設計概念と施工 Karl von Terzaghi(カール・テルツァーギ)(1883~1963) チェコ・プラハに生まれる.イスタンブール工科大学,ウィーン工科大学を経て,1938 年 よりハーバード大学で教鞭をとる.有効応力の原理をはじめ,未開の分野であった土質力 学の分野を開拓し,土質力学の父と呼ばれる.観測データを活用して地盤の力学的性質を 評価し,随時設計変更を検討しながら施工を進めるという observational method と呼ばれる 方法を Peck と確立し,地盤工学分野の設計・施工の合理化,高度化に貢献した. Donald Wood Taylor(ドナルト・W・テイラー)(1900~1955) 米国・ボストンに生まれる.1932 年により 1955 年に亡くなるまでマサチューセッツ工科大 学で教鞭をとる.飽和粘土のせん断時に間隙水圧の測定を世界で最初に行い,地盤の安定 問題を有効応力で議論する方法の確立に貢献した.また,摩擦円法を用いて土の強度と斜 面形状と斜面の安定性,破壊モードの関係を計算し,斜面の安定図表としてまとめた.1948 年に出版された Wiley 社より出版された教科書 Fundamentals of Soil Mechanics は現在でも参 照されている. Thomas William Lambe(トーマス・W・ラム)(1920~1981) 米国・ノースカロライナに生まれる.マサチューセッツ工科大学で博士号取得後,亡くな るまで同校で教鞭をとる.応力履歴が粘性土のせん断特性に及ぼす影響を三軸圧縮試験で 系統的に調べ,室内試験で現地盤の挙動を予測する精度向上に大きく貢献した.Whitman との共著による教科書は有名で,地盤解析を事前の地盤情報のみによる予測解析(Class-A), 施工中の情報をもとに以後の予測を行う解析(Class-B),施工後の情報をもとに行う解析 (Class-C)に分類し,その役割を示した論文は多くの研究者に指示され参照されている. Minoru Matsuo(松尾 稔)(1936~) 日本・京都に生まれる.京都大学で博士号取得後,1971 年まで同校,その後名古屋大学で 教鞭をとる.地盤の統計モデル,軟弱地盤上の盛土,自然斜面,擁壁,掘削山留,埋設管 などの信頼性設計手法の確立に大きく貢献した.80 年代に出版された教科書は日本の地盤 工学分野のはじめての信頼性設計の本であり,その完成度の高さと有益性から長く多くの 読者に読まれている. Carl Allin Cornell(カール・A・コーネル)(1938~2007) 米国・サウスダコタに生まれる.スタンフォード大学で博士号を取得後,1983 までマサチ ューセッツ工科大学,その後スタンフォード大学で教鞭をとる.構造物の破壊確率を算定 するための信頼性指標を数学的に誘導し,それをもとに構造物の部分安全係数を算定する 手法の確立に大きく貢献した.また,彼は確率論をベースにした耐震構造物の性能設計の 創始者とも知られ,その業績は地盤,土木に関わらず広く評価されている.教育にも熱心 で数多くの研究者を育てているのでも有名. Wilson H. Tang(ウィルソン・H・タン)(1943~2012) 台湾に生まれる.マサチューセッツ工科大学で学びスタンフォード大学で博士号を取得後, 1996 年までイリノイ大学,その後 2009 年まで香港大学で教鞭をとる.1970 年代後半には 原位置試験結果を統計的に分析する論文を発表するなど,リスクを考慮した地盤工学分野 の信頼性設計手法を確立し,その普及に貢献した.Ang との共著による土木・建築の学生を 対象にした確率・統計に関する教科書は有名で,日本語,韓国語,中国語にも翻訳され, 世界中で読まれている. 土構造物/土留め構造物 Arthur Casagrande(アーサー・キャサグランデ) (1902~1981) オーストリア・ハイデンシャフトに生まれる.ウィーン工科大学を卒業後,1926 年に渡米 し,1932 年までマサチューセッツ工科大学にて液性限界試験等の土の物理試験や三軸試験 といった様々な土質試験の開発を行った.1932 年よりハーバード大学で教鞭を執り,土質 分類や浸透挙動,土のせん断等に関して土質力学・地盤工学分野の進展に大きく寄与した. 1948 年に発表した AC 分類法は,統一土質分類(1953)を経て 1969 年に ASTM 規格に採用 され,各国の土質分類の基礎となる. Ralph Roscoe Proctor(ラルフ・R・プロクター)(1894~1962) 米国・イリノイに生まれる.1913 年に南カルフォルニア大学を卒業後,ロサンゼルス市の 水道・電力局に採用され, 1960 年まで 44 年にわたってアースフィルダムの建設に従事する. 1933 年に土の締固めに関する 4 編の論文を Engineering News Record 誌に発表し,現場の再 現としての土の突固め試験と,土の状態と貫入棒(Proctor needle)の貫入抵抗の関係を示し た. John Loudon Macadam(ジョン・マカダム)(1756~1836) スコットランド・エアに生まれる.車輪の発明により 18 世紀後半には馬車・自転車時代が 訪れ,強固な路面を有する舗装構造が求められるようになった.19 世紀に世界的に普及し た砕石舗装工法(マカダム工法)を発明し,表層に交通荷重を支持させる舗装理論を提案 した.この舗装理論は現在のアスファルト舗装技術の原型となり,現在の舗装の構造形式 に大きな影響を与えた. Charles Augustin Coulomb(チャールズ・A・クーロン)(1736~1806) フランス・アングレームに生まれる.1761 年に技術系の陸軍士官学校を卒業後,技術系陸 軍士官としてブルボン城塞の建設に携わる.この時の築城の経験は,1773 年に発表された 土圧論の論文「建築学に関して,静力学問題における上限,下限定理の応用について」に つながる.1780 年には摩擦力の法則といった物理学を,1785 年以降では電磁気学に関する 数々の有名な論文を発表した. William John Macquorn Rankine(ウィリアム・JM・ランキン) (1820~1872) スコットランド・エジンバラに生まれる.エジンバラ大学で学んだ後,港湾や鉄道等の建 設やコンサルタントに従事した.1855 年からグラスゴー大学で教鞭を執り,1857 年に土圧 論の論文を発表した.同時期のトムソン(ケルヴィン卿) ,クラウジウスと並んで,熱力学 の基礎を作った人物としても知られる. Kiichi Fujita(藤田圭一) (1924~2010) 日本・香川に生まれる.東京大学を卒業後,1946 年に(株)間組に入社,1987 年から東京理 科大学で教鞭をとり,杭,地下掘削,調査計測等の技術の進展に大きく貢献した.国内で はグランドアンカーの設計指針の策定に,国際的には軟弱地盤中の地下掘削に関する学術 的・技術的な進展に主導的な役割を果たし,地下インフラ開発のための技術の礎を作った. 基礎構造物 George Geoffrey Meyerhof (ゲオルグ・G・マイヤーホフ)(1916~2003) ノーベル生理学・医学賞受賞者オットー・マイヤーホフの息子として 1916 年ドイツに生ま れる.ロンドン大学で土木工学を学び,博士号を取得.第 2 次世界大戦後,カナダに移住 し,1955 年からノヴァスコシア工科大学(カナダ)に勤務.黎明期の基礎構造物の支持力 研究をリードし,その発展に寄与した.なかでも,鉛直偏心荷重に対する有効基礎幅の概 念は今でも実務上広く用いられている. Aleksandar Vesic (アレクサンダー・ヴェシッチ) (1924~1982) 旧ユーゴスラビアに生まれる.ベオグラード大学で博士号を取得後,ベルギーで教鞭をと る.1958 年アメリカに移り,その後デューク大学教授を長く務める.基礎構造物に関する 幅広い研究に従事.浅い基礎の極限支持力に関する 1973 年の ASCE 論文は有名.また,杭 の先端支持力機構に関しても,空洞拡張理論を弾塑性 φ 材料に拡張した解析解を導出して その力学的な解釈を与え,支持力理論の進展に大きく寄与した. Bengt B. Broms (ベント・B・ブロムス)(1928~) スウェーデンに生まれる.同地の大学卒業後,アメリカのイリノイ大学アーバナ・シャン ペーン校で博士号取得.シェルに 3 年ほど勤務の後,アメリカ,スウェーデン,シンガポ ールで長く教鞭をとる.杭基礎の実務について造詣が深く,1964 年に,鉛直杭の水平終局 耐力について,ブロムスの方法として知られる地盤の塑性圧を用いた簡便な評価法を提案 した.この方法は,波力・潮力・地震力等の横荷重を受ける種々の構造物の設計法で用い られている. Edward A. Smith(エドワード・A・スミス)(生没年不詳) 1920 年ごろ大学卒業後, Raymond Pile 社(アメリカ)に入社し,以後エンジニアとして活躍. 現場での計測と構造動力学の知識を活かし,杭の動的挙動の定量的な評価に取り組む.1950 年代に世界に先駆けて,杭~地盤バネを弾完全塑性としたモデルを用い,杭の動的挙動の 差分解を電算機で求めた.この手法は杭の動的載荷試験に応用され,その発展に大いに寄 与した. Tashiro Shiraishi(白石 多士良)(1887~1954) 日本・東京に生まれる.1909 年東京大学を卒業後,鉄道院に奉職.1918 年に視察のためア メリカに渡航,最先端の土木技術を吸収する.関東大震災(1921 年)復興のため,1923 年 震災復興局嘱託に就任.永代橋など隅田川諸橋梁の建設に,当時世界の最新技術であった 圧気潜函(ニューマティックケーソン)工法を導入し,復興に尽力.1938 年には「白石基 礎工事株式会社」を設立.世界のケーソン工法をリードする礎を築く.また,1931 年に日 本で最初のゴルフ教本を著したことでも知られる. 地下構造物 Leopold Müller(レオポルド・ミュラー)(1908~1988) オーストリア・ザルツブルクに生まれる.岩盤力学の先駆者の一人であり、新オーストリ アトンネル工法(New Austrian Tunneling Method、NATM、ナトム)の開発に貢献した主要 な人物(他二人:Ladislaus von Rabcewiczand and Franz Pacher)のうちの一人である。1965-76 年にカールスルーエ大学の教授をつとめた。 Marc Isambard Brunel(マーク・I・ブルネル)(1769~1849) フランス・トクヴィルに生まれる.シールドトンネル工法の確立に貢献した。ノルマンデ ィーの若き農夫の息子だった彼は 1793 年、米国に渡り、ニューヨークで主任技師となった。 1799 年、英国に移り、機械による大量生産時代の幕開けに遭遇した。最初の成功は 1801 年 にポーツマスの海軍の工廠での開始したイギリス海軍向けの滑車の生産法を確立すること に始まる。ここで採用したアセンブリー・ライン(Assembly line)方式は、現代のライン生 産方式の先駆けとなった。 Jacques Triger(ジャック・トリジェール)(1801~1867) フランス・サルトに生まれる.1841 年,フランス・ロワール川内の砂洲での鉄筒による掘 削・沈設工事で,圧気を利用した地盤掘削を世界で初めて行った.この工事では、地上で 構築した約 1m の鉄製円筒状の基礎の上にエアロックを被せ、筒内に圧縮空気を送り込むこ とにより充満した水を排除し、作業員が筒底に降りて地下水面下約 20m まで掘進・沈下さ せた。これがニューマチックケーソン工法の原型とも言われる. Sakuro Murayama(村山朔郎)(1911〜1994) 日本・和歌山県に生まれる.1935 年京都大学卒業後,鉄道省に入省.1945 年から京都大学, 1975 年からは摂南大学にて教鞭をとる.高度成長期の社会的要請に応じて,理論を施工に つなげる数多くの研究を行い,トンネル工学や地盤改良工法の発展に大いに貢献した.代 表的なものとして,シールド工法の本格的導入による本邦初の海底トンネル掘削(関門海 峡トンネル、1941 年),軟弱地盤の安定処理工法として,電気化学的固結法(1954 年)や サンドコンパクションパイル工法(1958 年)の考案.また,我が国で最初に凍結工法を研 究し、含水軟弱地盤掘削時の補助工法として適用(大阪市水道局、1962 年)等が挙げられ る. 水利構造物/沿岸・海洋構造物 Tadao Okino(沖野忠雄) (1854~1921) 日本・兵庫県に生まれる.日本の治水港湾工事の始祖といわれる.1883 年に内務省土木局 技師となり,富士川,信濃川,庄川などの直轄事業を監督.日本でオランダ人技師に学び, 石狩川・北上川・信濃川・利根川・富士川・木曽川・吉野川・筑後川などの全国の主要河 川の改修工事に関わった.その後,日本人技術者として淀川の改修には技術力を発揮し, 新淀川放水路開削を実施し,懸案であった淀川下流の水害解消に大きく貢献した. Sakuro Tanabe(田辺朔郎)(1861~1944) 日本・東京に生まれる.1883 年に京都府御用掛となり,琵琶湖疏水工事に従事し,28 才の 若さでこの工事を完成させた.この琵琶湖疏水は,琵琶湖と京都市内を運河で結ぶもので, 船が通るだけでなく,水力発電,用水確保など多目的な施設としてつくられた.なお,田 辺朔郎は,その後北海道の鉄道事業や京都帝国大学での教鞭など多岐にわたる活躍をした. Johannis de Rijke(ヨハニス・デ・レーケ)(1842~1913) オランダのコレインスプラートに生まれる.1873 年から 1903 年までの 30 年近く,日本の 土木工事に携わった.彼が関わった主な河川は,淀川,木曽川,常願寺川など全国におよ んでいるが,その中でも,木曽川三川の分流計画や常願寺川の改修計画は大きな成果を上 げた.オランダの土木技術を解説した『柴工水刎説明書』『砂防工略図解』『砂防略述』な どの土木技術書を残した. Koichi Hatta(八田與一) (1886~1942) 日本・石川に生まれる.1910 年に東京大学を卒業後、台湾総督府に就職し,約 10 年の歳月 をかけて建設し,当時東洋一を規模だった烏山頭(うざんとう)ダムをはじめ,台湾の灌 漑施設の建設に大きな貢献を行った.彼が建設に携わったダムや給排水路は現在でも完全 に機能しており,現地の人々が大切に管理し使い続けている. Isamu Hiroi(廣井 勇)(1862~1928) 日本・高知に生まれる.札幌農学校卒業後,ドイツに留学し,帰国後 1889 年に札幌農学校 教授に就任する.1889 年から始まった土崎港(現秋田港)の築港に大きく貢献する.1893 年には小樽築港事務所長に就任し,小樽港の築港に従事する.ブロックを傾斜させ並置す る「斜塊ブロック」という独特な工法を採用し,1908 年,日本初のコンクリート製長大防 波堤を完成させた.この間 1889 年には東京帝国大学教授に任命され,人材育成にも大きく 貢献した. Joseph Davidovits(ジョセフ・ダヴィドヴィッツ)(1935~) フランスに生まれる.ウクライナの Victor Glukhovsky 氏が古代のセメント製造法を調べ, 現在のセメントにアルカリ活性剤を加えることで高品質なセメントができることを発見し たことに影響を受け,古代セメントの結合構造であるジオポリマーの化学的構造を解明し, エジプトのピラミッドの石灰岩ブロックは自然石ではなく,ジオポリマー石灰石コンクリ ートの一種である人造石であるとする説を 1983 年に発表した. 補強土構造物/地盤改良 Henri Vidal(ヘンリー・ヴィダール) (1925~) フランスに生まれる.土の中に帯状の鋼板を敷設して、壁面材と連結させることによって 鉛直擁壁を構築するテールアルメ(Terre Armée)工法の考案者。この技術は近代地盤補強 技術のあけぼのといわれ,現在でも世界 30 カ国以上で使われている。 Robert M. Koerner(ロバート・M・カーナー)(1933~) 1968 年にデューク大学で博士号取得後,ドレックス大学で教鞭をとった。1980 年代よりジ オシンセティックスの研究を開始し多大な業績を挙げた。1986 年に有名な「Designing With Geosynthetics」の初版を発刊し、2012 年に第 6 版を発刊している。1986 年には Geosynthetic Research Institute(GRI)、1991 年には GRI を含む複数の機関を統合した Geosynthetic Institute (GSI)の設立に貢献した。 Maurice Anthony Biot(モーリス・A・ビオ)(1905~1985) ベルギー・アントウェルペンに生まれる.1931 年にルーベン・カトリック大学を卒業後、 1932 年にカリフォルニア工科大学で博士号を取得した。1930 年代から 1940 年代までハー バード大学、ルーベン・カトリック大学、コロンビア大学、ブラウン大学で教鞭をとった。 多孔質弾性理論の基礎を構築し、飽和多孔質体の力学挙動の解明に顕著な功績を残した。 Biot の圧密理論は、国内外で広く知られており、現在でも多くの現場で適用されている。 Toyotoshi Yamanouchi(山内豊聡)(1922~2011) 日本・福岡に生まれる.1961 年九州大学で博士号取得後,1985 年まで同校,1995 年まで九 州産業大学で教鞭をとった.要素試験による土の変形強度特性の解明、補強材による軟弱 地盤対策工の確立に貢献した。高密度ポリエチレン製ネットを補強材として用いる軟弱地 盤の表層補強や,排水材と固化材をサンドイッチ状にしたものを層状に配置しながら粘性 土を用いて嵩盛土を行う方法を考案し,実際問題に適用した. Robert D. Holtz(ロバート・D・ホルツ)(1938~) 米国・アリゾナに生まれる.ミネソタ大学を卒業し,1970 年にノースウエスタン大学で博 士号を取得した。1973 年から 1988 年までパデュー大学、1988 年から 2008 年までワシント ン大学で教鞭をとった。ジオシンセティクス、地盤改良、基礎、土の変形強度特性の分野 で 多 大 な 研 究 成 果 を 挙 げ た 。 彼 が 執 筆 し た 有 名 な 教 科 書 Introduction to Geotechnical Engineering は世界中で読まれている。 Richard A. Jewell(リチャード・J・ジュエル)(生年不詳~) 1980 年にケンブリッジ大学で博士号を取得し、オックスフォード大学で教鞭をとった。1984 年にロンドンで開催されたポリマーグリッド補強に関するシンポジウムにおいて、簡易な 設計チャートを含む急勾配補強盛土の設計法を発表した.これによって、世界各国で急勾 配補強盛土が急速に普及した。その後,大学からコンサルタント会社に移り,これまで多 くの土木プロジェクトを手掛けている.
© Copyright 2024 ExpyDoc