花巻まつり囃子

大太鼓と小太鼓が相互に調子を出し、それに横笛と三味線が唱和、
大小太鼓に提灯が合せ、優雅で情感あふれる花巻ばやし
花 巻 ばやし ―― 大 太 鼓 、小 太 鼓 、提 灯
上に1拍分置き
ツドーン
ドーン ツドーン
テーン
下に1拍分置く
上・下半拍置き
テーン
上・下半拍置き
ドン ドン テン テン ドン ドン テン テン
上1拍置き
ドーン
テーン
下1拍置き
テーン
ドーン ツドーン
提灯
ツドーン
「 ヨ⌒イ―ー
ヨ⌒イ―ー
ハ ―― イ ヨ~
右振
右振
左
」
両手かざす
右
(ドッコイ)
右
左
右手
小太鼓
左振
左手
小太鼓
テーン
大太鼓
ドーン ツドーン
ドーン ツドーン
ツドーン
ツドーン
(カッ・・
テーン
テン テン
カッ・・)
ドン ドン
テン テン
ドン ドン
テーン
ドーン
(カッ・・
テーン
カッ・・)
右手
大太鼓
左手
縁
振りかざ
して打つ
( と
上1拍置き
ドン
ドン
テーン
ドーン
テーン
こ
下1拍置き
は
上1拍置き
ドン ドン
テーン
ろ
テーン
ドン ドン
な
ん
ぶ
の
は
な
下1拍置き
テーン
ま
き
上1拍置き
テーン
ドーン
テーン
で
「ドッコイ」
下1拍置き
テーン
提灯
ドン ドコ
ドン ドン
右振
右
ドン ドン
左
左
右手
小太鼓
打た
ない
左手
小太鼓
大太鼓
テーン
ドン ドコ ドン ドン カッ
打た
ない
テーン
ドン ドン ドーン
(カッ・・
テーン
テーン
カッ・・)
ドン ドン
テーン
テーン
ドン ドン
テーン
ドン ドン ドーン
(カッ・・
テーン
カッ・・)
右手
大太鼓
縁
左手
お ~ ~ と
に
き ~ こ
え
し
さ
い
れ
い
の
や
~
か
た
ま
つ
り
の
さ
ヤンレ
に
ぎ
や
か
さ
)
花巻囃子 横笛
V
(
2 1
V
3
3
)
(
0 3 4
5
ヨ~
4
)
・
・
4 5 6 2 1
イ~
3
・
0 3 4
5
ヨ~
4
5
1
イ~
4
3 4 5
1
2
1
5
ト
4
3
ハ
ン
(
V
3
3
5
)
装飾音
V
息つぎ
0 は
4 5 6
5
4
と
こ
ろ
は
な
ん
メ
リ
0
2 1 2 1
ぶ
1
5
の
4
3
は な
ま
き
の
V
V
(
5
5
お ~
4
3
と
1
に
0
き~
3
0
0
2
0
1
こ え~ し
3
2
0
1
さ
い
3
0
2
0
れ
2
1
い
1
1
)
0 1
でもよい
0
1
2
3
4
5
6
(ドッコイ)
・
2
0
① ② ③ ④ ⑤ ⑥
4 5 6
5 4
1
2
2
0
1
半音
3
0
の
0
半音
メ
リ
V
V
3
・
3
1
0
や
~
か
メ
リ
1
た
3
1
ば
や
3
1
し
3
の
4
さ
4 5 6
ヨ~
メ
リ
4
4
5
3
さ
4
5
ぞ
に
4
3
ぎ
1
わ
・
5
4
し
さ
4 5 6
花
巻
囃
子 (A)
花
巻
囃
子 (B)
祭囃子おどり唄
♪
ところは南部の花巻で
音に聞こえた祭礼の
屋形まつりの
ヤンレ 賑やかさ
及川雅義氏補修 (昭和32年)
♪ 花巻開いた松斉公
♪
四方に知られた名城代
輝くその名は
ヤンレ とこしえに
お城は二万石花の里
むかしゆかしい山車ばやし
おどりやこがねの
ヤンレ 月も出る
花 巻 ま つ り 囃 子
花 巻 ば や し
≪由来≫
花巻ばやしの由来は定かではありませんが、すでに江戸時代には行なわれていたらしく、
北松斎(きた しょうさい)が花巻城主の時代、文禄年間1592~1596に若侍たちによって
花巻まつりが始められ、そこに大太鼓や小太鼓、笛、三味線が一団となったお囃子が入っ
たのが始まりともいわれます。
大太鼓と小太鼓が相互に調子を出し、それに横笛と三味線が唱和する、京都祇園ばやし
の流れを汲み優雅で情感あふれる花巻ばやしとともに、各町内の祭師と呼ばれる山車設計
者が装飾を凝らして製作した山車が町中をゆったりと練り歩く花巻まつりは、城下町の名
残をほうふつとさせます。
≪伝承≫
花巻ばやしは、昭和35年(1960)に花巻市無形民俗文化財に指定され、故滝田国太郎氏
(写真)を会長に保存会が結成されました。
滝田国太郎氏は、当時、花巻史を調査していた人から「祭り
ばやしが以前のものとは違っているんではないか」との指摘を
滝田国太郎氏は受け、確かに各町内ごとに囃子が違っていたこ
とから、では、正調の囃子はどんなものかと調査に奔走した。
しかし、古の花巻ばやしを知っている人は少ないく、まして演
奏できる人は、もっと限られていた。当時わずかに残っていた
花巻芸者たちに会って、演奏してもらったが、十分な施設もな
く、テープに録音するため学校の中庭を利用したりと苦労した、
とのこと。
昭和十年に音楽家の故木村清氏が、同十三年に故武田忠一郎
氏が、それぞれ花巻ばやしを採譜し記録していたことは、花巻ばやしの統一に役立ちまし
た。現在残っている譜面は次の二つです。
(A) 木村清氏 ― 昭和十年/及川雅義氏から依頼され、途行中の山車から採譜
― 及川雅義著「伸びゆく花巻」掲載
(B) 武田忠一郎氏 ― 昭和十三年/お座敷で採譜
― 仙台中央放送局監修「東北の民謡 第一巻」掲載
添付の譜面は、滝田国太郎氏から花巻ばやしを教わった際 (1988/昭和63年) に、滝田
氏は、「要はこのとおりだ」 と言って題字を書き押印し、筆者に下さったものの複写です。
≪参考≫
○ 由来と伝承は、『花巻市の文化財 (復刻版)』(花巻市文化財調査委員会編/復刻版1974(c)大和印刷株式会
社/原版第一集1959,第二集1960,第三集1961 他) に依ります。
○ 提灯の振り方は、花巻囃子保存会の方から昭和63年(1988)に教わったものを図にしまし、横笛の譜面は、
里川口町の町内資料を基に譜面と組み合わせたものです。
○ 花巻ばやしには「進行囃子」と「裏ばやし」とも呼ばれる「停止囃子」の二種類があり、裏ばやしは昭
和44年に滝田氏によって同じく復活されましたが、譜面が無いことから、打ち手が各々の知識と技量で好き
好きに打ち、次へ伝えているのが現況で、筆者が滝田氏から教わったのと異なります。先ずは滝田氏からの
伝承を譜面にしてからと考え、本記述では触れていません。
≪花巻ばやしの課題≫
花巻ばやしは、大太鼓と小太鼓が "相互に" 調子を出し、横笛と三味線がそれに唱和す
る優雅な調(しらべ)として昭和35年に花巻市無形民俗文化財に指定されました。「祇園の
流れを汲み優雅で情感あふれる花巻ばやし」と謳(うた)い、故滝田国太郎氏を始めとする
保存会が結成され現在に至りますが、中には、バタバタした大太鼓とテテンとせっかちな
小太鼓にダラダラした提灯振りがまかり通り、優雅さには欠け情感も乏しい祭囃子となっ
ている感も否めませ。時代の経過で人が変われば機微も変わりましょうが、機微の違いど
ころか、そもそもの本道を外した変則的な演奏をしていては、もはや『伝承』を語ること
はできません。
花巻ばやしは、大太鼓と小太鼓が "相互に" 調子を合わせ打つもので、大太鼓が余計な
間(ま)を作ったりせず、大太鼓と小太鼓が同時に打つことはありません。また、提灯は、
大小の太鼓 "相互の調子" に合せ優雅(※)に振るもので、ヒョコヒョコとただ上下させるも
のでもありません (※大名行列の毛槍振り奴のように、先頭は大きな動作(左右の動き)をす
ることもあったとか)。
┌ 大太鼓
│
├ 小太鼓
│
│
└
提灯
(縁打ち)
(縁打ち)
ドン ドコ ドン ドン カッ
ドン ドン ドン ウン カッ カッ
‥‥‥
∥
∥
∥
∥
∥
横~戻して 上げて テン
上げて~下ろす
テン テン ‥‥‥
∥
∥
打たない
∥
∥
∥
∥
∥
∥
∥
横~戻して上に振り 下げる
振り上げ
上置き下置き ‥‥
この相互の打合せによって、「ドン ドコ ドン ドン テン」「ドン ドン ドン
と心地よく聞こえます。
テン テン」
「掛け合い」することを知らないで各々の段取りだけで打っている大太鼓と小太鼓、大太
鼓は 「ドン ドコ ドン ドン "ウン" ドン」 とか「ドン ドン "ウン" ドン」 と余計な間を作
り調子を外して打ち、小太鼓は手を充分に上げず性急に「テテン… 」 と打つものだから、
「ドン ドコ ドン ドン テッ ツドン ドン ドン …ド テ テッ… 」 という調子っぱずれな
太鼓になります。それに提灯がこれまたヒョイッ ヒョイッ とただ上下させながら無気力
に歩く行列は、とても優雅で情感あふれるとは言えません。
なぜ、このような調子っぱずれが蔓延(まんえん)するのでしょうか。その原因の一つと
なるのが「知識が無い上に練習不足だ」ということです。日本的な演奏法には、それなり
の呼吸や間(ま)、所作というものが有ります。それを理解し、充分に稽古することによっ
て、優雅さや情感は醸し出されます。
故滝田国太郎氏から太鼓を教わった1988/昭和63年は、花巻囃子保存会が結成された
1960/昭和35年から28年経っていましたが、そのとき既に各町の山車がまたバラバラな打
ち方をしていました。そして更に20年以上経った現在、変則演奏 (間違い) が逆に定着し
ようとしています。花巻囃子保存会の会長を務めた滝田国太郎さんは亡き人となりました
が、花巻市文化財調査委員会編の『花巻市の文化財 (復刻版)』にも載っている滝田国太郎
氏の功労に目を向けずに、なぜ、間違いが定着するのでしょうか。
伝統と記録を真摯に尊重し、正確にして厳格に伝承されてこそ文化財の意義があるもの
と考えるのです。
≪問題点≫
日本的な演奏法には、それなりの呼吸や間(ま)、所作というものが有り、それを理解し、
充分に稽古することによって、優雅さや情感は醸し出されると前述しました。
つまり、現状の問題点は、その反対の狭量な知識と不十分な練習しか経ていない未熟な
状態が放置されていることにあります。子どもの時から好きだったからと言ってプロ野球
選手になれるものではなく、小学校で音楽を学んだからオペラ歌手になれるものでもあり
ません。花巻まつりは子どもの頃から見てるから 「知っている」、だから2日3日たたけば
太鼓も直ぐにちゃんと 「できる」 という意識が変則演奏を是認しています。間違いや嘘で
もやったが勝みたいに年々と幅を利かせ、祭囃子は粗末になってきています。
具体的な問題点として主に次が挙げられます。
――
太鼓、撥(ばち)、打ち方というものを知らない。
だから、ドン・ドンと打つべき大太鼓をバダッ・バダッと叩き、あまつさえ、
太鼓は撥の腹で叩くものだなどとうそぶく者も居る。
また、撥は背負うようにして云々と言って無意味なスタイルを作る割には撥
捌(ばちさばき)の技量が無いから、結果として付いて行けず、調子を外す。
未熟な大太鼓は振り手が上手くできないから、ほんの「微妙な間」を半拍休
符にし、その次には半拍より楽な一拍休符にし、これまた「こうだ」とうそぶ
き伝えられている。
―― 小太鼓を打つ女児は、手が充分に上げないため、テン・テンと打てずに、テ
テンと打つ。
「掛け合い」というものを知らないから、他の演奏と合わせることもせず、
こう打ったら次はこうと、単に段取りだけで打っている。
―― “大太鼓と小太鼓が相互に調子”を出すことは無視され、周りと調子を合わ
すことも無視されているから、笛や三味線と外れても、大太鼓が勝手にたたき
たいときに叩き、小太鼓も段取り的に叩くからと、全体の音を濁している。
―― 提灯をわざわざ振るのは舞と等しい意味があるにもかかわらず、その理解が
なく、練習もせずに単に段取りでやるから、ス~ッ・ス~ッと振れずにヒョッ
コ・ヒョッコとやっている。
しかも、誰かほかの人がやってるのの後追いをしなければ出来ない。
―― 近年は横笛の講習会が開設され、小学校高学年をはじめとした多くの奏者が
増えた。いかんせん、笛のころびといった巧妙さには乏しく、鼓笛隊のよう。
逆に、老齢の笛吹は、太鼓や三味線の流れから外れ、余計なころびを入れ一
人酔いしれている。
―― 三味線は主に女子中学生が受け持つが、初めての1年生で一週間程度、3年
生でも3年間で×3の二十日前後の練習量でやっている。
したがって、程度はそのくらい。
等々
つまり、未熟がてんでんばらばらにやっている、に帰結します。
≪真の文化財として≫
年配者や先輩から厳格な指導を受け、
周到に稽古を踏み、先達に認められて
初めて演じ手に成れる。歴史文化財的
な民俗芸能ならば、そのようにして伝
承していくものでしょうが、年に一度
の3日間開催される花巻まつりにおけ
る花巻ばやしの場合は、実際のところ、
そこまではやっていられないのが正直
なところでしょう。
前述、具体的な粗末な点を記しました
が、これ等は逆を返せば、それが正され
れば正統な芸能と称せるというものです。
また内容も、誰某に師事し修業を積まな
ければならないなどと云うものでもあり
ません。
平成13/2001年の山車風景
市の観光行事=夜のパレード
(花巻まつりパンフレット掲載)
(山車は里川口町)
花巻ばやしの正統な伝承と文化的な発展は、まず、先人の記録と先達の記憶を尊重し、
謙虚に考察して新たに系統化し、適切な媒体で記録することにかかっていると思います。
花巻の文化、花巻ばやし、そのキーワードは次のとおり:
大太鼓・小太鼓が∥調子を相互に∥出し、笛・三味線が∥調和∥して祇園調をただよわせる
∥優雅∥で情感あふれる花巻ばやしとともに山車が町中を∥ゆったりと∥練り歩く
∥城下町の名残∥をほうふつとさせる
昭和30年代、伝承が乱れ失われそうになった花巻囃子を復活統一させようと奔走し、大
きな功績を残した故滝田国太郎氏の趣意を振り返って、真摯に花巻囃子を継承する、即ち
正調の記録・保存と、周到で十分な稽古の徹底を通じて、花巻囃子の文化的な発展と未来
への伝承を進めたいものです。
お囃子の練習風景
笛、三味線、太鼓、各々個別の練習
後に付き添いが提灯をもって参加し
総打合せをする (里川口町)
町内会の山車
日中の自由運航
市の観光行事のパレードとは別に
各町内会が独自に行なう (里川口町)