39 留学を勧めてくれた父に感謝 かず のり (高校2年生)橋 立 和 憲(長男) 僕は昨年の2月から12月までの10か月間オース のは父であった。 トラリアのタスマニアで留学をしていた。高校で 父は国際学会に出席した時の経験から、これか 留学したきっかけや留学して思ったことについて らのグローバル社会の中で英語能力の必要性を感 書きたいと思う。 じていたという。父の言葉には説得力があった。 留学した一番のきっかけは僕が現在通学してい 国際学会での発表を経験したことのある父は、僕 る東京学芸大学附属高校という環境にある。東京 が感じた「自分の意見や知識を英語でもっと伝え 学芸大学附属高校は高校入試の際、特別に帰国子 たい」という思いを理解してくれたのだ。母はも 女を募集しているほか、SSH(スーパーサイエン ちろんだが、本当は父も留学させることに不安が スハイスクール)と SGH(スーパーグローバル あったと思う。しかしながら、 僕の挑戦を理解し、 ハイスクール)の指定を受けており、国際的な活 応援してくれたことに感謝している。 動に積極的に参加している。在学中に留学する生 オーストラリアに留学し、海外から日本を眺め 徒も多く、海外の大学に進学する人も毎年若干名 ることで、日本の問題点や逆に今後の可能性を客 いる。そんな環境であるため、英語が堪能な人が 観的に見ることができた。日本のグローバル化は 多く、僕も彼らのようになりたいという思いを常 世界から見てとても遅れているように思える。日 に持っていた。 本は島国であり、閉鎖的な環境から独特の文化を そんな時、SSH の活動の一環としてタイの高 作り上げてきた。しかし、飛躍的な文化的・経済 校に、わずか10日間であったが、交換留学できる 的進化を遂げてきたのは歴史を見ても海外との交 という募集があり、幸運なことに、そのプログラ 流が多かった時期においてである。日本で育った ムに参加することができた。交換留学の主な目的 素晴らしいアイディアと海外から流入した新たな は英語による科学研究の発表と意見交換であっ アイディアの融合が更なる進化を大いに促進した た。タイでは、自分が研究してきたことを発表す のである。今このグローバル化社会の中で、これ ることはできたが、いざ意見を交換するとなった からの日本の飛躍の可能性は十分あると感じて 時、十分な英語力がないため、知識や意見はたく いる。 さんあるのに、それをうまく伝えることができず、 将来、僕は可能であれば医師の道を進みたいと 自分の不甲斐なさを痛感することになった。 考えている。種々の病気の治療法についてはもち この交換留学がきっかけとなり、ますます英語 ろんだが、 日本の医療制度自体にも興味があるし、 によるコミュニケーション能力を手に入れたいと 変えていかなければならないことも多いと感じ いう気持ちが日に日に大きくなった。そんな時、 る。自分はまだまだ未熟者で知識も少ないが、来 学校で留学に関する情報を目にした。留学したい 年から有権者になる身として、政治や経済など幅 という気持ちを家族に伝えると、一も二もなく母 広い分野を勉強し教養を身につけたい。そして、 に反対された。母はとにかく心配・・・の一点張り 日本の真のグローバル化と可能性を追求していき だった。そんな時、留学へと背中を押してくれた たい。 ( 県医広報委員会委員 橋立英樹先生 ご子息 ) 新潟県医師会報 H28.2 № 791
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