2015年原水爆禁止世界大会参加レポート

原水爆禁止
原水爆禁止 2015 世界大会 in 広島に
広島に参加し
参加して
派遣者:前川
奈美子
戦後 70 年、今、日本は平和です。
私は、
「被災者の方の話を聞きたい!」と思い、広島の原水爆禁止2015年
大会に参加しました。
広島はとても暑く、歩いているだけで汗が流れてきました。
70年前、この暑い日に原爆が落とされ一瞬にして14万人もの人が亡くな
った。
原爆ドームを初めて目にして、私はそこに立ちただ呆然とそれを見ていた。
原爆ドームから原爆資料館へ行くと、そこには世界中から集まった人達でい
っぱいだった。
各国からきていたボーイスカウト・ガールスカウト、若い人達が多くて資料館
に入ると身動きが出来ないほどだった。
そこには、当時の写真や原爆が投下されたときの壊れた時計、溶けた茶碗など
たくさん展示されていた。息をしていない黒く焼け爛れた赤ちゃんを抱いてあ
やしている母親のビデオが流れていた。焼け爛れた皮膚がぶら下がっているろ
う人形があった。石段に黒く残った兵士の影があった。原爆の凄まじさを表して
いた。
私は、何故か涙が溢れてきた。
次の日、被爆者の体験を聞くことができた。
当時16歳、自分は級長で8月5日、8月6日どちらの日の作業がいいかと聞
かれ、
「ジャンケンで決めれば」と言い、自分が負けたから8月6日にしようと
仲間と作業に出かけた。
被爆地から1.7kmの場所で作業をしていると、8時15分、一瞬すごい光
に覆われ気を失った。
父親が助けに来てくれ目を覚ますと、そこは地獄絵図のようだった。熱い!熱
い!と水を求めて川に入っていく人、積み重なった死体、焼け爛れた下の山を乗
り越えて自分の家まで走って帰った。その後、40度以上の熱が何日も続き、身
体中に赤黒い斑点ができて身体中が焼けるように熱かった。足は曲がりその痛
みと闘い続けた。
自分が8月6日を言ったせいでたくさんの仲間を亡くした。
自分を助けてくれた父親が3ヵ月後に亡くなり、
「自分のせいだと今でも苦し
んでいる。」と言う話を聞き、胸の詰まる思いがした。
70年経った今も、身体の痛み、心の痛みと闘っている被爆者がいる。
彼は言った、「あと何年自分の体験を話すことができるだろうか?」と。
世界中で今なお核兵器が造られており、その核が爆発すれば人類は数百回滅
亡すると言われている。
そのような恐ろしい核を何故、人は造り続けるのか。
今回の大会に参会して、私は世界中から集まった多くの人がこんなにも平和
を願っているんだと感じ、とても胸が熱くなりました。
「核兵器廃絶!」、それは全ての人の願いです。
唯一の被爆国日本が、この運動の中心となるべきです。
原爆投下が二度と無いことを願い、核の無い世界を目指し訴え続けていきま
す!