一人になった男 益田清風高等学校 2年 山本 陸 ある村にヒヒが現れて村人を困らせていました。そこで、正義感の強い三人兄弟の太郎、 次郎、三郎は、ヒヒを退治することにしました。三人は計画をたてました。 次の日、太郎がヒヒに石を投げてヒヒを誘い出しました。ヒヒは太郎を追いかけました が、太郎は馬に乗りヒヒから逃げました。そして太郎は作戦どおり岩屋岩陰遺跡にヒヒを 連れ出しました。そして次郎が遺跡の入り口を岩でふさぎました。ヒヒが次郎を見ている 隙に太郎は上にいる三郎の手をとり上へあがりました。 上にいる次郎と三郎の二人で大きな岩をヒヒにむけて落としました。ヒヒは逃げようと したものの、回りを岩で囲われては逃げ場はありません。ヒヒは無抵抗のまま岩につぶさ れてしまいました。太郎は村へ行き、 「ヒヒを退治した、岩を持ち上げたいから みんな手伝ってくれ」と言い、村の男達を 遺跡まで連れてきました。何人もの男たち の手で岩をよけました。しかし、岩の下で つぶれていたのはヒヒではなくタヌキで した。遺跡の地盤がゆるかったせいか、タ ヌキは完全にはつぶされず、かろうじて息 がありました。次郎がタヌキに尋ねました。 「なぜタヌキがここにいるのだ?ヒヒは どこだ?」 岩屋岩陰遺跡(下呂市金山町) するとタヌキはこう答えました。 「あのヒヒは私が化けていたのです。ヒヒに脅されてヒヒになりすましていたのです。」 そのころ男達がいなくなった村ではヒヒ達があばれていました。実はヒヒは一匹ではな かったのです。男達はみな村へ戻りました。村へ着くと家は壊され、家畜は殺され、畑は 荒らされ、女子どもはみな消えています。 男達は何が起こったのかまったくわかりませんでした。が、誰かが、 「ヒヒのしわざだ。」 と口にしました。太郎たちはみごとにヒヒの策にはまってしまっていたのです。 まだヒヒが村のどこかにいるかもしれない、と全員で村のあちこちを探しました。する と一枚の置手紙を見つけました。なんと、その手紙はヒヒからのものでした。 「ムラカラ アル 二 ドウクツ リ ホクトウ ニテ オマエ ニ アル タチ ヲ オオキナ スギ ノ キ ノ ウラ ニ マツ」 手紙を読んだ太郎は、村の男たち十人ほどを引き連れ、クワやカマを手にとって北東に ある杉の木に向かいました。次郎と三郎は村が再び襲われないように、とどまることにし ました。 杉の木に行くと洞窟の入り口にヒヒがいます。太郎たちは一斉にヒヒへと襲いかかりま した。すると洞窟の奥から何十匹ものヒヒが襲ってきました。太郎たちの抵抗はむなしく みな殺されてしまいました。 村人の一人の男だけが逃げ切り、ヒヒが一匹ではないことを次郎や三郎に伝えました。 洞窟の前には太郎を含む多くの首が転がっていました。 次郎は兄の恨みを晴らそうと、今度は二十人ほどの男を連れヒヒの元へと行きました。 ヒヒが一匹ではないことを知った次郎は大きな銃を持って、洞窟に向かいます。しかし、 洞窟の入り口はヒヒ達によって岩でふさがれていました。洞窟の横にある坂の下にヒヒが 一匹いました。次郎はヒヒに向かって銃を撃ちました。ヒヒはこれをひらりとかわし、坂 の下へと次郎たちを誘い込むと、上からほかのヒヒが岩をころがし、次郎たちを潰してし まいました。 次の日の朝、洞窟の前には二十ほどの首が転がっていました。もう村には三郎と、わず かな人数の男しかいません。 三郎は策を考えました。 次の日、三郎は一人で森に入り、酒の入った器を置いておき、ヒヒが拾いに来るのを待 ちました。しばらく待つとヒヒが現れ、酒を拾い、洞窟の方へと走っていきました。 三郎はヒヒを追いかけ入り口のふさがった洞窟への横穴をみつけました。そして大量の 酒を洞窟の前に置いておきました。酒が大好きなヒヒは不自然な場所に酒が置いてあるこ となど気にせず、洞窟へと運び、宴会を始めました。ヒヒ達の騒ぎ声が聞こえなくなった ところで三郎達は洞窟へと侵入し、洞窟の奥に閉じ込められていた女たちを助け、洞窟の 中に油をまき火をつけ洞窟の横穴をふさぎました。 次の日の朝、三郎は一人で洞窟に行くと入り口をふさいでいた岩はなくなっています。 中にあるはずのヒヒの死骸もありませんでした。不思議に思い、村へ戻ると男も女もみな 殺されていました。 三郎は一人残されてしまいました。肩を落とし、つぶやきました。 「どうせ一人になるなら殺されればよかった…。」 (元になった話) 祖師野神社の祖師野丸 平治の乱(1159 年)で平清盛に敗れた源義朝の長男義平(悪源太義平…悪は当時は強い という意味でした)は、美濃から飛騨に潜伏して再起を伺っていました。そんな中で祖師 野村に来た義平は、この地で米・財宝・娘などを要求する怪獣(…ヒヒ)を村人の依頼で 岩屋村(現 岩屋岩陰遺跡)へ追いつめて討ち取りました。村に残るよう頼まれましたが、 義平は村人に愛刀(祖師野丸)を与えて立ち去り、やがて京都で平氏に滅ぼされました。 村人は恩義のある源氏の再興と武運を願い、源氏の氏神である鎌倉八幡宮の分霊を迎え たと云われています。 【参考資料】 ・金山町誌編纂委員会. 『金山町誌』 .1975 年.
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