p9_p10 海で生きることを選ぶ

三陸から生まれる食〈海〉
日本が世界に誇る三陸沖漁場。だが、近年は魚の減少、湾内の汚濁、後継者不足など、
水産業は下降線をたどっていた。そこに起こった東日本大震災は一つの転機となった。
浜を離れる人、残る人、帰って来る人、新たな事業を起こす人。それぞれの選択が、これからの浜の未来を形づくる。
出会いが生む
新たな可能性
南三陸町志津川
小野具大さん
様々なことに興味を持つ小野
さんは、友達も多い。素人
質問に対しても丁寧に説明し
てくれる。
人とのつながりがつくる
「おいしさ」
ノルウェーの技術で、
藻場の再生に挑む
海のレーサー、
アナゴ漁師
石巻市渡波
南三陸町歌津
石巻市小渕浜
「全国からの応援に感謝、
高級食材の代表格のウ
石巻の中心街から牡鹿半島へ
今年も美味しい海苔ができ
ニ。だが、増え過ぎて餌不
車で約1時間、小渕浜で漁をす
ました」と、一枚一枚に直
足になると、身痩せして売
る大澤幸広さんは、父親の後ろ
り物にならない。それだけ
姿を見ながら、早くから自分も
でなく、アワビの餌にもな
漁師になると決めていたという。震災前は養殖をはじめ、漁
る海藻を食べ尽くし、海の
船業や素潜りなど、さまざまな漁を行っていた。震災後は、
相澤 充さん
高橋栄樹さん
筆のメッセージを記したカー
収穫した海苔は、すぐに自宅兼工場へ
運ばれる。幾つもの工程を経て、板海苔
へと仕上げられる。この日は午後の収穫
だったため、作業は朝まで続く。
大澤幸広さん
父親もアナゴ漁師だった大澤さん
にとって、海は遊び場であると同
時に学びの場でもあった。
牡蠣の挟み込みは志津川牡蠣部会合同で行う作業だ。夜
ドと一緒に、今年の一番摘
明けの浜に集まってくる人々の中に、小野具大さんもいた。小
みだけでつくられた味付け
野さんは震災前、仙台でサラリーマン暮らしをしながら繁忙
海苔「相澤さん家の海苔」
生態系を崩してしまう。藻
期の週末だけ、ホタテとホヤ養殖を営む実家を手伝いに帰っ
の発送準備が進んでいた。牡鹿半島の根元にある石巻湾で
がなくなり、真っ白になっ
て来ていたが、震災を契機にサラリーマンを辞める決意をし
つくられている相澤さんの海苔は、毎年10月末から4月まで
た海底は「磯焼け」といわ
筒はアナゴが一度入ったら抜け出せない仕組みになっていて、
た。その頃、個人での再開は難しかったが、皆が集まればで
の寒い季節に収穫される。
れ、日本各地の沿岸で問題になっている。
餌となるイカを入れ、ロープにくくりつけては海底へと次々に
きると、共同化に対する復興支援事業「がんばる漁業」の助
海苔は、養殖の中でも手間と時間のかかる仕事の一つ。
宮城県漁業協同組合歌津支所青年部の高橋栄樹さんは、
沈める。午後、海に出て、港
成を活用し、60 代から30 代の小野さんまで、得意分野も違
その年の収穫が終われば、8月の種付けに向けて網や支柱
宮城大学主催のノルウェー視察旅行で知ったウニの養殖技術
に戻るのは深夜0 時頃。
「早い
う16名が集まり、協業がスタートした。
の施設準備を開始する。種付けといえど、海苔の種は目に見
を磯焼け解消に活用できるのではないかと考えた。
ノルウェー
もの勝ち」で決まる漁場へは、
カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメなどの養殖業、定置網漁、元
ることはできない。顕微鏡400 倍で見える海苔の種が目に見
では人工飼料を使ったウニ畜養(*1)に成功しているものの、
沖合で他の船と集合した後、
マグロ漁船の船頭さんもいる。それまでなかった異業種で教
えるようになるまで、安定生育が見込める松島の海で育て
人件費が高く、実用化されていない。対する日本では、餌の
組合長の合図で一斉に出発す
え合うということも始まった。マグロ漁業経験者からは複雑
つつ、同時に漁場となる海に海苔網
開発が遅れているため実用化に至っていない。高橋さんが提
る。まさに海の上のレースだ。
な紐の結び方を教わったし、知識も経験もなかったカキ養殖
約900 枚を置く網棚をつくる。育った
案するのは、互いの不足を補い合う形でのウニの畜養実験だ。
大澤さんは、30センチ未満の
も経験した。漁業組合青年部と山間の入谷地区青年団との
海苔を網棚に戻した頃、漁は始まる。
新しい試みにはリスクがつきものだが、青年部部長の三浦
アナゴは海に戻すようにしてい
秋敏さんは「やってみよう」と踏み切った。地元漁協も後押
る。また、筒も産卵期のアナ
山の整備にも参加した。山のめぐみが海のめぐみを育むこと
ゆっくりはしていられない。
左、高橋栄樹さん、右、三浦秋敏さん。
立場は違っても海を仕事の場としてシェア
する者達は、協力し合う仲間だ。
2012年から復活したワカメとアナゴ漁をしている。
船には黒い筒が約1300 本、ところ狭しと積まれている。
を、カキ生産者は良く知っている。農業に興味を持つ小野さ
震災後、海苔の生産から販売
しをしてくれた。データを公開し、ノウハウも受け渡す予定
ゴは入れない大きさになってい
んは農家との連携も考え、新しい販売ルートも模索している。
まで、すべて家族経営で行っ
だ。これは、駆除の対象であるウニを環境の違うノルウェー
る。
「次の世代のためにも、い
協業は来年で終了予定だが、新しい漁業のあり方を見つめる
てきた。相澤さんの漆黒の海
の技術を使って実用化し、得た収益を翌年の磯焼け対策に
るから獲ればいいっていうもの
小野さんに先輩たちの期待もふくらむ。
苔はかおりがあって上品な旨
充てるという、持続的な藻
ではない」
。限りある海のめぐ
味をもつ。それは石巻の料理
場再生システムを探る試み
みへの感謝とともに、小さい頃
浜の仕事は朝早い。恊働で牡蠣の挟み込み作業をするために、人が集まってくる。
やカフェの創作パンとも、相性
になる。
「今ダメなら手だて
からの生活の場である海ととも
がいいようで高く評価されている。
を打って持続可能なしくみに
に生きていく。漁が好きなんだ
ボランティアをはじめ、訪れる人
変えていかなければいけな
と話す笑顔の中に、震災前も
との出会いもかけがえのないもの
いんです」と高橋さんは力
震災後も変わらぬ想いがある。
だ。相澤さんは消費者の喜ぶ顔
強く語る。
を想いながら海苔をつくっている。
ものをつくる仕事に就けて幸せだと話す相澤さん。
海苔はYahoo!の復興デパートメントで入手可能。
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海で生きることを選ぶ
高橋さん宅には養殖作業の手伝いをする
人達が集う。写真はそれまで篭に入れて育
てていたホタテが大きく育つように一つ一
つはなしてロープに吊るす
「耳吊り」の作業。
漁場のポイントへと全速力で船を走
らせる。一番早かった船が大漁とは
限らないのが海の漁だ。
一本一本、手作業で筒からアナゴを出していく。
この作業は船の移動中、約 4 時間続けられる。
アナゴは活魚として生きたまま漁港に送られ、
そこから市場へと出回る。
*1 畜養とは幼魚や小型の魚を捕獲して育てること。それに対し、養殖とは稚魚、あるいは卵からふ化させた完全養殖を意味する。
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