井上一生独立物語 さくら相談ユナイテッドに興味を持っていただいた皆さん こんにちわ! さくら相談グループ代表の井上一生(いのうえいっせい)です。 井上の就職から開業に至るまで。あまり自慢できる話じゃないんですが、その話をして みます。そしてどんな方にこの企業チームに入ってもらいたいか。そしてこの企業チーム の未来を語ってみたいと思います。 ■適性がないから、事務所が伸びた?! この原稿は、今まで人に話したことのなかったこと、出来の悪かった私の話をします。 人に話すことは、初めてのことを多く含んでいます。 私は現在56歳。この事業を29歳と10か月で創業して27年目です。 29歳で独立するまでは、当時世界最大のアーサーアンダーセンというアメリカの会計事 務所に勤めて、小さな日本の会計事務所に移り数年で、独立しました。 英語もたいしてしゃべれない、税法の知識もろくにない私が、アンダーセンに入れたの は、バブル景気で人材不足だったのです。 実力不相応な巨大な会計事務所に、幸か不幸 か入っちゃったんです。でもその時のリクルート担当のFさんは、 「私は、アンダーセンにあなたのようなリーダーシップを持つ人に入ってほしかったんで す。あなたを採用するか議論は確かにありました。しかし入ったんだから結果を見せてく ださい」と。 私は、専門学校の求人の張り紙を見たら、やけに給料が良い。「オルセン・宇野税理士事 務所」と書いてある。電話して行ってみたらアンダーセンだったのです。慌てて、帰り道 アンダーセンとは何かを本屋で探して、当時アンダーセンが世界で一番デカい会計事務所 と分かったのです。 「オルセン・宇野事務所」は、税理士法上の表記で、実際は、アンダー センの税務部門だったのです。そんないい加減な気持ちの面接で受かりました。この一回 きり。私は就職活動を人生で一回しかやったことがないのです。 しかし元来、要領が悪い私は、毎日嫌いな上司から怒られて、自暴自棄になりました。 そんな時に学校の関係の先輩から赤坂で酒を飲まないか?と誘われ、その酒の席でウチの 会計事務所に来いよと言われ、丁度いい呼び水とお酒の勢いでその先生にお世話になると 語ってしまったんですね。 退職の最終日、一枚の色紙が、渡されました。事務所の人たちが私に手向けの言葉を書 いてくれたんです。Aさんという先輩が書いた文が、目に留まり今でもはっきり覚えてい ます。 「一生は、たぶん将来会計事務所業界の地図を書き換えるだろう」と書いてあったんです。 何を場違いなと妙な気分でした。そんな内容だから明確に記憶に残っています。帰り道、 青山一丁目駅のごみ箱にその色紙を捨てました。そして宣戦布告を心に誓ったのです。 「絶対に将来あいつ等をぶち抜いてやる。額面所得三倍、可処分所得二倍だ。 」明瞭に覚え ています。結果、現在概ね出来ました。だからこんなつまらない昔話も書けるんですが・・・ しかし、私は会計事務所にとっては相当風変わりな人材だったんでしょうね。 その後お世話になった街の会計事務所の労働環境は最悪でした。今まで港区青山の一等 地ビルでワンブースを与えられていたのが、錆が浮いた鼠色の小さな机と椅子のみ。椅子 は、ギシギシ音が鳴っていました。でもそれが当時の自分の実力に合致した一般的な会計 事務所像だと後になってわかったのです。 税理士登録を事務所の所長にしてもらって、支部の関係の若手税理士の先生方と交流し ているうちに、TKCという税理士向けの計算センターの「かけるの会」という独立を学 ぶ勉強会に入れてもらいました。そこは、若い税理士が独立の夢を語る世界でした。 当時お世話になっていた会計事務所の将来性に絶望していた私は、また数年で実力もな いのに独立を決意しました。何故なら、学校の先輩や知り合った独立したばかりの先生方 に相談したら、皆独立した方がお前には向いていると話してくれたのです。今考えれば、 ほめ言葉じゃないんですよ。お前は会計事務所の職員には不適格だ。だから経営者として 貧しくマイペースでやれという判断だったんだろうと思います。 でも私という人間を見て、 「お前は伸びるよ」と話してくださる方もいました。そういっ ても。本当はもっと実務の実力をつけて独立するのが手順です。私の本心は、人の会社の 過去の数値を、一円単位で税務申告書にまとめる仕事にどうも興味がわかない。だから独 立して経営者になろうとしたのです。 ■無我夢中の独立。そして仕事は分業 実力もないですから、独立しても苦労しました。そのうちにたまたま間違って事務所に 入ってくれた優秀で経験豊富なパート職員に事務仕事をしてもらい、私は相変わらずもっ ぱら外の営業回りをしました。つまりカッコよく言うと早くから、製販分離の組織分業が できたんですね。最初は、正社員なんか雇えません。パートさんをお願いするしかお金が なかったのです。 開業して数年たって、ある日、数人のパートさん嫌がらせのように連れ立って何も言わ ず辞めていきました。皆の気持ちを分からず勝手なことばかり言っていた私が悪かったの でしょう。理由を悩んだ私に、残ってくれたパートのFさんは、 「彼女らは帰ってきませんよ。もう一度ここからやり直しましょう。 」と話してくれまし た。また自己志願で事務所に押し掛けて「使ってくれ」とパートから入ったKさん。そん な人たちに私は助けられました。若い創業経営者でひたすら前進しか考えられない営業専 担の経営者。税理士会に真っ向から喧嘩を吹っ掛けるような勢い。そんなダメな経営者の 部分を埋める人が何故か不思議と入ってくる。そんな人と知り合う。そして穴を埋める人 が育つ。当時、どうやって立ち直ったのか?今でもよく覚えていないのが正直なところで す。いずれにせよ今なんとか曲がりなりにも、ご飯が食べられるのは、そんな皆さんの力 です。私は運が良たんです。 しばらくして、旦那さんの会社を助けるためにパートのFさんは、弊社から離れて旦那 さんの会社の経理事務をしていました。そのFさんが、ガンの病気で亡くなりました。そ のあと旦那さんからFさんの遺された言葉を伺いました。 「井上先生は、きっと将来この世の中を変える人だから、皆で力を合わせて頑張ってほ しい」と言われたそうです。 私が世の中を変えられるかどうかはわかりません。しかしアンダーセンのAさんの言葉 と合わせて、Fさんが私に向けた遺言なら、将来そうしないといけない。そう誓ったこと を思い出します。 ■製販分離をますます進める そのころイタリアンレストランチェーンのサイゼリヤの正垣社長(当時)の勉強会に誘 われました。ここで学んだチェーンストア理論が、のちの私の経営者人生を決定的に変え ました。経営のプロ、専門家になりたいと私は思ったのです。会計事務所のサイゼリヤに なりたいと試行錯誤が始まったのです。 試行錯誤は永く続きましたが、そうこうするうちに、コンビニの経営者向けにサイゼリ ヤで学んだ「トレードオフ」志向の会計申告パッケージサービスが出来ました。そのとき 一緒に弊社で営業の仕組みをつくってくれたのが現在の営業の三橋さんや黒田さん、テレ アポの河野さんらです。コンビニというマーケット特化の専用パッケージは、現在の弊社 を築く土台になったのです。 また税務の質問を受けても、営業専任で現場からますます遠ざかっていたから、税務署 出身の税理士に税務実務の指導をしてもらうようになりました。資産税の仕事も併せて、 業務品質を格段に上げていったのです。現在、その指導をしてくださる国税 OB の税理士集 団を「さくら税務実務研究所」として独立させ、日本一の税務シンクタンクにしました。 製造は、森重さん。コンビニの業界特化の営業は、三橋さん。私は新しい業界開拓。新し いビジネスモデル開発の分業体制ができたのです。会社全体はイケイケの拡大志向ですか ら、顧客も人員も益々拡大して、突っ走っていたら今の100人クラスのサイズの会計事 務所が出来たわけです。現在コンビニの支援店舗数は、3049店舗(2015年2月末 現在)。日本のシェア5.5%超。この拡大スピードは益々加速します。また柔道整復師や 獣医、高齢者住宅・介護等の様々なマーケットを特化していく。将来の人材獲得を急ぐ理 由なのです。 人生は、何が功を奏するかわからないものです。私は半端に事務仕事に適性が無いから、 その穴を埋める人を探す、その人も適材適所で伸びる。組織分業を進め一流の国税OB税 理士を迎えたことで、品質や信用がアップしました。それを理由に、安心して営業をます ます突っ走りました。攻めるターゲット業種を考え、業界の掟破りの様々な営業作戦を実 施していったのです。半端に私が事務仕事に適性があったら、たぶん私は今頃平凡な零細 会計事務所の所長でいたでしょう。 また、国税出身の税理士先生との出会いや税務に適性を持つ人材が育ってきてくれたから こそ、弊社は、逆に有数の税務に強い人材を養成できる事務所になっていったのです。 資産税で一流になりたい方。私に志願してください。弊社に入ったらシンクタンク「一般 社団法人さくら税務実務研究所」の事務局担当にしてあげます。私から言うのも変な話で すが、一流の税法実務を学びたい方。弊社に入ってください。そして日本で一番営業する 税理士になりたかったら、弊社に入ってください。私が腹心にして扱き使い育てます。営 業の上手い税理士。希少価値で記念物に指定されます。こんな奴は、どこに行ってもご飯 の種は、付いてきます。 ■高校の同窓会 最近、よく高校時代の仲良しと数人の同窓会をします。 私と同じ法政大学に進んだHは、政府系大金融機関に入りました。今はその金融機関のグ ループのシンクタンクの経理責任者をやっています。出世は、どうやら希望は持っていま せん。 立教大学に入ったKは、旧三大証券会社系の不動産販売会社に入りました。もうすぐ役 職定年で、給料は半減すると言っています。 筑波大学に行ったIは大学院まで行き、そのあと都市銀行系のシンクタンクに入り、今 は小さな地方私立大学の教授から学部長になり、最近その学部が生徒不足で閉めることに なり苦労をしています。 50歳過ぎのオヤジの仕事の実像なってそんなもんで、同窓会に参加できること自体が、 実は勝ち組だと思うのです。大学に行ったかどうかわからない。もしくは半端に大会社に 入って厳しい競争に負けて、これまた半端に会社を辞めてしまいつまらない会社にいる奴 は、同窓会にも来ることができないのです。 私と同じ法政から有名Sデパートに入った親友のNは、デパートから地方のスーパーに 飛ばされ、その後解雇され心労でおかしくなりました。自宅で療養しているうちに、自宅 で不慮の死を遂げたのです。何故死んだか?誰も語りません。私はそれ以上聞きたくも調 べたくもありません。ただ奥さん曰く、 「俺の仲間は、税理士とか良い銀行に入って頑張っ ているのに、俺だけ何故こんなことになるんだ」と毎日酒を飲んで語っていたというので す。もうそれ以上奥さんに私は尋ねられません。ただ一つ誓ったことは、私はNの人生の 分までビジネスを成功させ、人生を活きなければならないことです。 その他にも、縁故で日本生命に入った大学のクラスの友人も自殺した人物がいました。 だから、身の丈で世界を見る。出世競争で血道を開ける世界は、どうなのかなと。 アンダーセンに残った同期も、続々と辞めました。独立したり、転職したんですね。い つまでも残る終身雇用の社風はありません。そこを踏み台にして、また出世の限界を感じ てそこを出ていく通過点のようなアメリカ独特の企業風土なのです。そのうちアンダーセ ンは、エンロン事件で崩壊し、その後、日本の組織全体で別の会計事務所組織に移籍した ようです。大好きだった直属の上司も早期退職に追いやられ、その組織に残れたのは一番 性格の悪い皆から嫌われていた人(井上の勝手な評価です)が、事務所のトップになって います。 大好きな方の元上司は、 「結局お前は、さっさと独立して早く自分の城を持てた。お前が一番正解だった。俺の 歳で独立なんて最悪だよ。 」と言うのです。人生はわからないものです。 皆さん!こんな話を聞いて、それでも大会社に入りたいですか? 優秀な人材が行列をなして、ホンの一握りの役員しか成功したと称されない会社に入り たいですか?会計事務所業界は、まだ「穴」だらけ。ある分野で一流になんてなることは 簡単です。 ■井上が求める人材 私たちスモール企業経営は、スピードが第一です。変化対応の早さが命です。 極端に言えば、それが最大の経営資源です。 「巧遅より拙速」 つまり丁寧で遅いなら、荒削りでも早い事を大切にします。 人材も無難の保守的な人より、荒削りでも攻める人材を無理あっても採りたい。 人生や仕事は、様々な障害があります。スモール企業が始める新しいことは所詮うまくい かないのが常です。 だから、一度筋を通した後は、蛮勇で通す。 皆、いろんな事情があるでしょう。 軋轢も生まれるでしょう。それでも、突き進む。 私は、何を言われても重戦車のように闘ってきたのです。 私たちスモール企業は、上手く行かなきゃ、スタートに戻れば良いのです。 その繰り返しをしてきたのです。 前向きの向こう傷で、部下を怒ることは、私はありえません。 怯えて立ち尽くす臆病者、思考停止者、老いた精神の老人は去ってもらう。これを徹底す る。 敵を作らず、みんな仲良しは、不出来な役人の生き様。 豊かになり安住を覚え、腐りはじめた日本人の今の生き様。危険な事です。 それは、ハングリーを旨とする創業経営者の私の価値観ではありません 私達は、常に挑戦者であり、心身ともにチャレンジャーでなければ、企業は腐る。 肉体は確実に老います。それに精神が引きずられ皆老いる。 精神の老人化を防ぐため、私は武道で心身に刻むのです。 武道は、老いてからと最近思い始めました。スムーズに動ける若者には、その貴重さはわ からない。 攻め続ける企業。それをベンチャー企業と言う。ベンチャーは、企業の年数じゃない。 精神と姿勢をベンチャーと言うのです。 後から入ろうが、将来のリーダーに貴方がなってくれるなら、貴方をリーダーとして闘う 適材適所の土俵を用意します。 正直言うと、会計事務所の匂いのする人物は、私は嫌いです。 こんなことがありました。企業再生の実地研修で、 私が、 「この会社は実態として完全に債務超過。自己資本を積み増す。可能ならまず増資し かない。のちに銀行たちとは、バンクミーティングして劣後債的な対応を取ってもらおう」 と語ると、一人の賢そうな会計事務所の若い職員が 「増資したら、法人住民税の均等割が増えるから駄目だ」と話したのです。 私は、とっさに口を突いて言葉が出ました。 「お前はバカか。会社が存続できるかどうかの瀬戸際で、何で節税なんか考えるのか。年 間数十万から数万の税金が増えるだけなのに!だから会計事務所は、経営の本質をつかめ ないのだ。 」と言ったら、彼はそのあとの2日間私と口を利きませんでした。 本末転倒なんです。会社の成長が大事か。会社の節税が大事か。 本質を見抜く目をなくすのです。税金なんか所詮経営者から、枝葉末節。経営者は、会社 の存続、成長が第一。税金など資金繰りが回れば、一番後の結果論なのです。 企業を維持成長させる。それは税金だけの問題ではありません。様々な複雑な要素があり ます。またそのためには、様々な支援サービスをワンストップに総合力で展開していかな いといけないのです。もちろん節税は私たちの大切な機能であります。しかしある時は、 「○ ○の部分を多面的に見たら、今は税金を大目に払った方が、将来的には良い。何是ならば・・・」 という結論も必要なのです。物事を複眼で見て真に経営者が欲するサービスを目指さない といけないのです。 ■私たちの目指す未来(30年のロードマップ) そういった総合力を私たちはつけるために、複合業態化をしています。チェーン化しま す。資本提携してグループ化をします。資本提携できないんだったら、業務連携をして、 「UNITED 化=連邦経営化」します。様々な風上、風下の別の世界の専門家らと組みます。 異業種と組みます。会計事務所のグループがそんなことまでやっているのか!とビックリ されるようなことまで研究、チャレンジします。 その多様性を皆さんに創造、継承して欲しいのです。 ① 将来発展する、生き残る業種業界に特化し、そこの中で業界のデータベースを売れる くらいに業界に食い込む。その業種の生きた統計値を持つオンリーワンになります。 つまりその分野で業界ナンバーワンのバックオフィス支援企業になります。税理士+ 社労士+行政書士+コンサルタント+弁護士(UNITED)の複合業態化します。バック オフィスのワンストップ複合士業事務所を創る(業態化)。 ② そのために、その業種に強いナンバーワンのアライアンスパートナーと組みます。 ③ 相続税も地域一番の資産家を大量に囲い込むアライアンスパートナーと組みます。 ④ 国税 OB ナンバーワン税理士を全国組織化します。各地域ナンバーワンを繋げ全国ナ ンバーワンの資産税専門対策、支援チームを創ります。 ⑤ そのような地域別の垂直分業。パートナーや各業種の専門家と業種マーケット特化の 水平分業。各地で商業施設の中で、複合業態の事務所を全国各地に作ります。 ⑥ 全国一位の業態事務所チェーンを創ります。 ⑦ 経営陣に弁護士を入れます。各地域の弁護士と融合し、全国チェーン化した「法律経 営会計労務事務所」にします。弁護士は文系資格の王様で、弁護士法は極めて排他的。 だったら弁護士経営者グループにして、弁護士の傘下の事務所にした方が強い業態が できる。しかし経営センスを持ち合わせない「弁護士」を組織の王様にさせない仕組 みを作ります。組織の衆智を得られないことをしたら、仕事の供給をストップさせま す。まあ、三権分立仕組みを作ります。 「最強資格」+「最強の顧客集客営業力」+「各地主要な業態型支店が、最強地域 NO 1」+「特化業界で日本最強のサポート」。水平展開、垂直展開ですべて最強。 これだけの大量の顧客との直接接点を持つ業態は、日本を変えることができる。 【番外】ロングステイ等の目的の日本人経営者、資産家向けの海外展開事業を始めます。 これが私の経営者としてのロマンとビジョンです。そして私は、皆さんの将来を保 証できる会社を創りたい。30年後、皆さんが皆さんのそれぞれの同窓会に出て、 「結局、お前が一番生き生きして今でも現場で闘っている。 結局30年前のお前の就職の選択は、一番正しかったな」とみんなに羨ましがられる 人生を送れるように。その人生のステップを皆さんに提供できるような会社を創り、 遺したい。この私の夢に共感してくれる人財を私は、弊社の仲間になってもらえるよ う期待したい。 2015年3月 さくら相談 UNITED 代表 井上一生
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