2015 年 第3期 聖 書 の 宣 教 師 た ち 広島三育学院教会 朴 哲漢 第9課 ペトロと異邦人 8月29日 安息日午後 ペトロはイエス様の第一弟子として主にユダヤ人のために宣教活動をし、パウロは異邦人のために著しい宣教活動を しますが、異邦人に救済を宣べ伝えた最初の使徒はペトロです。神様はペトロをユダヤ人のための宣教、パウロを異邦 人(すべての人々)のための宣教を果たすように導きました。 日曜日 五旬祭におけるペトロ イエス様は復活後40日間人々に現れ、神の国について話され(使徒1:4) 、人々が見ているうちに天に上げられま した(使徒1:9) 。イエス様の再び来られる約束を信じ、約120人の人々が集まって、熱心に祈り続けて10日目に、 その人たちの上に聖霊の神様が降臨しました。辞書を引いてみると、 「旬」は「10日」の意味があります。なので、旧 約聖書に預言された「五十日を数えたならば(レビ23:16)」が成就されました。そこにイエス様の弟子たちがいた し、もちろんペトロもいました。聖霊が下り、神様のもの凄い力が与えられた理由は世界に福音が宣べ伝えられるため でした。福音が広まる様子はイエス様が天に上げられる直前に託した 宣教命令(使徒1:8)にあらわされています。福音はまず、エルサレム (使徒1〜7章) 、次にユダヤとサマリアの全土(使徒8〜12章) 、次に 地の果てに至るまで(使徒13〜28章)です。今の私たちに適応すると 神様の愛と赦し、救いはまず私たちの家族、次に友人・知人・親戚、次に 知らない他人です。ペトロの説教(使徒2:14〜40)はおよそ15の 国々に福音が広まる結果になりました。 月曜日 コルネリウスの回心(その1) 福音が異邦人に広まり始めた初代教会の時代に最も意見の割れる重要 な問題は「異邦人はまずユダヤ人になることなくしてクリスチャンになれ るのか」です。それに関しての神様の御心はコルネリウスを通して与えら れました。コルネリウスはローマ軍の百人隊長でした。当時、ローマ軍の 司令部はカイサリア(カイザリヤ、口語訳)にありました。コルネリウ スは異邦人でありながら、家族とともに霊的な交わりを楽しみ、定期的に 祈り、貧しい人たちに対して物惜しみをしない、神を畏れる人でした。彼 はペトロに会った時、普通ではない行動をとりました。 (使徒10:25) 火曜日 コルネリウスの回心(その2) ペトロが語った「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 どんな国の人でも、神を畏れて正しいこ とを行う人は、神に受け入れられるのです。」(使徒10:34、35) は異邦人には喜びと感謝を、ユダヤ人には大き なショックを与えたに違いありません。問4の聖句、ローマ2:14〜16節はなぜコルネリウスが神様に認められた のかを理解する助けとなります。律法を持たない異邦人にとっての律法とは良心です。聖霊のお働きと十戒のまとめを 「良心」と言えるでしょう。異邦人であったコルネリウスは良心が示す生き方を送りました。すなわち、聖霊の働きに 従い、律法を守り通したと言えるでしょう。コルネリウスみたいにユダヤ人でない、またセブンスデーアドベンチスト でない人々の中から良心的に生きる人を神様はどう考えるかが良く分かります。いつの時代でもコルネリウスのように 良心的に生きる神様の子供がいることを覚えましょう。 水曜日 ペトロの幻 昨日、コルネリウスがペトロに会い、イエス様についてお話を聞く場面を勉強しましたが、今日の内容は実はそのお 二人が会う前のペトロに起きたできごとです。ペトロがヤッファで見た幻(使徒10:9〜16)は「食べ物に関する 教え」ではなく、 「先入観を捨て、すべての人を受け入れ、福音を伝えなさい」という教えでした。しかし、何でも食べ たい人はこの箇所を引用して神様がペトロに清くないもの、汚れたものも食べて良いでしょうと主張します。 神様を信じようが信じまいが親は子供に一番良い物を与えようとします。食べ物もそうです。レビ記11章に書かれて いる清い、清くない動物に関する教えは健康のための神様(真の親)の私たち(子供)への願いごとです。体に良くな いものを食べないでねと。もし、子供が間違って農薬を少しでも飲んだら、親はその子を憎みますか、哀れに思います か?優しい神様は母のように私たちの体に良くないものを詳しく教えて下さいました。体に良くない食べ物を食べる人 を見るとき罪人扱いをせず、親が子供の健康を心配するような思いを持てるようになれば良いですね。 木曜日 エルサレム教令 異邦人にも福音が伝えられ、多くの改宗者が出ました。それを見て、ユダヤ人から深刻な問題が持ち上がりました。 あるユダヤ人たちは異邦人が救われるためにはまず、割礼を受けてアブラハムの子孫になること、その後、律法を守ら ないといけないと主張しました。それで、AD49年にエルサレム会議が開かれ、祈りながら話し合いました。その結果、 ユダヤ人の基本的価値観は尊重され、異邦人は割礼を避けることが認められました(使徒15:28、29節) 。 初代教会にあった問題とそれを解決する様子を見倣い、私たちも教会の様々な問題を乗り越えて行きましょう。
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