日本の建築史と歴史的建造物③

住宅コラム あかいホーム「ずっと住み続けられる安心の住まい」
発行所 株式会社 AKAI
日本の建築史と歴史的建造物③
Vol.13
〒300-0425
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最終回になる今回は安土桃山時代から江戸時代にかけてのご紹介です。この時代の建築
物は現存するものも多く、江戸時代末期に関しては古写真などからも当時の様子を知るこ
とができます。庶民の住宅建築では現在にも見られる、町屋建築や農家造りの住まいなど
は江戸時代頃から作られています。
安土桃山時代
(1573年∼1602年)
書院造りは室町時代に発生し、安
土桃山時代になって大名の館の主室
大寺院の客殿などに用いられ完成し
ました。
書院造りは時の権力者、織田信長
が築いた安土城や豊臣秀吉が築いた
大坂城・聚楽第とともに発達しまし
たが、これらは残念ながら完全な形
では現存していまん。しかし聚楽第
の一部が、西本願寺(京都市)に移
されたといわれています。現存する
遺構では、徳川家光によって建てら
れた二条城二の丸書院が有名です。
この時代は襖・屏風に描く障壁画も
発達し、書院造りに華麗な壁画が描
かれ組み合わされました。
安土桃山時代は城郭建築、書院造
りと共に、茶室建築も盛んでした。
茶の湯は、もともと広間・書院と呼
ばれる格式ある広い座敷で行われて
いましたが、しだいに6畳か4.5
畳ほどの狭い部屋で行われるように
なり、千利休によって草庵茶室が完
成されました。草庵茶室は田舎屋風
の素朴な材料で侘び茶の境地をよく
示したものです。それとは逆に、秀
吉は黄金の茶室を作ったことで有名
です。
江戸時代(1603∼1867年)
江戸時代は室町時代末期・安土
桃山時代にくらべ安定した時代と
なり、市民文化の発達が多くみら
れました。
将軍や大名は、父祖の偉業をた
たえるために、その霊を祭り、部
下や町人に対する権威付けに霊廟
建築が生まれた。霊廟建築のはじ
めは、豊臣秀吉を祭ったと豊国廟
ですが、現在は創建当時の面影は
ありません。
霊廟建築の頂点であり最も有名
なものが世界遺産にも登録されて
いる日光東照宮です。徳川家康を
祭るためにつくられたもので、権
現造りと呼ばれ、近世の神社建築
はこの様式が多く用いられていま
す。
日光東照宮 唐門
二条城
大広間一の間・二の間
上で書きましたが、江戸時代に
なると市民文化が発達し、地域や
生活様式に合った住宅建築が発達
しました。
八条宮の別邸として建てられた
桂離宮(京都市)は、豪華な書院
造りに草庵茶室建築の簡素で軽快
なデザインを取り入れ、正式の書
院に比べ自由なつくりにした建築
様式で数寄屋造りと呼ばれていま
す。数寄屋造りは現代の住宅でも
多くみることができます。桂離宮
は装飾を排した簡素な造りで、同
年代の日光東照宮と対比されるこ
とも多いです。また、桂離宮の庭
は日本を代表する日本庭園とされ
ています。
桂離宮
庶民の住まいでは、京都・大阪
など大都市では、街路に面した間
口を制限し、奥行きの深い平面で
通り庭を持つ町屋建築が発達しま
した。
農家の住まいでは、入口に続い
て土間を取り、土間に面する広い
板の間を台所に用い、その奥に座
敷を配した広間形住まい、さらに
広間形が発展した田の字形の住ま
いは今でも使われています。
その他、火災対策として、外壁
をしっくいとした土蔵造りなどが
つくられました。
最後になりますが、建築史は文
化や美術史の一つとしても捉えら
れ、建築の分野のみならず時代背
景や社会・経済状況とともに発展
してきました。日本における建築
史はおよそ2000年の歴史がありま
すが、当初は大陸から伝わり、時
代とともに日本独自のものとして
変化を遂げ今に至っています。日
光の社寺や白川郷・五箇山の合掌
造り集落、京都奈良の古都の寺社
仏閣、姫路城・・・など、ユネス
コの世界遺産にも登録されていま
す。私たちは、歴史的建造物を大
切にし、後世へ技術とともに伝え
ていかなければならないかと思い
ます。
次回は「木材」に関しての予定です。
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