 作業 】ワーク(個人/ペア/グループ)
(A)基礎レベル:内容理解(教科書&一問一答を参照して、以下の問題に取り組もう!)
<歴史的用語を確認しよう!(一問一答 95~97 参照)>
基礎事項(漢字にすること)
意味
キギョウボッコウ
1886 年頃より始まった、
[
(P.294)
株式会社の設立ブーム。
モチカブガイシャ
財閥は[
(P.298)
のような株式所有によって財閥内の各企業を支配していた。
タイギャクジケン
1910 年幸徳秋水らが処罰された事件。これにより社会主義運動は、
(P.301)
[
]
・鉄道部門を中心とした
]形態を採用し、三井合名会社など
]を迎えることとなった。
<時代の流れを確認しよう!(教科書 P.74~P.77 参照)>
きぎょうぼっこう
[産業革命の進行]日清戦争は産業の発展を促し鉄道や繊維産業の企業が多数設立された。これを企業勃興
という。日清戦争の勝利によって得た多額の賠償金を軍備拡張にあてるなど,来るべき戦争に備えた(戦後
経営)
。また政府は,1897 年,貨幣価値の安定と貿易振興をめざし金本位制の実施にふみきった。紡績業で
ざぐりせいし
は 1897 年には[
]が輸入量を上回った。製糸業も 1894 年,機械製糸が座繰製糸の
生産高を上回ったが,生糸は外貨獲得のための重要な輸出品であった。こうして日清戦争後に産業革命が進
行し,製造業を中心とする産業資本が確立し,機械を使う工場で働く労働者が増えた。
[寄生地主制の確立]多くの農民は没落して小作農へと転落し,地主はさらに土地を買い集めた。大地主は
こうさい
小作料収入を株式や公債などの投資にあてた。この体制を寄生地主制とよぶ。1900 年に制定された治安警察
法も,
[
]などをおさえて地主の支配権を守る役割を果たした。こうして地主は,村政
を牛耳り,小作農民をも支配した。
[財閥の成立]1901 年,官営の八幡製鉄所が完成し,1906 年には国内生産の鉄鋼の 90%を占めた。さらに造
船・海運業の大型化・高速化がはかられた。アジア最大の港となった横浜港では 1880 年代末から大規模な築
港工事がおこなわれた。1906 年には鉄道国有法が成立し民営鉄道の多くが国有となった。
[
]
・
[
]
・
[
]
・
[
]は,持株会社を中心に金融・産業・商業取引
を統一的に支配する同族支配のコンツェルン形態をととのえ,1910 年代以降四大財閥とよばれ,日本経済を
支配するようになった。他方,紡績業では,大日本紡績連合会のようなカルテルが発達した。製糖業・捕鯨
業・化学肥料工業などの産業部門では,企業合同によって市場を独占的に支配するトラストが成立した。
[社会問題の出現]寄生地主制のもと,小作農は 5 割をこえる高率の小作料を納め,農家の女子は紡績工場
や製糸工場に出稼ぎし家計を支えた。松方デフレ以後,土地を失った農民が大都市に流入し下層社会を形づ
くった。鉱山などの現場では暴力的な強制のもとで働かされたりした。これらの問題は社会の関心を集め,
松原岩五郎は『最暗黒の東京』を著し,横山源之助は[
]で労働者や小作
農民の労働と生活の実態を告発した。農商務省も『職工事情』を刊行した。
[労働運動・社会主義運動のおこり]工場で働く労働者が増えると,労働争議が発生するようになった。ア
メリカで労働運動を体験した高野房太郎・片山潜らは,1897 年に[
]を結成し
た。1898 年,安部磯雄・幸徳秋水らは社会主義研究会を組織し,これを母体に 1901 年,日本最初の社会主義
政党である社会民主党を結成した。しかし,治安警察法により禁止に追い込まれた。
[日露戦後の社会と大逆事件]日露戦争に勝利し,一層の軍備拡張を推進した。そのため,増税は戦後も継
続され国民生活は疲弊していた。そのうえ 1907 年から翌年にかけて恐慌がおこり,農村にも広がった。こう
した状況への不満から社会主義や個人主義の風潮が広まることを恐れた第 2 次桂太郎内閣は 1908 年,戊申詔
書を出し,
[
]の主導により地方改良運動を展開した。それは,国力増強と国家に対す
ていこくざいごう
る忠誠心を強化することを目指すものだった。また 1910 年には,兵役終了者の全国組織である帝国在郷
ぐんじんかい
軍人会を設立し,軍部による国民統合をすすめた。第 2 次桂内閣は,1910 年,大逆事件をひきおこし,社会
主義者を弾圧した。これ以後,社会主義運動は,表立った活動ができない[
]に
入った。政府は 1911 年,工場法を制定したが,施行は 1916 年まで遅れ内容も不十分なものとなった。
(B)応用レベル:資料読解(本日の資料&教科書を参照して、穴埋めをして問いに答えてみよう!)
<足尾鉱毒事件のきっかけとなった古河企業の古河市兵衛は悪者?(本日の資料参照)>
@足尾銅山鉱毒事件のきっかけとなった古河企業の古河市兵衛について、シンキングツールの PMI を用い
て評価をしてみよう。
(各項目 2 つ以上は明記しよう!)
Plus(いいところ)
Minus(だめなところ)
Interesting(おもしろいところ)
(C)発展レベル:相互理解(
(A)
(B)で物足りない貴方へ…試験のつもりでやってみよう!)
@“自分自身からみた古河市兵衛の評価”について、以下のキーワード(全て使用する必要なし)を用いつ
つ、教科書、一問一答、本日の資料を活用して、60 字~80 字以内でまとめよう!(※最低 1 名と交換し相
互理解を深めよう。
)
キーワード: 古河企業 足尾銅山 鉱毒 渡良瀬川 公害
60
80
Memo
19.資本主義の発生と寄生地主制 No.2
~ 本日の資料 ~
<古河市兵衛(ふるかわいちべえ)とは?>
~混沌から救うのは「弥太郎より市兵衛」運は大切だが、やり遂げるには愚鈍さと根気が必要~
日本屈指の名門企業とされるのが創業 1875(明治 8)年の古河機械金属である。創業者は裸一貫から、日本の
「鉱山王」と呼ばれるまで事業を拡大した古河市兵衛だ。足尾銅山を開発し、旧古河財閥の礎を築いた。そこか
ら、古河電気工業や富士電機ホールディングスなど数多くの企業が育っていった。
で っ ち ぼうこう
古河市兵衛は 1832 年、京都で生まれ、その後に丁稚奉公や行商に従事した後で、生糸貿易などを生業とした
小野組の番頭だった古河太郎左衛門の養子となる。小野組はその後に倒産した。ただ、市兵衛は小野組が所有し
くさくら
ていた新潟県の草倉銅山を買い取って経営に乗り出した。鉱山事業進出には盟友であり、第一国立銀行の責任
者も務めた渋沢栄一の支援があった。そして、その後に、草倉鉱山で得た資金で、すでに採掘され尽くしたと思
われていた足尾銅山を買収した。周囲は誰もがこの買収に反対したが、新鉱脈を次々に発見した。日本の銅生産
の 3 分の 1 ぐらいを占めたとされる。市兵衛が足尾銅山で成功できたのは、新技術を精力的に取り組んだことが
大きい。例えば、1890 年には日本で初めての水力発電所を建設し、足尾銅山内の作業で電化を実現した。この
結果、廃水処理などが容易になり、生産性を一挙に高めることができたのだという。当時の有力雑誌でも、最も
いわさき や た ろ う
人気のある経営者として選ばれたのは三菱グループを築いた岩崎弥太郎ではなく、市兵衛だった。
市兵衛はその後、
「鉱毒王」とも言われ、日本全国から批判された。
それは足尾銅山の鉱毒問題だ。元衆議院議員だった田中正造が明治天皇
わた ら せ が わ
に直訴を試みたことでも有名だ。これは足尾銅山周辺の渡良瀬川流域では
銅の生産過程で出てくる有害物質が人体や農作物に大きな影響を及ぼして
いた。明治政府は大規模な予防工事を命令した。市兵衛は私財を投げ打ち
半年間で 60 万人近い労働者を投入した。鉱毒問題は他の鉱山でも起きてい
たが、真っ先に責任を認めて、対策に動いたのは市兵衛だった。
市兵衛が残したのが「運鈍根(うんどんこん)の教え」である。これは人間にとって最も大切なのは運だとし
ぐどん
ても、何か重要なことをやり遂げるには愚鈍さと根気が必要だと言うことである。これは古河機械金属という企
業にとっても、受け継がれている考え方なのだという。
(出典:日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100825/215959/?rt=nocnt)
<富岡製糸場(
『女工哀史』
・
「あヽ野麦峠」
)>
⑤【 学習 】ワークの答え合わせ&杉山による解説(本日のアンサー) (※⑥は別紙)
Answer