私の中の歴史を永井 孝子(長野市)

私の中の歴史を
永井 孝子(長野市)
私の長野駅周辺の思い出は、長野空襲から始まる。その時の私はまだ幼く記憶も
乏しいが、何故かその日の事は鮮明に目の奥に焼きついて居る。空襲・空襲と、地区
の人々の叫び声で、隣り近所の人と山王小学校裏の裾花川河川敷に逃げた。ほっと
するまもなく兵隊が来て、
「こんな所に居たら上から丸見えだ。早く移動しろ。」と云わ
れ、その裏の水道山に登った。その日、長野駅の機関車に爆弾が落とされた。空が
暗くなるにつれ、真っ黒の中に浮びあがる真っ赤な炎、恐ろしさで、母の腕にしがみ
ついた覚えがある。警報も解除され、山から自宅に戻ってやっとほっとした。やがて終
戦、平和が訪れた。
お盆には駅前の如是姫像と噴水の周りで、大人も子供も楽しそうに盆踊りを踊った。観
光客も一緒に楽しんでくれた。駅前は私にとって、思い出が沢山詰まって居る所だ。池
紋旅館の階段で遊び、中島会館で食事をし、千石劇場での映画鑑賞そして、くらかん
事倉石寛三商店で買った服等々、思い出は数知れない。
そして遂に来てしまった仏閣駅舎の取り壊しが、長い間馴染んだ駅が無くなる、とても、
残念な事だった。もう二度と見られなくなると、友人と見納めに出掛けた駅をバックに
「ハイポーズ」友人の切るシャッター音と同時に何故?テレビ局と信濃毎日新聞社の被
写体?に、そして翌日の信毎に、何んと載ったアー。
移り変わる時代、この三月には東北新幹線が来る。勿論駅も近代的な建物になり、長
野市の新しい玄関口に又々駅近辺の風景も変わる事だろう。これも時の流れ七十半ば
に成る私も老体にムチ打ち、今まで育てられた長野の為に何か役に立つ事が有れば等
と、身の程知らずな事を思う今日この頃。最後に善光寺に守られた長野、何時迄も平
穏で有ります様にと願い、ペンを置きましょう。