日本史テキスト③

○ 大正時代 〜大正時代の内閣〜 ・第三次桂太郎内閣 第一次護憲運動(憲政擁護・閥族打破)→桂太郎の退陣要求 ・尾崎行雄(立憲政友会)「 ・犬養毅 (立憲国民党) →これに対し、桂太郎は立憲同志会で対抗するが、53日で退陣 ・第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍) 1913年 軍部大臣現役武官制改正 →現役以外の予備役・後備役も可に。 文官任用令改正 規制緩和により、政党員の政界進出可に。 1914年 シーメンス事件 →海軍による汚職事件→退陣 ドイツ・・シーメンス社 イギリス・・ヴィッカース社 1
・第二次大隈重信内閣(立憲同志会) 1914年 第一次世界大戦 (原因) ①軍事的対立 三国同盟(ドイツ・オーストリア・イギリス) VS 三国協商(イギリス・フランス・ロシア) ②帝国主義的対立 3B 政策 (ベルリン・ビサシチウム・バクダット) VS 3C 政策(カイロ・ケープタウン・カ
ルカッタ) ③民族的対立 汎ゲルマン VS 汎スラブ バルカン半島はヨーロッパの火薬庫 サライェヴォ事件 →オーストリアのフェルディナンド皇太子が、青年プリィンツィプに暗殺される。 (→直接の原因) ○ 日本は日英同盟を理由に、連合軍に参加 ※ この時、井上馨は「天佑」と表現。 →膠州湾・青島・南洋諸島を攻撃 1915年5月9日(国恥記念日) 対華二十一箇条の要求 を袁世凱へ (内容) ・
山東省のドイツ権益の日本継承 ・
満州・内蒙古の特殊権益と、旅順・大連の租借権延長 ・
南満州鉄道の租借権延長 ・
福建省の不割譲条約 ・
漢冶萍公詞の共同経営 ・
中国政府、地方警察の日本人登用(中国はこれを拒否) 1916年 第四次日露協約 中国が、日本・ロシア以外の第三国に支配されないように。 2
・寺内正毅内閣(陸軍) 1916年 西原借款 西原亀三が中国の段祺瑞政府に、無利子・無担保で1億4500万を貸与 →中国から利権を獲得したい 1917年 石井・ランシング協定 日本はアメリカに門戸開放を認める アメリカは日本の特殊権益を認める 1917年 ロシア革命 ボリシェビキを率いるレーニンが初の社会主義政権樹立を目指す。 1918年 シベリア出兵 ・・・日英米仏 →チェコスロバキア軍の救出を名目として、ロシア革命の阻止を狙った ※ この時、日本国内では米騒動(越中女一揆)富山から全国へ ・ 原敬内閣(立憲政友会) ・・・平民宰相 ○初の本格的政党内閣 陸相・海相・外相以外は全て政友会で組閣 四大政綱 ① 教育改善 ② 交通・通信整備 ③ 産業・貿易振興 ④ 国防強化 1919年 選挙法改正 納税額 10円(2、2%) →3円(5、5%) ※ 普通選挙には否定的だった。 3
同1919年 パリ講和会議 ベルサイユ条約の締結 日本全権:西園寺公望 ・ 中国山東省の旧ドイツ権益を日本が継承 ・ 南洋諸島の日本の委任統治権 米:ウィルソン大統領が「平和原則14箇条」 →「民族自決」…各地で独立運動 三・一独立運動(万歳事件) 日本の植民地支配に対し、朝鮮で独立運動が起こる。 →朝鮮と日本は同族である(民族自決に反せず) 五・四運動 パリ講和会議で中国の主張が無視された。二十一箇条の要求拒否を求め、ベルサイ
ユ条約調印拒否、日本製品の不買運動 1920年 国際連盟の設立(本部:ジュネーブ) 英仏日伊(のち独参加)が常任理事国 新渡戸稲造が事務局次長 問題点 ・アメリカの不参加 ・経済制裁のみ ・全会一致性 ※原敬が東京駅にて中岡昆一によって暗殺 4
・高橋是清内閣(立憲政友会)・・・だるま宰相 1921年 ワシントン会議 アメリカのハーティング大統領が提唱 →建艦競争を終わらせる (本音) ・自国の財政難 ・日本の軍事拡大の阻止 (日本全権) 加藤友三郎(海相) 幣原喜重郎(駐米大使) 徳川家達(貴族院議長) 四カ国条約 米英仏日 太平洋に置ける領土・権益の現状維持 →日英同盟破棄 海軍軍縮条約 (締結は加藤内閣) 今後10年間主力艦の建造禁止 保有制限 米:英:日:仏:伊=5:5:3:1、67:1、67 九カ国条約 (締結は加藤内閣) 米・英・日・仏・伊・中・蘭・白・葡 ・二十一カ国の要求破棄 ・石井・ランシング協定破棄 →中国を大戦前の状態に ⇒山東省返還条約 ワシントン体制 5
日本の勢力拡大を抑え、アジア・太平洋の安定をめざす。 1922年 全国水平社 部落差別の廃止を求める 西光万吉 水平社宣言 「〜人の世に熱あれ、人間に光あれ」 ・加藤友三郎内閣 1922年 シベリア出兵 (海軍軍縮条約・九カ国条約締結) 1923年8月23日 加藤友三郎 病死 8月24日⇒内田康哉 臨時内閣を発足 9月1日 関東大震災 ・第二次山本権兵衛内閣 1923年 モラトリアム 蔵相井上順之助 30日間の支払い猶予 震災手形割引損失補償令 震災により支払い不能になった手形の損失に対し政府が特別融資 戒厳令 発令 ・朝鮮人虐殺事件(自警団による朝鮮人狩り) ・亀戸事件(労働運動家10人が亀戸署で殺害) ・甘粕事件(大杉栄・伊藤野枝が甘粕正彦に殺害される) ・虎ノ門事件(摂政裕仁親王が難波大助に狙撃される) 6
・清浦奎吾内閣(枢密院)超然内閣 ○貴族院中心に組閣、政党員の入閣をさせず ⇒第二次護憲運動 護憲三派 ・政友会 高橋是清 ・憲政会 加藤高明 ・革新倶楽部 犬養毅 普選断行・行政整理・枢密院改革 清浦奎吾は政友本党(床次竹二郎→後、憲政会に合流)で対立 ・ 加藤高明内閣(憲政会)護憲三派内閣 1925年 日ソ基本条約 全権 芳吉謙吉 外相 幣原喜重郎 →協調外交・・・中国不介入・ワシントン体制 普通選挙法 満25歳以上の全ての男子に選挙権(20.8%) 治安維持法 (背景) ・ソ連との国交樹立による社会主義思想拡大 ・普通選挙法による社会運動激化 7
〜昭和の内閣〜 ・ 第一次若槻礼次郎内閣(憲政会) ※ 憲政会⇒外交に力をいれない 政友会⇒外交に力をいれる 1926年 大正天皇崩御 1927年 金融恐慌 ・ 震災手形の処理中に蔵相片岡直温が失言 「渡辺銀行が破綻しそう」 →取り付け騒ぎとなり預金者が銀行に殺到 中小企業の失業・倒産があいつぐ ※ 第十五銀行(華族銀行)も休業 台湾銀行の多額の不良債権も発覚(鈴木商店に無利子無担保) ○ 政府は特別融資により台湾銀行救済案 →これに枢密院(伊東巳代治)は反対 ※ 幣原喜重郎外相の協調外交が気に入らない。 →総辞職 ・ 田中義一内閣(立憲政友会) 1927年 特別融資緊急勅令 →台湾銀行救済 蔵相 高橋是清 モラトリアム(三週間) →金融恐慌収束 ⇒預金は安定している三井・三菱・住友・安田・第一に集中 8
○強硬外交 中国での権益拡大を狙い、満州軍閥の張作霖との関係を強める 1927年 東方会議 対支政策綱領⇒満・蒙の獲得を狙う 山東出兵(3回に渡る)に実地 (目的)蒋介石による北伐の妨害 (口実)日本人居留民の保護 1927年 第一次山東出兵 1928年 第二次山東出兵(済南事件:北伐軍と交戦) 満州某重大事件 ⇒北伐軍の北京入りを機に奉天に引き上げる張作霖を列車ごと爆殺 (首謀者)河本大作関東軍参謀 第16回帝国議会総選挙(第1回普通選挙) 有権者は4倍になる(1250万人) 無産者も選挙に 社会民衆党(安部磯雄・鈴木文治)・労働農民党(山本宣治) ○共産党が公然と活動 ◎社会運動の激化 1928年 三・一五事件 ・共産党員を大量検挙 ・労働農民党解散 ※ 「全国」に特高(特別高等警察)を設置 ※1911年 大逆事件の際、警視庁に特高設置 1926年 四・一六事件 共産党員の大量検挙 9
1927年 ジュネーブ会議(補助艦の保有制限) ⇒1928年 パリ不戦条約(全権:内田康哉) 「人民の名において・・・戦争禁止」 →枢密院が問題視。天皇主権を侵害している ・浜口雄幸内閣(民政党←憲政会+政友本党) 1929年 世界恐慌 ニューヨーク ウォール街で株価が大暴落 →ブロック経済 米 ドルブロック 英 スターリングブロック 仏 フランブロック 植民地との結びつきを強化し、貿易を制限する 1930年 金解禁 蔵相井上準之助 ・ 輸出の拡大をねらう ・ 円安に設定(100円=49、85$) ⇒昭和恐慌 ・ 米が大豊作→米価下落 ・ 生糸・繭の輸出減・価格下落 →農家は大打撃、小作争議が多発 ・一方、企業の倒産・失業が増える 都市部では労働争議が多発 ※鐘淵紡績争議 給料4割減に反発 日本労働組合総連合が指導 ・娘の身売り、欠食児童が目立つ 10
1931年 重要産業統制法 産業の合理化を進める カルテルの結成を保護 →五大財閥の支配力が強まる ※緊縮財政により蔵相井上は恐慌を乗り越えようとする。 ________ 1930年 ロンドン海軍軍縮条約(全権:若槻礼次郎) ・ワシントン海軍軍縮条約を5年延長 ・補助艦の保有制限 米:英:日=10:10:7 ※統帥権干犯問題 軍縮条約を締結した政府を、軍部・政友会が批判し、右翼も同調 浜口は右翼青年の佐郷屋留雄に刺され重体 1931年 三月事件 陸軍 橋本欣五郎率いる桜会によるクーデター 宇垣一成内閣の樹立を目指す ・第二次若槻礼次郎内閣(立憲民政党) 1931年 柳条湖事件 関東軍 石原莞爾、板垣征四郎らが奉天郊外で満鉄を爆破 →これを中国の仕業に見せかけ満州へ進軍(満州事変) ◎国内世論 ・ 政党政治が恐慌に対応できず失望 ・ 協調外交への不満 ・ 満鉄の経営が悪化 ・ ソ連への危機感 →大陸進出へ 11
◎対外的要因 万宝山事件・・・満州・朝鮮国境付近で水利をめぐって対立 中村大尉事件・・満州をスパイしていた中村震太郎が殺害される ※若槻は満州での問題に消極的(不拡大方針) しかし、関東軍と朝鮮人が戦火を拡大 内相安達謙蔵は「協力内閣論」により、内閣の意思統一を図るが失敗 1931年 十月事件 橋本欣五郎によるクーデター 荒木貞夫内閣の樹立を目指すが失敗 ・ 犬養毅内閣(立憲政友会) 1931年 金輸出再禁止 蔵相 高橋是清 ※ この頃、綿織物の輸出がイギリスを抜き世界一 1932年 第一次上海事変 上海で日本人僧が殺害されたのを機に日中が交戦 血盟団事件 井上日召の血盟団による要人暗殺事件 一人一殺 井上準之助、団琢磨 1932年 満州国 建国 ・五族協和(満州・漢・蒙古・朝鮮・日本)・王道楽土 愛新覚羅溥儀(宣統帝)(清朝最後の皇帝)を執政とする(1934年 皇帝) ※じっさいのところ、日本政府による傀儡政権 ◎中国側は日本を国際連盟に訴える →リットン調査団を派遣 12
1932年 五・一五事件 海軍の青年将校らによるクーデター 犬養毅を暗殺 (実行犯:三上卓) ※政党政治の終焉(1924〜1932) ・斎藤実内閣(海軍) 挙国一致内閣 1932年 日満議定書 (全権:武藤信義) 日本が満州国を承認 ・ 日本軍の満州駐在 ・ 日本の権益尊重 ・ 官吏に日本人登用 この後、リットン調査団が調査結果報告 →日本の満州国撤退を勧告(42:1で国連総会可決) 1933年 日本が国際連盟を脱退 (大使:松岡洋右) 塘沽停戦協定 ・ 国民政府は日本の満州支配を黙認 ・ 華北に非武装地帯を設ける ※ この頃、滝川事件 京都大学教授滝川幸辰による「刑法読本」が発禁となる 13
・岡田啓介内閣(海軍) 1935年〜1936 年 天皇機関説事件 東大の美濃部達吉による「憲法撮要」が発禁となる ◎菊治武夫が美濃部の学説を反国体的であると批判⇒美濃部は貴族院辞職 ↓ 「国体明徴声明」を発表 「天皇が統治権の主体である」 これ以降思想の弾圧が強化される 1936年 相沢事件 陸軍皇道派の相沢三郎が統制派の永田鉄山を殺害。 ・皇道派・・・天皇親政を目指す(荒木貞夫・真崎甚三郎) ・統制派・・・軍部・経済を統制し、高度国防国家を目指す (永田鉄山・東条英機) 1936年 二・二六事件 皇道派の青年将校らによるクーデター (北一輝の影響が大きい)⇒猶存社「日本改造案大綱」 ・ 警視庁、朝日新聞、首相官邸を襲撃 斉藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監・・・死亡 鈴木貫太郎侍従長・・・重傷 ◎二月二十七日に戒厳令発令 ・広田弘毅内閣 広義国防国家 1936年 軍部大臣現役武官制の復活 ・軍部中心の予算を組む ・新税の導入、公債の発行 蔵相 馬場鍈一 14
日独防共協定(東京・ベルリン枢軸) 共産党の勢力拡大防止 ⇒ソ連を仮想敵国とする。 コミンテルン(国際共産党)の拡大防止 西安事件 張学良が蒋介石を監禁⇒内戦(中国国内における共産党と国民政府の対立)停止と
抗日を訴える 1937年 第二次国共合作 抗日民族解放戦線を結成 ※腹切り問答 政友会の浜田国松が国会で陸軍をバカにする。⇒陸軍寺内寿一と口論 この後、宇垣一成に組閣の命がくだされるが、陸軍の協力が得られず、失敗 (宇垣流産内閣) ・ 林銑十郎内閣(陸軍) 軍財抱合・・・財界から結城豊太郎を蔵相に迎える ◎政党との調整がうまくいかず、4ヶ月で辞職 ・第一次近衛文麿内閣(貴族院議長) 1937年 7月7日 盧溝橋事件(支那事変・北支事変) 北京郊外での発砲事件を機に日中が軍事衝突 →日中戦争 8月 第二次上海事変 大山中尉射殺事件を機に、日本が上海を攻撃 12月 南京を占領 蒋介石は国民政府を重慶・武漢に移す ◎近衛は不拡大方針を打ち出し、和平工作をする。 ドイツのトラウトマンに仲介を頼むが失敗。 15
◎ 中国との和平耕作に失敗した近衛内閣は近衛声明を発表 1938年 1月 第一次近衛声明 「国民政府を対手とせず」(蒋介石政権の否認) 11月 第二次近衛声明 「東亜新秩序建設」戦争目的の提示 12月 第三次近衛声明(近衛三原則) 善隣友好・共同防衛・経済提携(日・満・韓の体制強化) (1937〜)国民精神総動員運動 戦争遂行のためのスローガンを掲げる 挙国一致・忠君愛国・堅忍持久 →「国体の本義」・・・天皇中心国を再教育 ※ 1941の「臣民の道」と区別 1938年 4月 国家総動員法 議会の承認無しで、人・物・金を動員可能に これ以降の統制法は議会を通さず「勅令」として出る。 日独伊防共協定 東京・ベルリン・ローマ枢軸 7月 張鼓峰事件 ・平沼騏一郎内閣(枢密院議長) 統制経済 ・賃金等製法・・・初任給を業種別に定める ・米穀配給統制法・・・米を政府管理に ・ 国民徴用令・・・国民の強制微用を可能に 16
1939年 ノモンハン事件 満蒙国境をめぐる戦争、ソ連の戦車部隊によって日本は大打撃 日米通商航海条約を通告 →1940年1月より戦略物資の対日輸出禁止 独ソ不可侵条約 独ヒトラー ソ連 スターリン →平沼騏一郎「欧州情勢は複雑怪奇」 ・阿部信行内閣(陸軍) 統制経済 ・価格統制令・・公定価格の設定 ・賃金臨時措置法・・・賃上げのストップ ・小作料統制法・・・小作料の制限 1939年 ドイツがポーランドに侵攻 →第二次世界大戦 ・米内光政内閣(海軍) 1940年 反軍演説 斎藤隆夫(民政党)が日中戦争の処理について軍部を批判し除名される ※斉藤の除名に反対した片山哲も除名 南京政府(新国民党政府) 汪兆銘(国民党副総裁)が近衛声明に応じて重慶を脱出。南京に新政府を樹立。 日華基本条約により日本は正式に承認。 17
・第二次近衛文麿内閣(枢密院議長) 基本国策要項 →大東亜新秩序建設 1940 新体制運動 ・ナチスのファシズムの影響 ・一党支配体制 →大政翼賛会 総裁 近衛文麿 全ての政党を解散し、挙国政党とする。 最初に解散→社会大衆党 最後に解散→立憲民政党 下部組織 都市・・・町内会 農村・・・部落会 ⇒隣組 第二本産業報国会 総裁は厚生大臣 労働組合・労働団体は解散 ※最大の労組である全日本労働総同盟も解散 工場ごとに産業報国会「労資一体・産業報告」 1940年11月10日 皇紀2600年記念式典 神武天皇即位2600年を祝う 1940年 北部仏印進駐(仏領インドシナ進駐) ・援蔣ルートの遮断(米・英による蒋介石の支援ルート) ・天然資源の確保 日独伊三国軍事同盟 外相 松岡洋右 全権 来栖三郎 仮想敵国をアメリカとする 18
これに対するアメリカの対抗措置 ・ くず鉄・鉄鋼の対日輸出禁止 ・ 航空燃料の対日輸出禁止 1941年4月 日ソ中立条約〜北方の安全確保 日本 松岡洋右 ソ連 モロトフ 期限5年 「中立友好・領土保全」 日米交渉 〜11月 駐米大使 野村吉三郎 米国国務長官 ハル 7月 御前会議 帝国国策要項 ・独ソ戦海開戦に伴う対ソ戦準備 ・南部仏印進駐 9月 御前会議 帝国国策遂行要項 ・開戦やむなし⇒10月開戦準備 ※ABCD 包囲陣により日本を経済封鎖(アメリカ・イギリス・中国・オランダ) 南部仏印進駐 ・・・天然資源の確保(天然ゴム・石油) アメリカ・・・在米邦人の資産凍結 イギリス・・・日英通商航海条約廃棄 ・東条英機内閣(陸軍) 1941年 11月 ハルノート(米国側の最終提案) ・中国・仏印からの撤退 ・南京政府の否認 ・日独伊三国同盟の廃棄 19
・中国を満州事変前に戻す 12月 御前会議 12月8日、日米開戦決定 ハワイ真珠湾を奇襲⇒太平洋戦争 1942年 6月 ミッドウェー海戦 主力艦2隻を失い壊滅的 →太平洋上の制空権・制海権を失う 1943年 ソロモン開戦→ガダルカナル島撤退 1944年 インパール作戦 失敗 マリアナ会戦→サイパン島陥落 →日本本土の制空権を失う ⇒東条英機内閣総辞職 ・小磯国昭内閣 1944年 10月 レイテ島開戦 主力艦「武蔵」を失う 11月 本土空襲始まる 1945年 ヤルタ会談(クリミア半島) 米 F・ルーズベルト 英チャーチル ソ連 スターリン ・戦後のドイツの処分 ・ソ連の対日参戦⇒樺太・千島の領有 3月 東京大空襲 硫黄島の戦い 4月 沖縄戦 ・女子学徒隊 ・鉄血勤皇隊 20
・鈴木貫太郎内閣 1945年 5月 ドイツ降伏 7月 ポツダム会談 米トルーマン 英チャーチル(のちにアトリー) ソ連スターリン ポツダム宣言の発表 蒋介石の承認で米・英・中の名で発表 8月6日 広島に原子爆弾投下(リトルボーイ) 8月8日 ソ連対日参戦(9日より侵攻) 8月9日 長崎に原子爆弾投下(ファットマン) ⇒御前会議 ・東郷茂徳外相「国体護持」を条件に降伏 ・阿南惟幾陸相「本土決戦」も辞さず 8月14日 ポツダム宣言受諾 8月15日 終戦の詔勅⇒玉音放送 ・東久邇宮稔彦内閣 「一億総懺悔」「国体護持」を唱え敗戦処理 1945年 降伏文書調印 軍艦ミズーリ 署名 重光葵外相・梅津美治郎参謀総長 GHQ(連合国軍総司令部)の設置 最高司令官マッカーサー 占領政策は間接統治(内閣に支持を出していく) ※ 南樺太・千島・南西諸島・小笠原諸島は直接軍政 21
プレスコード 新聞・出版検閲基準、占領軍への批判禁止 ※同様に、ラジオコードも設定 人権指令 ・治安維持法廃止 ・特高廃止 ・政治犯、思想犯の釈放 ⇒国体護持を理由に反対、東久邇宮稔彦は辞職 ・幣原喜重郎内閣(日本進歩党) by マッカーサー 1945年 五大改革指令 ・婦人解放 ・労働組合の結成奨励 ・教育の自由主義化 ・経済の民主化 ・圧政的諸制度の撤廃 財閥解体 1946年 持株会社整理委員会 ・15財閥の資産を凍結 ・財閥の持ち株を公売 22
1947年(吉田内閣) 独占禁止法・・公正取引委員会 1947年(片山内閣) 過度経済力集中排除法 →巨大企業の分割(325社が対象)→実際の分割は11社 農地改革・・・寄生地主制度の解体 1946年 2月 第一次農地改革 〜改正農地調整法 ・小作料の金納化 ・不在地主の土地保有不可 ・不在地主の土地保有制限〜5町歩まで 農地委員会(地主5名小作5名自作5名) 10月 第二次農地改革(吉田内閣) 〜自作農創設特別措置法〜 ・小作料の制限 田・・・収穫高の25%まで 畑・・・収穫高の15%まで ・在村地主の保有制限 北海道・・・4町歩まで 内地・・・・・1町歩まで 農地委員会(地主3名小作5名自作2名) この結果、小作農の割合は10%以下となり、自作農が増え、農業協同組合が結成さ
れる。 23
(1945年)神道指令(国家神道の禁止) →1946年1月 天皇人間宣言・・・自ら神格化を否定 2月より地方巡業、沖縄以外の全国を訪問 →政教分離の原則 1951年 宗教法人法の制定 公職追放 戦争協力者、戦争犯罪人を公職から追放 1946年2月 金融緊急措置令(新円切り替え) 戦後のインフレ収束のため、新円を発行 旧円・新円の交換は 1 人100円まで 1世帯500円までとし、残りは預金封鎖 憲法問題調査委員会 の設置 新憲法の草案を作成 委員長 松本烝治 →新憲法草案(松本草案)は GHQ から却下される GHQ(マッカーサー案)が提示される 衆議院議員総選挙 →選挙法改正・・・満20歳以上の男女 78名の女性が立候補し39名が当選 24
・第一次吉田茂内閣(日本自由党) 1946年11月3日 日本国憲法 公布 第日本帝国憲法の改正手続き ※ その他の憲法草案 民間の憲法研究家会「憲法草案要綱」 日本共産党「人民共和国憲法草案」 1947 二・一ゼネスト 二月一日にゼネラルストライキを計画 日本労働組合総同盟 全日本産業別労働組合会議 →GHQ の指令により中止 教育の民主化について 1947年 教育基本法・・・教育の機会均等、男女平等、9年間の義務教育 学校教育法6・3・3・4制の導入 ※教育委員会の設置は1948芦田内閣 →はじめは公選制、のちに任命制 ・片山哲内閣(日本社会党) ◇日本初の社会主義政党内閣 →単独ではなく、民主党・国民共同党との連立 1947年5月3日 日本国憲法施行 労働省の設置 内務省の廃止 国家公務員法の制定 25
◎ 吉田茂内閣から傾斜生産方式を引き継ぐ →復興資金を基幹産業に優先的に融資 そのためにの金融機関・・・復興金融金庫 ☆その原資は日銀引き受けの国際だったためにインフレを起こす(復金インフレ) ・芦田均内閣(民主党) 1948年 政令201号 公務員によるストライキを禁止 昭和電工事件 ・第二次吉田茂内閣(民主自由党→自由党) 1948年 極東国際軍事裁判(東京裁判) 検察官 キーナン(アメリカ) 裁判長 ウェッブ(オーストラリア) A 級戦犯28名が起訴 7名死刑 16名終身刑 2名有期刑 2名病死(1名発狂) ※ インドのパル判事のみ全員無罪を主張 経済安定九原則→復金インフレの収束 ・均衡予算 ・微税強化 ・貿易改善 ・賃金安定 ・為替管理 ・自給率向上 ・物価統制 ・融資制限 ・鉄鋼増産 1949年 ドッジライン デトロイト銀行頭取 ドッジ による政策 ・超均衡予算・・・絶対赤字を出さない ・単一為替レートの導入(1$=360円)円安に設定、日本の輸出増 26
シャウプ勧告 コロンビア大学 シャウプの勧告 税制改革 →直間比率の見直し ◎直接税中心(7:3) ※ドッジデフレで倒産が相次ぐ・・・国鉄が人員整理を発表 ↓ 1949年 下山事件 下山定則 轢死 三鷹事件 松川事件 1949年 中華人民共和国 成立 ・中国共産党毛沢東が国家主席 ・社会主義国 ※蒋介石の国民政府は台湾へ 1950年 朝鮮戦争 翌年休戦協定→1953年に調印 (板門店 北緯38度) この頃の国内は レッドパージ(赤狩り) 共産党員を公職追放 警察予備隊の発足 ※のちに保安隊(1952)→自衛隊(1954) 日本経済は特需景気(朝鮮戦争による) 次ページへ 27
1951年 サンフランシスコ講和条約〜日本の独立 ◇日本国内では 全面講和(同時に全ての国と講和) × VS ◎単独講和(個別に講和) 社会党・共産党 民主自由党 結果) 52カ国中48カ国と調印、全権は吉田茂 ・調印拒否 ソ連・ポーランド・チェコスロバキア ・不参加 インド・ビルマ・ユーゴスラビア ・未招待 中華人民共和国・中華民国 内容) ・台湾・南樺太・千島・澎湖の放棄 ・沖縄・小笠原のアメリカの信託統治 ・東南アジア諸国(フィリピン・ビルマ・南ベトナム・インドネシア)への賠償 ※ 1952 日華平和条約・・・中華民国との講和 日印平和条約・・・インドと講和 1954 日本・ビルマ平和条約・・・ビルマと講和 1951年 日米安全保障条約 米軍の日本駐留を認める ※日米行政協定で細目を決定 →各地で反対運動 内灘事件(石川) 砂川事件(東京) 北富士事件(山梨) 社会党分裂 右派 安保反対 左派(過激派)安保も講和も反対 28
1952年 皇居前広場事件(血のメーデー事件) →破壊活動防止法、スト規制法 1953年 池田・ロバートソン会談 日本の再軍備についての会談 1954年 MSA 協定(日米相互防衛援助協定) ・アメリカは対日援助を増やす ・日本は防衛力を増強する →自衛隊発足(陸上・海上・航空) ※ 政府…憲法では自衛権まで否定していないから ok →防衛庁の設置 ◎ この頃、第五福竜丸事件 翌年、ゴジラ ・ 鳩山一郎内閣 1955年 第1回原水爆禁止世界大会(広島) ◎神武景気〜「もはや戦後でない」 戦後初の好景気 要因) ・民間企業の設備投資増 ・高い貯蓄性と勤勉な労働力 ※この後、輸入超過により不景気となる。原材料の輸入でドルが底をつく鍋底不況 GATT に正式加盟 関税と協定に関する一般協定 次ページへ 29
55年体制 ①日本民主党と自由党が合併→自由民主党 初代総裁 鳩山一郎 ②社会党の右派と左派が合併 →第一党が自由民主党 第二党が社会党 となる 1 1/2政党と呼ばれる 1955年 アジアアフリカ会議(インドネシアバンドン) インドのネルー、中国の周恩来による平和5原則をきっかけにアジアアフリカ諸国が集
まる 29カ国が参加 平和10原則 非同盟主義 民族自決 ⇒西側にも東側にも属さない第三世界となる 1956年 日ソ漁業協定 ⇒日ソ共同宣言 日本・ソ連の戦争状態の終結 鳩山一郎・ブルガーニン ・ 平和条約締結後、色丹・歯舞を返還 ・ ソ連が日本の国際連合の加盟の支持 1956年 日本の国際連合加盟 ◎ 23年ぶりに国際社会に復活 30
・ 石橋湛山内閣 ・・・病気のために2ヶ月で退陣 ・ 岸信介内閣 「日本新時代」「三悪追放」 岩戸景気 ・ エネルギー革命 ・ 三種の神器・・・冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ 1960年 日米相互協力及び安全保障条約(新安保条約) 各地で安保反対闘争が激化 同時に日米地位協定を結ぶ ・ 池田勇人内閣 「国民所得倍増計画」 ⇒10年間で GNP を倍にする 1962年 キューバ危機 米ソ核戦争の危機 1963年 CTBT(部分的核実験禁止条約) オリンピック景気(1964年 東京オリンピック) 3C(Car/Cool/ColorTV) 1964年 IMF8条国となる・・・資本の自由化 OECD に加盟 ・・経済協力開発会議「先進国クラブ」 31
・佐藤栄作内閣 「非核三原則」持たず・作らず・持ち込ませず 1965年 日韓基本条約 韓国と国交回復 大韓民国を朝鮮半島唯一の合法的政府とする いざなぎ景気 ・・57ヶ月の好景気 投資が投資を呼ぶ 1967年 佐藤・ジョンソン会談 ⇒1968年 小笠原復帰 1969年 佐藤・ニクソン会談 ⇒日米共同声明 「核抜き」「本土なみ」で沖縄返還へ 1971年 沖縄返還協定 米軍基地の使用を認める ⇒1972年 沖縄返還 1971年 ニクソンショック 米ドル・金の交換停止を発表 ⇒各国が協調介入・・・ドル防衛 1$=360円→1$=308円 スミソニアン体制 32
・田中角栄内閣 「日本列島改造」 1972年 日中共同声明(中国との国交回復) 周 中華民国を否定、中華人民共和国の承認 →台湾との国交断絶 第4次中東戦争 イスラエル VS アラブ諸国 →石油危機(オイルショック) 固定相場制→変動相場制 ・ 三木武夫内閣 「クリーン三木」 1975年 第1回サミット(先進国首脳会議) 1976年 ロッキード事件 ・ 福田赳夫内閣 1978年 日中平和友好条約 33