近世ヨーロッパのかつら お茶の水女子大学名誉教授 徳井淑子 イギリスの法廷で裁判官や弁護士が立派なかつ 17世紀は,男性も大 らをつけている映像を見たことがないだろうか。 量のリボンやレースで これは17・18世紀ヨーロッパ社会にあったかつら 服をかざり,自然な体 の習慣が今日に残った姿である。かつらをかぶる の線を隠蔽する時代で ことで裁判官らの匿名性が保たれ,権威が演出さ あるから,かつらもそ れることから残ったのであろう。近世の宮廷社会 のような技巧の一つで で,かつらは聖職者,行政官,軍人など職種によっ あったかもしれない。 て異なり,身分の象徴という社会的な機能を担っ また頭部は体のなかで たがゆえに一過性の流行に終わらず,1655年頃か 最も重要な部位である ら1世紀半に及ぶ長い歴史をつくった。 とされ,ぼうしの作法 かつらの普及はフランス王ルイ13世が病気で髪 が礼儀としてとくに求 を失ったことに始まるといわれる。後継のルイ14 められた時代である。 世は栗色の豊かな髪に恵まれたから,かつらの使 かつらにも同様の意味 用をきらったが,しかし1680年頃には髪をそって を認めてもよいかもしれない。 かつらを被らざるを得なくなったという。社会的 フランスで流行したかつらはヨーロッパじゅう な表示機能があれば王がつけないわけにはいかな へ広まり,かつら製造はフランスの重要な産業と かっただろう。しかも汚染された水への恐れが なり,1665年にはかつら師のギルドが結成されて あったため入浴の習慣がなかった時代,髪をそっ いる。産業・経済にかかわり,衛生的かつ社会表 てかつらをつけるほうが衛生的であった。これも 徴として機能するかつらは,簡単にはすたれない。 流行の理由である。 18世紀には髪を後ろになでつけ,お下げのついた (文化学園大学図書館所蔵) (大阪府立中央図書館所蔵) 左の版画は1694年のルイ14世 多くの種類のかつらが使われた。上の図はディド で,大量の巻き毛を積み上げた ロとダランベール編纂の『百科全書』の中の「か イン ・ フォリオとよばれるかつ つら師」の一ページで,下から二列目左二つは聖 らをかぶっている。 サン=シモン 職者の剃髪つきのかつらである。 の 『回想録』 によれば,王の起床 かつらの着用は古く,古代エジプトまでさかの 時には理髪師兼かつら係が長さ ぼる。縮れた髪を編み毛にして布台に縫いつけ, の違う二種のかつらをもって王 蜜蝋で固めたかつらの着用は,やはり衛生のため の御前に伺候,引見用のかつら で,地位の表示機能を果たしたことも同じである。 は短めだったという。午餐のあ 古代ローマでは女性がゲルマン民族の金髪にあこ とのミサ,狩りや散歩から帰っ がれ,髪を脱色し,娼婦が金髪のかつらをつけた たとき, 晩餐のときなど, 日に何 ことが知られている。蛮族の髪で美人になると, 度もかつらを取りかえ,かつら 詩人マルティアリスは風刺する。こちらは一過性 師を40人雇っていたというから, のファッションだが,ブロンドへのあこがれはこ かつらは重要なアイテムであった。おもしろいの は,くしを出して髪をとかす所作が流行したよう で,その所作がサインとなって, ときに陰謀決行の 合図ともなったという。手ですくのはいなか者の やることで, 宮廷人はやってはいけない。 こまでさかのぼる。 【参考文献】 R・コーソン『西洋髪型図鑑』藤田順子訳(女性モード社,1976年) 内村理奈『モードの身体史─近世フランスの服飾にみる清 潔・ふるまい・逸脱の文化』(悠書館,2013年) −5− 世界史のしおり 2015① を通して見る世界史 物
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