34 占領と復興 【 】 】 内閣 五大改革指令 非軍事化

Pain is inevitable Suffering is optional
34 占領と
占領と復興
ソ連
北海道占領
の要求
事実上アメリカ
アメリカの
事実上
アメリカの
拒否
単独占領
連合国軍最高司令官
【
】
1946.2
【
1946.4
【
】
】
【
】に設置
占領政策の最高
決定機関
11カ国
総司令部
【
】
東京に設置
東京
米が議長
(米・英・中・ソ)
日本政府
内閣=拒否、総辞職
…最高司令官マッカーサー➡
内閣
☈民主化指令(
民主化指令(人権指令)
人権指令)が出された背景
された背景
民主化指令が出されたのは、9月 26 日に哲学者の三木清
三木清が栄養失
三木清
調と拘留中に感染した肝臓病で獄死したことにある。内務大臣は、「思
想取締りの秘密警察は現在直活動を続けており、反皇室的宣伝を行な
う共産主義者は容赦なく逮捕する。…共産党員である者は拘禁を続ける。
…政府形態の変革、特に天皇制廃止を主張する者はすべて共産主義
者と考え、治安維持法によって逮捕される」と語り、敗戦一月以上経って
も、国民の自由は保障されていなかった。政府の対応と政治犯の扱いに
対する関心の高まりに対し、GHQは次々と日本の民主化を進める指令
を出すことになった。
また、9月 27 日、各新聞に天皇とマッカーサーの会見の前に撮影した
写真が掲載された。写真は天皇が正装、マッカーサーがノーネクタイで腰に手を置いたラフな姿だ
った。これが不敬とされ、掲載した新聞は発禁となったが、GHQは直ちに処分の撤回を命じた。マ
ッカーサーが天皇以上の権力者であることを国民に印象づけるには十分だった。
日本国民
♘
1945.8.18 日本政府 特殊慰安施設提供 純潔を守る?エッ?
号上で降伏文書調印
1945.9.2 戦艦➡
日本側全権:外相➡
、陸軍参謀総長➡
◆連合国による
連合国による日本占領
による日本占領=
日本占領=ポツダム宣言
ポツダム宣言にもとづ
宣言にもとづく
にもとづく
W ワシントン➡【
】
、東京➡【
】
⒜ 実質的な
実質的なアメリカの
アメリカの単独占領➡アメリカだけが拒否権と中間指令権をもつ
単独占領
⒝
…天皇・政府は最高司令官に従属➡GHQ の指令にもとづいて政治
⇔千島列島・南樺太…ソ連が占領
②沖縄
沖縄…アメリカ
沖縄 アメリカが
アメリカが占領・
占領・
③朝鮮・台湾などの放棄➡朝鮮は米ソが分割占領・台湾は中国へ返還
☈一億総懺悔
終戦直後に成立した東久邇宮稔彦王
東久邇宮稔彦王内閣は、
「
」
「国体護持」を唱え、連合国軍
東久邇宮稔彦王
の進駐を受け入れ、降伏文書に調印するなど、円滑に終戦処理に当たった。1945 年9月、
GHQは➡
(新聞発行綱領)で占領軍の批判を禁
止し、新聞の事前検閲を行なった。
10 月4日、GHQはいわゆ
を出した。この内容は、天皇制批判の自由、治安維
る➡
持法など統制法規の廃止、政治犯・思想犯の即時釈放、特別高等警察
(特高)の解体と内務大臣らの幹部罷免などである。内務大臣を罷免
された東久邇宮内閣は、「黙過しては日本政府の威信が地に払う」と、
翌日総辞職した。
民主化の
民主化の推進
ア
1945.10
内閣
五大改革指令
非軍事化
1946.1
天皇の【
】
各界の旧指導者
公職追放
①
②
③
④
⑤
経済の
経済の民主化
寄生地主の一掃
不徹底➡第二次農地改革へ
1947【
【
教育の
教育の民主化
1947.3
【
】
学校教育法
(6.3.3.4制)
巨大企業の
巨大企業の分割
】 三井・三菱等
】
ヒガシデヨカッタアシダして
ヒガシデヨカッタアシダして、
して、ヨシ!
ヨシ!ハトイキてる
ハトイキてるイケ
てるイケの
イケのサトタミフ
るオ
W 五大改革指令の五つ言えるように!
農地改革の
農地改革の極意
第一次農地改革➡地主制解体で不徹底
GHQ の勧告で➡【
】により第二次農地
改革実施
1
Pain is inevitable Suffering is optional
生産力低下
旧立憲政友会 旧立憲民政党
日本自由党
日本進歩党
GHQ新憲法案提示
1946
【
】
(預金凍結)
日本政府
GHQ案をもとに新草案
インフレ
旧無産政党諸派 非合法政党
帝国議会による審議
効果は一時的
日本社会党
日本共産党
1946衆議院総選挙
衆議院総選挙
(女性【
】)
日本自由党勝利
【
労働組合を奨励した
のがGHQなんだけどね!
物資不足
1946.11.3
日本国憲法公布
(国民主権・平和主義・基本的人権)
1947 施行
1934-36との対比
1946➡約21倍
止
1948➡約172倍
1946
異様な盛り上がり
【
1945
【
】法
労働運動
】宣言
GHQの命令
【
1946【
1947【
】内閣
】の中止
】
】
14年ぶりの政党内閣
1947 日本国憲法公布後 初の総選挙
日本国憲法が
日本国憲法が公布
GHQ が新憲法案を掲示し、日本政府はその案をもとに草案を作成(憲法問題調査委員会設
置)幾度かの審議ののち日本政府の案を却下、GHQ の案をもとに帝国議会の審議を経て発
布。
民主化の流れのなか政治も変化。立憲政友会が【
】へ民政党が【
】
へ。また合法となった【日本共産党】など、政党政治が復活。
1946 衆議院選挙➡日本自由党が第 1 党
♘
内閣 誕生
労働条件の改善
戦争による被害は生産力の低下を招いた。物資の不足、食糧難は猛烈なインフレを招いた。
買い出し列車・焼け跡・闇市の世界だ。
そこで政府は➡1946【
】で通過量を減らそうと試みるが効果薄。
労働組合の結成は時の流れである。図を参照。
☶史料研究 官報
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚{きゅうせき:喜びと悲しみ}
ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯{ちゅうたい:繋がり}ハ終始相互ノ信頼ト敬
愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神ト
シ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延{ひい}テ世界ヲ支配スベキ運命
ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
GHQ➡
を出す
官財・言論界などの公職から、戦争協力者、国家主義者、職業軍人ら約 21 万人を追放した
出される。物資不足により生じたインフレを阻止するため、預金封
1946.2 ➡
鎖・新円と旧円の交換を実施する。しかし、紙幣量の減少は進んだが生産が伴わず物価は上昇。
1946.4 衆議院議員選挙法改正新法による戦後初の総選挙実施。
日本自由党が第一党となる。婦人
名、共産党議員が当選。
☈入試の
入試の極意 農地改革
寄生地主制の解体と自作農を創設するため、農地改革が行なわれた。
1946.2 ➡
実施(内閣は
)
再建された日本農民組合が、改革を徹底的に遂行するよう主張した。また、6月に対日理
事会の改革徹底化勧告に基づき、GHQも改革が不徹底であると指摘した。
1946.10 ➡
実施(内閣は
)
1947 農業協同組合(=農協、現 JA)が設立
1952 農地法公布(農地改革の成果維持を精神とする)
第一次(
)
第二次(
)
農地調整法改正
自作農創設特別措置法公布
不在地主
保有を認めない
保有を認めない
在村地主
➡
町歩
内地➡
町歩(北海道
町歩)
自小作地保有限度
なし
内地 3 町歩(北海道 12 町歩)
地主・自作・小作とも
農地委員の構成
地主:自作:小作=
:
:
➡
名
小作料
金納(希望者現物納)
金納(田=
%・畑=15%)
小作人の申し出により政 国が土地買収し小作人へ譲渡
譲渡方法
府が土地の売却を斡旋
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