左室・大動脈系の力学と右室・肺動脈系の力学の違いについて 東京女子医科大学名誉教授 姫路獨協大学名誉教授 日本超音波医学会名誉会員 菅 原 基 晃 左心室の横断面は,ほぼ円形で高圧に耐える形態である.これに対して,右 心室の横断面は,ふいごのような形態をしており,高圧には耐えられないが低 い圧に対して大きな流量を送りこむのに適した形態をしている(図 1).左心室 は圧発生装置,右心室は流量発生装置とみなすことができる. この形態と機能の違いにより,左室と右室の心力学にどのような違いが出て くるかを概説する. 図 1. 左心室と右心室の形態と機能の違い. 1 1. 力学的考察に必要な基礎知識 1.1 図 2. エネルギ-流束 断面 A を通過する流束. 管の軸に垂直なある断面 A(断面積 S)を考える(図 2).A を通過する流れの速 度を u,単位時間に A を通過する流体の体積すなわち流量を Q とする.Q は,Q = uS と表される.流体が持っている運動エネルギ-は,単位体積当り(1/2)ρu2(ρ は流体の密度すなわち単位体積当りの質量)であるから,断面 A を単位時間に通 過した流体が持っていた(あるいは運んだ)運動エネルギ-は(1/2)ρu2Q である. これを,断面 A を単位時間に通過した運動エネルギ-と考えて,運動エネルギ -流束(kinetic energy flux)と呼ぶ. 断面 A における圧力(静圧)を p とすると,A を通過する流体は A の左側の流体 から u の方向に pS という力で押されつつ通過する(図 2).A を通過する流体が 単位時間に移動する距離は u であるから,A を通過する流体は A の左側の流体か ら単位時間当り pS×u = pQ という仕事を受けつつ通過する.結局,流体が断面 A の左側の領域から右側の領域へ移動する際に,左側の領域が単位時間に失った 2 (あるいは右側の領域が単位時間に獲得した)力学的エネルギ-の総和は, (1/2)ρu2Q+pQ = [(1/2)ρu2+p]Q (1) となる.これは,流れとともに断面 A を単位時間に通過するエネルギ-の総和(こ こでは,力学的エネルギ-のみを考えている)とみなすこともできるので,エネ ルギ-流束(energy flux)と呼ばれる.(1/2)ρu2+p は総圧とよばれる.総圧を p0 で表す.総圧は単位体積当りに流体が輸送する,あるいは保有する力学的エ ネルギ-(mechanical energy)とみなすことができる.ベルヌ-イの定理は,定 常流の場合この力学的エネルギ-が一定であることを表している: p0 = (1/2)ρu2+p = 一定 (2) 2. 左心室の心力学と右心室の心力学の精度 エネルギ-流束とエネルギ-保存則から,心室が行う仕事を求めてみよう. 収縮期に大動脈弁を通過する血液が単位時間に左心室から運び出す力学的エネ ルギ-は,(1)式から, (1/2)ρuA2QA+pAQA = p0AQA となる.ここで,添字 A は大動脈弁の位置における各量の値を意味する(図 3). 同様に,拡張期に僧帽弁を通過する血液が単位時間に運び込む力学的エ ネルギ-は, (1/2)ρuM2QM+pMQM = p0MQM となる.ここで,添字 M は僧帽弁の位置における各量の値を意味する.1 心周期 の間に大動脈弁から流出するエネルギ-と僧帽弁から流入するエネルギ-の差 が,血液が左室心筋から受けた仕事 W である. W = ∫(1/2)ρuA2QAdt +∫pAQA dt -∫(1/2)ρuM2QMdt -∫pMQM dt TS TS TD TD =∫p0AQAdt -∫p0MQMdt (3) TS TD 3 図 3. 左心室から大動脈へ出ていくエネルギー流束 ここで,p0A,p0M はそれぞれ大動脈弁および僧帽弁位置における総圧を表す.TS , TD はそれぞれ積分区間が収縮期および拡張期であることを表す.(3)式は,心筋 と血液の間の仕事のやりとりは流入口および流出口の静圧を介してではなく, 総圧を介して行われることを表している.もし,大動脈弁と僧帽弁位置におい て総圧が測定できれば,(3)式の 2 番目の等式を用いることができるが,静圧を 測定した場合は 1 番目の等式を用いねばならない. 左室内の静圧には,場所によって 10mmHg 程度の差がある.従って,(3)式の p0A および p0M の代わりに,左室内(位置は明確には指定しない)の静圧を用いると 誤差が生じる.しかし,左心系の場合は,収縮期圧が 100mmHg を越すので,上 の代用によって生ずる誤差は 10%前後である.この程度の誤差は許容することに 4 すると,1 心周期の間に左室心筋が血液に対して行う仕事 W は, W =∫pQAdt -∫pQMdt TS TD = ∫p(-dV/dt) dt -∫p(dV/dt) dt TS TD = -∫pdV -∫pdV TS (4) TD となる.ここで,p は左室内の静圧,V は左室の容積であり,収縮期には QA = - dV/dt ,拡張期には QM = dV/dt の関係を用いている. (4)式は,よく知られた圧-容積曲線により心筋の外部仕事を計算する式であ る.この式の持つ誤差は,左心系の場合は 10%前後で済んだ.しかし,右心系の 場合は事情が異なる.仮に,肺動脈弁位置における総圧と場所を明確に指定し ないで測った右室内の静圧との差を,左心の場合と同程度の 10mmHg ぐらいとす ると,正常な右室収縮期圧は 25mmHg 前後であるから,(4)式により右室心筋の 外部仕事を計算すると(もちろん p,V は右室の値を用いる),40%前後の誤差を 生じることになる.従って,右室の仕事の議論は,(3)式を用いないと厳密には 行えない. 参考文献 菅原基晃,仁木清美,大手信之.イメージで理解する心エコー・ドプラ・循環力学.文光 堂,2011. 5
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