森林という宝を守って

第1章
普及活動の思い出
森林という宝を守って
佐久市
小山
圭
私が山に係わるようになったのは、26年前主人が亡くなり、義
父と山へ登った時からでした。1年後義父が亡くなり、約250haの山
の経営が私の身にかかってきました。山育ちの私ですが、山の経営
には縁がなく、何もかも始めての体験でした。経営を考える前に、
まず山を知らなくてはなりません。幸い山を歩くことは小さい時か
ら好きでしたから、あまり抵抗なく山に入ることが出来ました。今
回50周年で表彰されました香山さんが、義父と一緒に山を歩いて
施業計画を作って下さってありましたので、それを基にかなりの日
数をかけて、毎日持山の地図に林班別に樹種齢を書き込んで、すべ
ての持山を歩きました。当時は北佐久地方事務所でしたが、普及職
員の方、小諸森林組合の方々には、一から教えていただきました。
何も知らない私ですから、教える方はさぞかし大変だったことと思
います。今は、森林組合の方と仕事の話が出来るようになりました。
山を知ること、山林経営を考えることによりも、待ったなしに相
続税の支払いのために伐採をしなくてはなりませんでしたので、た
だ夢中でやって来ました。家族の中で所有者の名前が変わるだけな
のに、どうしてこんなに緑を無くさなければいけないのか、家の財
産というより、国の宝が無くなって行くのではないかと云う疑問を
感じながら・・・・。
今、振り返って見ますと、2,3年で変わる普及の方々ですから、
大変大勢の方にお世話になりました。地方事務所も近く、担当範囲
も狭かったのでしょうか、よく我が家へもお見えいただきました。
もう定年でお辞めになった方、他の地域で活躍しておられる方、二
度三度と佐久地方事務所へ転勤していらした方、次から次へと私の
脳裏にお名前とお顔が浮かんでまいります。本当にありがとうござ
いました。ただ残念なことに、私が忙しくて山に入ることが少なく
なったためか、山の経営に情熱を失ってしまったのか、普及の方に
お願いやご相談をしなくなり、お会いする機会が少なくなったよう
に思います。
第1章
普及活動の思い出
女性も林業を理解しなければということで、塩尻の林業指導所へ
女性林業教室でお世話になりました。確か、第2回と思います。私
が受講した頃は、林業に関する基本的なことを教えていただいたよ
うに思いますが、今はどんなプログラムが組まれているのでしょう
か。その卒業生が中心となって、佐久地域は「萌の会」が発足し、
活動しております。普及の方には経営者協会、萌の会等いろいろな
研修・講習を企画していただき、3回に1回位いしか出席出来ませ
んが、楽しく勉強させていただいております。
これからの山はどのようにしたら良いのか、大変難しいと思いま
す。戦後植えたカラマツ、相続税で伐採したあと植林した山の育林、
まだまだ大変です。現在は大きな伐採をしなくてもよくなりました
ので、大径木を育てることを考え、需要のある時、択伐でと思って
おります。ここ数年は、間伐に対する補助金が林齢の大きい山にも
可能になりましたので、育林の面では、荒れている山も手入れが出
来て大変助かっております。しかし、カラマツ、アカマツがほとん
どの山ですから、現在の市況を考えますと、用材としての山でなく、
別の利用法も考えなくてはならないように思います。自分の山です
から自分で考えなくてはいけないのですが、私どものように少しば
かり広く持っておりますと、緑に空気にと環境のことを考えます。
個人のものであって皆のものと云う考えがいつも頭の中にありま
す。
父親が亡くなった時、小学校1年だった長男も、もう社会人です
から、山を覚え、山を考えて欲しいと思い、コンピューターで合理
的に経営は出来ないか、新しい山の活用方法はなどと話しているの
ですが、2人で考えるには情報が乏しく、勉強も足りません。これ
からは、今まで以上に普及職員の方々にはご迷惑を掛けながらお世
話になることと思います。大変勝手ですが、良いお知恵をお聞かせ
いただき、ご指導をお願いしたいと思います。
今まで数え切れない程、沢山のことでお世話になった大勢の方々
に、深く感謝申し上げます。