[417]桃李不言,下自成蹊 成語・ことわざ雑記(15)

上野先生と歩こう 中国語遊歩道 『中国のことばと文化Ⅱ』
[417]桃李不言,下自成蹊
成語・ことわざ雑記(15)
(57)よくわからなかった『山月記』
“肝脑涂地”(肝脳地に塗る)を「一命をなげうつ」の意味で使っている例として『漢書』蘇武伝
を引いたついでに中島敦の『李陵』に触れたら,また読み返してみたくなった。
中島敦はわたくしの好きな作家の一人である。たいていの中島ファンがそうであるように,高校生
の頃,わたくしも『山月記』から入った。例の,唐代の伝奇『人虎伝』に取材した,臆病な自尊心を
飼いふとらせた結果,己の外形をその内心にふさわしい姿,すなわち虎に変えてしまったとする詩人
の告白を描いた,わかったようなわからないような短篇である。たいていの国語教科書に入っていた
ようであるが,今はどうなのだろうか。
(58)『山月記』から『李陵』へ
ろうせい
りちょう
さいえい
『山月記』はその「わかったようなわからないようなところ」と,「隴西の李徴は博学才頴,天宝
こ ぼ う
の末年,若くして名を虎榜に連ね,……」で始まる歯切れのいい独特の文体にひかれて,全文を暗唱
できるほどに繰り返し読んだ。
き
と
い
りりょう
続いていくつか読んだ作品のなかでは,「漢の武帝の天漢二年秋九月,騎都尉・李陵は歩卒五千を
しゃりょしょう
率い,辺塞遮慮鄣 を発して北へ向かった」に始まる『李陵』が,とりわけ印象深かった。
『李陵』は『漢書』の蘇武伝に取材していると聞いて,昼間勤めていた学校の漢文の先生に貸して
いただいて読んだ。半分もわからなかったが,
句読点も返り点もない白文に挑戦するのは楽しかった。
岩波新書の吉川幸次郎『漢の武帝』を読んだのも,この頃だった。
(59)悲劇の将軍・李広
えーっと,何を書こうとしていたのかな?タイトルは「成語・ことわざ雑記」でしたよね。もうち
ょっと待ってくださいね。
り こ う
李陵の祖父が匈奴と七十余戦を交えたという名将李広であると知り,こちらもわからないままに『史
記』の李将軍列伝に挑戦した。
李広はある事で罪を得て,
「刀筆の俗吏」の取り調べを受けるのを拒んで,自ら首を刎ねて果てる。
いた
この日,天下の人は,知るも知らぬも,ことごとく彼の死を悼んだという。ことわざに「桃李不言,
ものい
した おの
けい
下自成蹊」(桃李 言 わざれども,下自ずから蹊を成す)というが,これはまさに李将軍のような人の
ことを言ったものである,と司馬遷は評している。
(60)言わざれども?言わざれば?
ようやくことわざが出てきましたね。上の「桃李不言,下自成蹊」,(
)内に記したように,
よ
「桃李言わざれども,下自ずから蹊を成す」と訓んでいる。桃や李は何も言わないけれど,美しい花
や実があるから人が集まり,自然に下には道ができるという意味で,徳のある人のもとには黙ってい
ても自然にその徳を慕って人が集まってくるものであるということのたとえくらいに解されている。
そのように解することに,わたくしも異存はない。けれども,「桃李不言,下自成蹊」は,そのま
ま訓読すれば,あくまでも「桃李言わず,下自ずから蹊を成す」であって,これを「桃李言わざれど
も」と逆接に訓むのは一種の解釈である。文法的には「言わずんば」と仮定に解することも,「言わ
ざれば」と理由に解することも可能なのである。
2015/9/4
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