2015.9.18 英語ディベート部、関西大会3位! 個人で宮脇雄斗君2位!(I31) 私は英語ディベート部の諸君を「畏怖」しています。私は英語が恐ろしく苦手な上に、気が 弱く大勢の前で話をするのは、今でもかなり緊張します。その英語を駆使して、大勢の前で堂 々と論陣をはる、英語ディベート部の諸君は、私にとって、文字通り「畏怖」すべき存在です。 まさに「後生畏るべし」です。 その本校「英語ディベート部」が、本校を会場に開催された「関西 大会」で3位となりました。部員諸君や顧問の先生にとっては、少し 悔しい結果だったようですが、よく健闘してくれたと思います。2年 生の部員の一人は前日、「私のスピーチは3分間。たった5分前に聞 こえてきた議論に反論する。そのために半年以上、練習してきた。そ れをすべて出し切りたい」と決意を話してくれました。本当に本校「英 語ディベート部」の諸君は精一杯の準備をし、大会に臨んでくれたの だと思います。 ディベートには必ず勝敗があります。そして勝敗がある以上、勝つ ことにこだわることは大事です。しかしそれにもまして大事なことが あるということを、本校の生徒諸君は、頭において様々な活動に取り 組んで欲しいと願っています。 ところで私は英語へのアレルギーに加えて、「ディベート」につい ても偏見を持っていました。そしてそれは日本人の多くが持つ感覚か もしれません。それをよく表現している、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」 の一文を引用します。 「龍馬は議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬと言いき かせている。もし議論に勝ったとせよ、相手の名誉を奪うだけのことである。通常、人間は議 論に負けても自分の緒論や生き方を変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけ である。」 私もよく議論に勝って、自分の思い通りになると思ったら、そうはならないという経験をし ました。この一文は真理を含んでいると思います。しかし、この考え方は、日本人の良さにも 繋がっているでしょうが、大きな欠点にも繋がっています。 「人前で自分の意見を言わない」 「そ れどころか自分の考えを持たない」「何事もナアナアですます」等々。これではこれからのグロ ーバルな社会で通用しないことは明らかです。故に、文科省も「アクティブ・ラーニング」を 強調されるのでしょう。 ここで遅まきながら、正直に告白すると、私は「ディベート」についてよく知りません。こ のままでは、この後の文章が書けません。安直ですが、ネットで「ディベート」について検索 しましたら、こんな記述がありました。 「ディベートはこんな人に最適!」→「アイデアに自信があるが、回りを説得しきれない」 「敵 をつくらずに、自分の描いた通りに話を進めたい」「つねに信頼され、周りがついてくる人にな りたい」「論理的に考え、話す技術を身につけたい」 やはり「ディベート」は議論に勝つことが目的ではないようです。説得し、敵をつくらず、 信頼され、論理的に考え、話す。これはスゴイ!! 今回の大会で本校「英語ディベート部」は試合だけでなく、会場校として、準備や運営など 裏方としても活躍し、感謝されたそうです。やはり本校「英語ディベート部」の諸君は畏怖す べき諸君です。
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