違いと付き合う

第
8
回
違いと付き合う
イラスト・題字:長峯亜里
「人類みな兄弟というけれど」とかけて「著名人
の葬儀」と解く、その心は……(本稿末尾へ)
多様性をまとめ上げた1つのモデル
シンガポールのリー・クアンユー元首相が死去
3つの島で経験した異質性
シンガポールという国家は、各民族の異質性に
対する相互理解を促している。居心地は決して良
くないかもしれないし、ましてやユートピアをつ
した今年3月、遺体が1週間安置された国会議事
くるなどというナイーブな発想もなかろう。だが、
堂の近辺ばかりでなく、最後に入院していた病院
実利的な視点から1つにまとまり、繁栄という方
や各地域の公民館などで、実に多くの、そして
向に向かってパワーを生み出してきた。暗黙の一
あらゆる民族のシンガポール市民が花やカードを
線を越えない程度に、つまりタブーな領域は遠慮
た
む
や回避をしながら、付かず離れず互いに関わり続
手向けに訪れ、涙を流した。
同氏の功績などに関しては、本誌の本年5月号
に掲載した第4回『トゥルー・リーダーとのお
別れ』をお読みになっていただければと思うが、
けているのだ。
かつてリー氏が国家建設の初期に教えを請いに
訪れた南西アジアの島国がある。そう、中継貿易
「ハーモニー」の演出を常に意識し、言語政策な
の要衝として栄えた先輩格のスリランカ。だがそ
どを通じて民族間の融和を図りながら国家の繁栄
の後、「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」と
を導いていったのである。
人口の7割を占めるシンハラ人中心の政府軍との
だが、シンガポールでは摩擦・衝突が全くない
長引く内戦により国家は疲弊してしまう。片やシ
かと言えば、そんなことはない。
「微妙な距離と
ンガポールは、その間に大躍進を遂げてしまった。
緊張関係」の中で、かろうじて表面的な調和がと
すでにベトナムからシンガポールに移り住んで
れている面も多分にある。生活やビジネスの中で
いた私は、停戦直後の 2002 年からスリランカの
の口論やいがみ合いは日常的だ。そこにストレス
復興開発支援に従事するべく、日本の外務省・政
も生まれる。
府援助機関と国連・世銀など国際機関との実務レ
それでも小さな島国の中で民族が露骨に対立し
ベルの調整役として送り込まれた。そこで見た光
ていたら発展も何もない。
「違い」とうまい具合
景は、シンガポールとは全く異なる民族間の「露
ぜいじゃく
に付き合っていく他なかったのだ。脆弱な調和で
骨な対立」だった。今に至るまで世界のあちこち
も長く地道に続くことにより、徐々に国家や市民
で見られる「根の深い対立・衝突」が、スリラン
の DNA の中に浸透していったのだろう。
カの島でも繰り広げられていたのだ。
上述した2つの島はどちらも異質性を内包しな
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2015年10月号