アメリカ植民史とタラ

アメリカ植民史とタラ
千葉工業大学教授
越智敏之
1497年,アジアへの航路を求めてイングランド
卵期だった。タラ漁のこの季節の違いにより,
から西へ向かったジョン=カボットは,現在のカ
ニューファンドランド島よりも遅れて発見された
ナダ北東部に到達。そこで彼が発見したのはタラ
ニューイングランドが,植民地としては先んじる
の大群だった。タラなど,なんともパッとしない
こととなった。タラ漁の季節が夏であるニュー
発見と思えるかもしれない。しかしアメリカ植民
ファンドランドは,冬にできる経済活動がない。
史においては,タラはある意味アジアの産物であ
そのため漁業基地としてしか開発が進まなかった。
るスパイス以上に重要な役割を果たしたのである。
対して冬がシーズンのニューイングランドでは,
新大陸を旧大陸の経済システムのなかに取り込ん
夏に農業や林業,あるいはニューファンドランド
でいく媒体の一つとして機能したのだ。
に遠征してタラ漁を続けることもできた。この利
キリスト教には断食日がある。
「断食」といっ
点を生かして成功をおさめたのが,マサチュー
てもおもに「肉食」が禁じられた日であり,
「魚食」
セッツ湾植民地だった。ピューリタンである初代
は大目に見られていた。そのこともあって断食日
総督のジョン=ウィンスロップはタラ漁業に力を
はやがては「魚の日」とよばれるようになり,む
入れ,植民地の経済的基盤を確立したのである。
しろ積極的に魚を食べる日となっていった。中世
ただし新大陸におけるタラ漁には暗い側面もあ
においては,多い時期には1年の半分がこの「魚
る。奴隷貿易とかかわってしまったのだ。1629年
の日」だったのだ。そして西洋世界全体の「魚の
に設立されたマサチューセッツ湾植民地が経済的
日」の需要を満たすうえで,経済的にも政治的に
に成長していく30年代,40年代には,西インド諸
も重要だったのが,大量の漁獲があるニシンとタ
島で奴隷を利用した砂糖農園が建設されていく。
ラの漁業だった。しかもタラはニシンに比べると
炎天下での作業をしいられる奴隷には塩分の補給
圧倒的に脂肪分が少なく,塩につけたあとに日干
が必要だった。そこで目をつけられたのが北米の
しにして,いわゆる塩ダラにした場合,保存状態
塩ダラだった。結果としてニューファンドランド
がよければ5年も保存がきいたといわれている。
やニューイングランドと西インド諸島の間で,塩
赤道を越えても腐ることのない,当時としては貴
ダラと砂糖や糖蜜の交易が始まる。やがてそこに
重なたんぱく源の一つだったのである。
西アフリカの奴隷交易が結びつき,巨大な三角貿
そのためカボットの「発見」から数年後には,
易へと発展していく。マサチューセッツ湾植民地
フランスやポルトガルの漁船が,カナダ北東部の
は,建設当初からこの経済システムから相当額の
ニューファンドランド島近海で操業している。以
利益を得たのである。ちなみに保存のきく塩ダラ
来この海域はおもにフランスとイングランドの武
は代用貨幣としても利用され,それで直接奴隷を
装漁船が入り乱れて相争う,無法の海と化して
購入できたそうだ。
いった。そしてカボットから100年もたったころ
マサチューセッツ州議会の議事堂には,
「聖な
には,もっと南のニューイングランドの海域も,
るタラ」とよばれる木像がつるされている。現在
タラの優良な漁場であることが知られるように
の木像は三代目ということで,伝承によればその
なっていた。
初代の木像は1700年前後から存在していたそうだ。
タラは産卵期に浅瀬に移動し,群れをなす。そ
奴隷貿易とのかかわりを考えれば,この木像を「聖
のためこの産卵期がタラ漁の季節になるのだが,
なる」とよぶのはいささかはばかられるが,しか
この時期は海域によって異なっていた。ニュー
しアメリカ合衆国建国の源流の一つとしてタラが
ファンドランド島近辺では夏が産卵期になるのだ
果たした役割の重要性を,この木像が示している
が,南にあるニューイングランド近海では冬が産
といっても過言ではないだろう。
フィッシュ・デイ
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世界史のしおり 2015②
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