1947年 ソ連封じ込め作戦 日本国憲法施行

---------- 1947 年 日本 ----------3月
アメリカのトルーマン大統領が、ソ連の「封じこめ」政策を発表。
トルーマンが議会に向けて出した宣言。第二次世界大戦後、ソ連の影響に
よって東欧諸国が共産化し、その脅威がギリシア・トルコに及んだことに
脅威を感じたアメリカが、ソ連邦を中心に共産諸国の封じ込めをはかる。
軍事支援をイギリスが断念したことを受けて、その肩代わりと援助を提案
した。これから「東西冷戦」があきらかになる。アメリカは日本が考えて
いる以上に「アメリカこそ神に選ばれた国」という考えが浸透していて、
神を否定する共産主義を嫌悪している。
3 月 中国共産党は自軍を改編し「人民解放軍」と名付ける。
ソ連軍を模範とした各種階級章があり、将校と下士官兵の軍服のデザイ
ンが異なるなど、のちの「人民服の軍隊」より洗練されているかも。で
も、当時の中国では大不評だったらしい。
10 月
第一次インド・パキスタン戦争 = 印パ戦争が起きる。
「パキスタンってどこ?」という人は地図を見て、バングラデシュも見る。
イギリスが支配していたインド帝国は、現在のインド、パキスタン、スリラ
ンカ、ネパール、バングラデシュ、そしてミャンマーやインドネシアの一部
にまである。宗教は、現インドの地域はヒンドゥー教、パキスタンはイスラ
ム教。パキスタンの北東部・インドの北部にあるカシミール地方は、多くの
住民がイスラム教徒で、イギリス支配の下でヒンドゥー教徒の「藩王」と呼
ばれる現地の王が代々治めていた。独立の際に、イギリスが示した案では、
インドあるいはパキスタンのどちらかに属するとあった。これに対
して藩王は、
「カシミール国」としての独立を望んだが、さすがに無
理で、結局はインドからの援助を期待し、インドからは「住民投票
を実施すること」の条件でインドに帰属に決まった(でも住民投票は
まだ実施していないし、国連からせかされても、インドは無視して
いる)。しかし地域の住民たちは、イスラム教徒が多いパキスタンへ
の帰属を望んだので、
[藩王 + インド] 対[住民 + パキスタン]
という変則的な紛争になった。イギリスは、もめてくれれば、後々口も手も出せると予測して、あいま
いな案を提出したのかもしれない。独立の時 1947 年 10 月~48 年に「第 1 次印パ戦争」
、「第 2 次」は
1965 年、
「第 3 次」はバングラデシュ(当時は飛び地の『東パキスタン』と呼んだ)の独立をめぐる問題が
原因で 1971 年に発生した。ちなみに、カシミール地方の山羊の毛でできていたから、高級毛織物を「カ
シミア」と呼ぶ。現在では、紛争は少し収まり、国境では夕暮れ時に旗を降ろす儀式でのやりとりを観
光化している「商魂たくましい」ところもある。
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中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない
---------- 1947 年 日本 ----------3 月 教育基本法、学校教育法制定
4 月 労働基準法、独占禁止法制定
5 月 日本国憲法施行
日本も独自に憲法草案を作ったのだが、GHQ に拒否され、天皇の存続
を認めてもらう代わりに、GHQ が提出した憲法をそのまま受諾するこ
とになった。
「押しつけ憲法」とよく呼ばれ、批判されることは否定で
きない面もあるが、実は日本人も草案作りに参加していたことが、最
近の研究でわかってきている。また憲法より先に、教育基本法や労働
基準方ができていることに注意。
太宰治が「斜陽」
、原民喜が「夏の花」を出す
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中学生のための現代史…これを読めばわかるかもしれない