日本の平和主義の 70 年間:そこから世界は何を学び、そこに何を築いていくのか 2015 年 9 月 23 日 ケイト・ヒラバヤシ、クマール・スンダラム http://www.asiaprogressive.com/japans-70-year-of-pacifism-world-needs-to-learn-from-an d-built-upon-it/ 将来アメリカ合衆国がまた 「民主主義の」戦争を始めるときには、新しく頼もしい同盟国が出現している。 日本だ。数万人もの人びとが東京の国会前で夜遅くまで抗議したけれども、安倍首相が率いる日本の支配政 党は国会の参議院で安保法案を強行採決した。これらの新しい法律は日本の憲法を「再解釈」するという閣 議決定を具体化したもので、日本の軍隊が海外で戦争を戦うことができるように規定した。現在までは憲法 第 9 条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する」という規定によって、海外の戦争を戦うために日本の自衛隊を送ることはできない とされてきた。しかし安倍の閣議決定と今回成立した安保法によって、日本は効果的な再軍備が可能になっ た。 主流の専門家や評論家は新現実主義的国家理論とか目の前の国際的な振る舞いばかりを見ていたので、 戦 後の日本は大きな謎として残されていた。 国民国家であるのに世界のどこへでも送り出せる軍隊をもたない 日本のケースを理解しようとするあまり、アメリカが安保の傘を提供しているからだとか、戦前派が生き残 っている間だけのことで老人たちが消え去ったら「普通の」マッチョな軍国主義が復活するだろうとか、そ の程度の説明を考えついた。 日本の超国家主義者と国際的に主流とされる観測とが共有していた暗黙の合意 では、 戦後日本の平和憲法などしょせん勝者の正義をふりかざしたアメリカが日本に課した処罰の残骸にす ぎないということであった。 しかし、日本で実際に行われてきた平和主義の活動とその背景にあるものは、そして現在の日本で展開し つつある末期的危機がおそらくもっと確実に示していることは、上のような作り話や憶測を破棄させる。大 勢の若い人々-彼らは安倍の安保法案可決後も東京の街頭で抗議行動を続けている-を含む何千という一 般市民が示しているものは、 日本の平和主義は国家主義者や国際関係の専門家などが想像するよりはるかに 深く根づいているという証拠である。平和憲法を守る運動は、特に最近では学生グループ SEALDs の活発 な指導力も加わって先例のないほど大人数の若者を引きよせている。政治的に無関心だと考えられてきた若 い人々がこれほどの人数と大きなエネルギーをもって行動を始めた。これはすでに確立された組織をもって ずっと憲法 9 条を守ろうと活動している労働者、女性たち、仏教僧、作家、芸術家、様々な分野にいる日 本の一般市民に大きな希望をもたらしている。 多くの日本の市民が憲法 9 条を尊重している。平和主義は戦勝国が規定したものだなどという考えはま ったく間違っている。もし規定できるようなものなら、米国が勝って征服した国家へも容易に同じような平 和と民主主義とを押しつけてきただろう。 アメリカのダグラス・マッカーサー元帥による戦後の占領指令部が軍隊の維持を禁ずる日本の現行憲法を 思い付いたことは事実であるが、 それが受け入れられた理由はまさに日本の一般市民が戦争で疲労していた ためであり戦時中の管理体制に深い反感をもっていたためである。 占領体制の下で実行されたことなのに、憲法の立案過程はその時まで日本が経験していたよりもずっと論 議的であった。しかし 1950 年に朝鮮戦争が始められると北東アジアにおける米国の焦点が変化しても驚 くにあたらない。米国が日本に再軍備させることを考え始めると、日本の市民は憲法と平和主義とを力ずく で守ろうとした。戦後の日本では「平和」が実際に様々な願望 --- それは自由であり、人権であり、労働 者の権利、女性のエンパワーメント、社会保障 --- への集約点であった。平和が民衆の力とエネルギーを 開花させたのだ。平和の傘に守られて大量の中流階級が出現した。先進国の中でも最大級であり、世界の中 で日本に新しいアイデンティティを与え、日本のエリート階級さえ納得するものだった。 安倍が、平和主義を撤回しようとすると日本国内ではとても強い抵抗が起きた。何故ならば、安倍が 70 年間の実験を終わらせようとしているからだけではなく、 日本の市民と国家との力関係が質的に変化するも のとして理解されているからである。社会保障から国家防衛へ国家の焦点を移していくことは、安倍晋三が 狙っている新自由主義経済の強化と軌を一にするものなのである。 しかも、安倍がこういった変化に向けるために使ってきた政治的手法は国民の大多数の間に非常な怒りを 引き起こすものであった。憲法の専門家から一般市民まで誰もが、外国へ軍隊を送るときの要となる「集団 的自衛権」の行使は憲法修正なくしてありえないと考えている。しかし日本の憲法修正手続きでは国会の両 院で 3 分の 2 の賛成を必要とするだけでなく、国民投票でも多数を得る必要もある。これは決してできな いことを安倍は実感した。もし憲法 9 条の修正が国民投票にかけられても、日本国民は全面的に拒否する だろう。それゆえに彼はまず閣議決定を行い、それから憲法 9 条を「再解釈」する法律を、国会で多数を 占める与党議員の動員で押し通す、というアプローチを採用した。 これは法治主義に対する全面的な反逆だ。 独裁者を非難するスローガンやプラカードやコスチュームが街頭に出たデモに登場したのは当然だろう。 こ のままでは日本が平和主義とともに民主主義を失ってしまうという大きな危機感があった。 確かに平和主義 を除去する唯一の方法は、民主的手順を無視することだった。平和主義は高い人気と強い支持を得ていたか らだ。 日本が 70 年間も取り組んできた独自の平和主義実験は、その多くの矛盾にもかかわらず、非常に重要な 人間の可能性を示している:人間社会には「自然な」戦争などというものはないということを。もし社会の ダイナミズムと信念とが内側から変わるならば、 その要因が民衆の反乱であろうと歴史的な偶然であろうと、 あるいは戦後日本のように両者の組合せであっても、 平和の傘の下にあれば私たちの熱望を実現することが 可能である。また平和は、人類共通の利益を賢明に実現したことに根ざす積極的な社会運動と連帯によって、 守り通さねばならない。日本はこのことを、特に真剣に取り組まねばならなかった最近の平和を守る戦いに おいて、はっきりと教えている。 日本が平和を維持した 70 年間は人類が可能性を知るための窓となった。歴史が人類に、いろいろな偶然 を重ねながら特異な実例を示したのだ。実例を知った私たち人類は、こんどはそれを希求し、積極的な活動 と共通の手段を用いて実現していかねばならない。人類の歴史で民主主義はまだ数百年でしかないが、日本 の平和主義は重要な 70 年間の実験である。しかも平和主義への新しい攻撃に対抗するために一般市民が強 く大きな支持に立ち上がったのだ。新しい法律が深く尊敬されている平和憲法へ致命的な打撃を与えること など、市民たちは決して許さないだろう。平和主義の世界的な実験は、まだ失敗に行き着いていない。世界 がその意義と可能性を認識できるときを待っているだけである。
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