04-05.

嵐山渓谷 にはこんなに
かせ岩と旧水車と蚕影山
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ひ げました。その時も﹁かせる
この川で名前のある岩の
とつです。この岩に触れると のでさわるな﹂といわれてい
かぶれてしまうという噂があ ました。
ったので﹁かせ岩﹂と呼ばれ また、以前は製粉するため
ていました。かせるとは方言 の水車がありました。そのた
で﹁かぶれる﹂の意味です。 めに堰を作っていました。鎌
戦時中の軍事訓練として槻 形地区の堰は、木の杭と細木
川で水泳競技を行った際、冠 で壁を作り、その間に石を入
水橋のすぐ上流の岩から飛び れていくという方法です。都
込み、この岩を折り返し地点 幾川の石代の堰、新田堰もこ
にしていました。今はできま の 方 法 で堰をつくっていまし
︵今は水車の跡はありま
せんが、その頃は、水量があ た。
ったため、かせ岩の周りを泳 せん︶
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見所 があります
たくさんの
女久保という地域があり、
そ こ の 伝 説 で す。 そ の 中
で、源義賢の子、吉光御前
︵きっこうごぜん︶が子ど
もの頃に遊
んだ岩とも
言われてい
ま す。
︵吉
光御前は親
鸞上人の母
親です。
︶
亀の甲岩と吉光御前の伝説
飛び石の少し上流に変わ
った岩があります。亀の姿
に似ていることから亀の甲
岩と名付けられた、この岩
は遊歩道から良く見ること
ができます。
水量が多く、
水面
以前は、
から亀が頭を突き出してい
るように見えていました。
嵐山町の伝説に﹁おじょ
うろう屋敷と女くぼ﹂があ
ります。槻川付近に小字で
冠水橋
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おう穴
山の神とスダジイ
温泉遺跡「幸吉の湯」
BBQ
槻川は古くから地域の方
とともに歩んできました。
槻川の川床で採取される結
晶片岩は、古くは縄文時代
から利用され、中世には小
川町下里から仏教塔婆であ
る板碑がたくさん産出しま
した。
︵下里割谷遺跡︶
︵広
報嵐山2014年 月号に
﹁槻川の歴史﹂を掲載して
います。HPでご覧になれ
ます。︶
槻川の名所である嵐山渓
谷は、これからも多くの人
々に愛されながら豊かな歴
史を刻んでいくことと思い
ます。
今回の整備は、地域住民
の代表の方、関係団体、県
機関等と協議会をつくり、
実施したものです。
平成 年度は、冠水橋の
修繕や飛び石からトラスト
地までの箇所の古損木や不
空洞を作りだしています。大
変珍しい岩です。比企地区で
これほど大きなおう穴はここ
でしか見られません。それ以
外は、長 に行かないとおう
穴は見られないと思います。
良木の伐採を行い、本多博
士の﹁べた一面に紅葉﹂と
の記述があるとおり、紅葉
の植栽などを行ってまいり
ます。
また、槻川橋から千騎沢
橋までの間は、桜を植栽す
る予定です。
今後も﹁武蔵嵐山﹂の地
を大切に保存・活用してい
きます。
なお、今回紹介した箇所
には通常見ることのできな
い場所も含まれています。
決められた道路・遊歩道を
通行してください。民地は
勿論のこと、緑のトラスト
3号地の管理地には入らな
いようお願いします。
問合せ
地域支援課
☎
2152
まちづくり整備課
☎
0721
これからも嵐山町の﹁ふるさと﹂として
嵐山渓谷内の遊歩道は、自然の
中を歩く道です。落石、木の枝、降
雨による水位上昇、へびなどに十
分ご注意して歩行してください。
長い年月をかけ、川の流れ
の力によって流された小石
が、大きな岩の一部を削り、
どうげん
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嵐山町最古の
コンクリート橋
昭和 年に建設された谷川
橋は、嵐山町の最古のコンク
リート橋です。遠山地区の方
は、 こ の 橋 が な か っ た と き
は、トラスト地内の道路を自
転車で学校に通っていまし
た。この頃、遠山地区から平
沢地区に行くには、細い道を
登り峠の﹁遠山トンネル﹂を
抜 け て い き ま し た。
︵内田さ
んが子どものころにはトンネ
ルではなく、切通しだったと
のことです。︶
❾道元の滝と水族館跡
槻川橋
❷冠水橋
こういわ
かめ
ざわ
❶亀の甲岩と
きっこう ご ぜん
吉光御前の伝説
❽ごりん沢の展望
❹紅れん石片岩
❼与謝野晶子歌碑
新しい遊歩道と飛び石
❸かせ岩
遠山おう穴
かせ岩
本多静六博士が嵐山渓谷の風景を見た際に、その
景観が京都の嵐山に似ていることから
「武蔵嵐山」
と
命名した地。この石碑はそれを
記念して作られたものです。
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沢地区では、橋山という土
地をもっていました。現在
の塩山の一部で、そこで橋
用の木を育てていました。
季節橋は、大雨などで流さ
れてしまうので、橋山も大
切に管理していました。ま
た、地区
が共同で
﹁タコ﹂
という杭
を打つ道
具を持っ
ていまし
た。
9 道元の滝
東武鉄道が以前作ったパンフレットに書かれ
ている滝です。ここには、淡水魚の水族館もあ
りました。水槽の跡が川の中に落ちています。
温泉遺跡﹁幸吉の湯﹂
山の神
東武鉄道が作成したパンフレットに﹁嵐山
温泉﹂
と書かれています。
﹁遠山の麓に太古よ
り湧出する温泉﹂とありますが、はっきりし
た 場 所 は わ か り ま せ ん。 鉄 の 管 が あ る の で、
そこかもしれないと思っています。
︵鉄の管が見える箇所はトラスト保全地のた
め立ち入り禁止です。
︶
山の神とスダジイ
嵐山町名発祥の地碑
道元の滝
現在架かっている冠水橋
は、常設の橋ですが、昔は
季 節 橋 で し た。 季 節 橋 と
は、季節になると架かる橋
で、冠水橋のあった橋は主
に冬のみ架けていました。
夏は農作業を行い、冬に山
に入り薪炭を作っていまし
た。
その頃は、養蚕が盛んに
行われ、保温や乾燥の為に
炭はたくさん使われていま
した。
季節橋をつくるため、塩
7 与謝野晶子の歌碑
昭和 年に歌人与謝野晶子と末娘
藤子さんが﹁松月楼﹂を訪れ、 首
の短歌を詠み、歌誌﹁冬柏﹂に発表
しました。
歌碑にはそのときの一首﹁槻の川
赤柄の傘をさす松の
立ち竝びたる山のし
ののめ﹂が彫られて
います。
歌碑の完成した
折、藤子さんが除幕
式に来られました。
槻川の岩畳のほとんどは、緑泥石片岩(りょくで
いせきへんがん)です。明治時代に長 で発見され
た紅れん石片岩(こうれんせきへんがん)が、嵐山
渓谷でもみることができます。
遠山側からトラスト地
を入ると左手に大きな一
枚岩があり、その麓にお
宮 が あ り ま す。 こ れ は
﹁山の神﹂と呼ばれてい
て、遠山地区の方が大平
山に入る場合のご神体と
なっています。ご神体と
し て の 大 き な 岩 は﹁ 岩
座﹂
︵いわくら︶といいます。
岩の上には天然のスダジイがあります。
︵※スダジイとはブナ科シイ属の常緑広葉樹
です。
︶
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❺木造旅館と展望風呂の跡
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木造旅館と展望風呂の跡
東武鉄道が作成した
パンフレット
嵐山町最古の
本格的コンク
リート橋
「谷川橋」
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紅れん石片岩
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広報嵐山 2015. 8 5 広報嵐山 2015. 8
8 ごりん沢の展望
槻川に突き出す半島が細原とい
います。その先端をごりん沢とい
っています。
鎌形地区の子どもたちは、ここ
までが遊びのテリトリーでした。
細原の真ん中あたりは、冬になる
と左右に川を見ることができ、川
の進行方向が逆になるのが一箇所
で見える大変珍しい場所です。
細原は、松月楼の時代には、半
分から先は芝生の広場でした。馬
場があったような気もします。今
のような木はなく、川のふちに松
がありました。
ごりん沢で
は、子 ど も の
頃、うなぎを
﹁おきばり﹂
というやり方
で釣っていま
した。
ごりん沢
昭和初期に立てられた「松月楼」
(しょうげつろ
う)が今、展望台のある位置にありました。
入り口には岩がならべられたロータリーがあり、
現在もその跡があります。武蔵嵐山駅からタクシー
でロータリーで回転して客が降りていきました。
木造旅館(松月楼その後一平荘)には展望風呂が
ありました。展望風呂は地下1階にありました。冬
になると、展望風呂の跡を見ることができます。
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❻嵐山町名発祥の地碑
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