西国三十三番札所巡礼絵図 西国道中記

西国三十三番札所巡礼絵図
こ こ に 、展 示 し て い る 絵 図 と 道 中 記 は 当 館 に 寄 託 さ れ て い る 堀 家 文 書 中 に 含 ま れ
て い る 史 料 で す 。「 西 国 三 十 三 番 札 所 巡 礼 絵 図 」 は 粉 川 南 町 に 店 を 構 え て い た 出 版
書 肆 の 大 坂 屋 長 三 郎 が 発 行 し た も の で す 。現 時 点 で は 大 坂 屋 長 三 郎 の 発 行 物 の 初 見
は 、 明 和 二 年 ( 一 七 六 五 ) の 『 道 し る べ 』 で す が 、 そ の 後 、『 巡 礼 道 中 指 南 車 』 天
明 二 年 ( 一 七 八 二 )、『 西 国 道 中 巡 礼 記 』 寛 政 三 年 ( 一 七 九 一 )、『 順 道 ひ と り 案 内 』
寛 政 三 年 ( 一 七 九 一 )、『 じ ゅ ん れ い ゑ ん ぎ 』 享 和 二 年 ( 一 八 〇 二 )、『 増 補 指 南 車 』
文化 三 年( 一八 〇 六 )等を 矢 継 ぎ早 に 出 版し て い ます 。し か し 、一 枚 刷 りの 絵 図 と
して は 従 来『道 中 独 案内 図 』と『 西国 順 禮道 中 絵 図 』の 二 点 しか 発 見 され て い ま せ
んでした。この「西国三十三番札所巡礼絵図」には版年が明記されていませんが、
内 容 的 に は 、先 の 二 点 の 絵 図 に 新 た な 情 報 を 加 え て 、刷 り 直 し た も の と 思 わ れ ま す 。
状 態 は 余 り 良 い と は い え ま せ ん が 、本 街 道 部 分 が 彩 色 さ れ て い ま す の で 、 歩 く に は
重宝したことでしょう。図の左下部にある刊記の部分に「名所へまハる道のり附」
と し て 、「 二 ば ん よ り 三 ば ん の 間 に て 己 か の う ら 己 か 山 へ 行 ば 二 り の ま ハ り 」 な ど
と 、い わ ゆ る 観 光 の た め の 寄 り 道 を し た 場 合 、ど の 程 度 の 距 離 の 回 り 道 に な る か を
明 記 し て 時 間 を 計 る 目 安 を 示 し て く れ て い る の は 、あ り が た い こ と だ っ た で し ょ う 。
西国道中記
こ の 道 中 記 は 、残 念 な が ら 大 坂 屋 長 三 郎 が 出 版 し た 上 記 の 案 内 記 で は あ り ま せ ん
が、内 容は 大 差 のな いも の で す。 本 書は 表紙 を 含 めて た っ た の一 二 丁 です が 、大 坂
屋長三郎が出版した上記の案内記は発行年が遅くなればなるほど丁数が増えてお
り、どんどん新たな情報を追加していっています。
と こ ろ で 、こ の 道 中記 の 表 紙に は 目 録( 目次 )が 刷 り込 ま れて お り 、内容 が 一 目
で 分 か る よ う に し て い ま す が 、そ こ に は「 順 礼 ゑ ん ぎ 同 ゑ い か 伊 勢 よ り 四 番 迄
五 番 よ り 卅 三 番 右 卅 三 番 迄 道 中 記 ハ 大 坂 宿 長 町 八 丁 目 鍵( 蔵 の 鍵 の よ う な 宿
の意匠)屋ニテ進上仕候」とあります。つまり、これは売り物で はなく、大坂長町
八丁目にあった順礼宿の鍵屋(通り名)こと「でんぼ うや喜兵衛」が宿泊客に無料
で配布していたものであったということが分かります。
ここでは、和歌山県内の三つの札所の御詠歌を紹介しましょう。
一ばん
なちさん
ふだらくやきしうつなミハみくまのヽなちのおやまにひびくたきつせ
二ばん きミゐでら
ふるさとをはるばるこヽにきみい寺はなのみやこもちかくなるらん
三ばん こかハでら
ちヽはヽのめぐミもふかきこかハ寺ほとけのちかひたのもしのミや
(文責:須山 高明)