ダメ大学生たけが、ビジネスで大切なものを得るまで

ダメ大学生たけが、ビジネスで大切なものを得るまで
はじめまして、たけです。
まずは、このレポートを読んでいただき、ありがとうございます。
僕は、世間的には優秀と呼ばれる慶應義塾大学に通っています。
慶應ボーイなんてもてはやされます。
…ですが、中身は何もないダメ人間でした。
そんなこと言っても、慶応に受かってるなら
ダメ人間だなんて嘘つくなよ!って思う方もいるかもしれませんが、
本当にどうしようもないダメ人間です。
自分のことは何もできないし、お勉強以外では工夫もしない。
自分の親に自分の部屋の掃除までしてもらっていました。
おまけに、モノを盗んだとか、大きなミスを犯したとかでもないのに
仕事ができなすぎてバイトをクビになったことなんかもあります。
正直、学歴という肩書き以外、自分に自信なんてかけらもなかったです。
自信がないから、精神的に余裕がなくて、
不必要にプライドが高いくせに話も下手で仕事もできない。
そして、バイトをクビになるような奴が就職できるのか、
という強烈な不安にもさいなまれていました。
そして、もし就職できたとしても、
楽しいと思える人生なんて送れるのかなんてことを考えてしまい、
将来に希望をもつこともできず、ただただ漠然と日々を過ごしていた。
そんな中、ビジネスと出会い、
紆余曲折を経て稼いで自分で生きていくという
道を得ることができ、時間的にも精神的にも余裕ができた。
友達に呼ばれてもすぐに遊びにいけるし、
したくもない仕事を嫌々しながらやって、
生きるためのお金を稼ぐ必要もない。
好きなときに好きなものを食べられるし、
行きたいところに行くことができる。
将来に対して、希望も持つこともできるようになりました。
今では、新しいことを試して、それがお金になることも楽しいし、
いろいろな人とも出会うことができた。
人教えることによって、その人が稼げるようになって感謝され
僕としても自分の「存在価値」を感じられるようにもなりました。
僕がそうなるまで、どういう生き方をしてきたのか
書いていきたいと思います。
僕が正直向き合いたくない過去もあります。
・今の自分に自信がない
・何か変わりたいけどどうすればいいかわからない
・お金を稼いで自由な生活を送りたい
・自分の存在価値を感じられるようになりたい
そんな方の助けに少しでもなれればとても嬉しいです。
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僕の両親は、本当にできる人だった。
父親は絵に書いたような出世ルート。
人間的には強引な部分もあるけど、
決断力のある人だと今でも感じています。
そして、僕の母親は母親として完璧な人です。
本当に働き者。
こんな親のもとに生まれたのに、
なぜ自分がこんなに怠惰なのかと思うほどです。
でも、よく考えてみると、
僕が怠惰になったのは、
逆に親ができすぎる人間であったからかもしれない。
それは、特に母親の影響を受けていました。
なぜなら、僕の母親は働き者であるがゆえに、
僕の身の回りのことまで全部やってくれたからだ。
おまけに、僕は一人っ子だから
ものすごく手をかけてくれた。
例えば、家でおもちゃを散らかして片付けなくても、
片付けしなさいと言われながら結局片付けをやってくれた。
手伝いもしなさいと言われながら、
結局ほとんどやらなかった。
兄弟もいなかったから、
おかずがデカいとか小さいとかで喧嘩することもなかったし、
むしろおいしいおかずがあったら両親が譲ってくれたりもした。
だから、何もしなくても全てが与えられてしまっていた。
それが当たり前だと思ってしまっていたのです。
今でも、本当に両親には申し訳ない思いでいっぱいです。
…しかし、外の世界は皆が自分のために
動いてくれるなんてあり得なかった。
それは幼稚園のときから。
僕がよく遊んでいた友達がいたのだが、
その友達を別のやつに取られた。
しかし、僕はそれが悔しくて喧嘩をふっかけた。
でも、弱いしその頃から自信がなかったのか
全く勝てなかった。
本当に悔しかった。
それは、小学校に入ってもそんなことがしばしば。
似たような話になるが、
小学校高学年のときに家に友達を呼んだのに、
自分に対して悪口を言ってくるような嫌な友達が
その友達を横取りして遊びに行ったりした。
仲間はずれにされたり、バカにされたり、
本当に悔しかった。
今思えば、ジョークで返すくらいの余裕があれば
よかったのだが、そんな機転の効く頭の良い少年でもなかった。
このころから、頭をちゃんと使うクセがなかったのかもしれないです。
小学校の低学年のときに
「もう少しいろいろ工夫をできるといいと思います」
と通信簿になぜか書かれたりもしました。
そんな僕ですが、小学校のころから自分の努力ではないが
なぜか学校でのお勉強はでき、さらに公文式に入ったおかげで
成績はずーっと高いまま。
成績が良ければ、親や先生にほめられるので、
とりあえず勉強は好きでした。
その流れで、中学受験をすることに。
僕が受験勉強のために塾に行く時間、
他の友達はゲームをしたり、
公園で遊んだりしていてなかなか辛かったです。
辞める理由も特になかったのもあるけれども、
私立の学校に行きたい理由がありました。
それは、小学校高学年の時、学校が学級崩壊していたから。
僕はどちらかいうといじめられていた方なので、
そもそも気分が良くなかった。
でも、それ以上に嫌だったのは、
僕より過激ないじめを受けている友達を見ていられなかったから。
その友達は、〇〇菌がついたとかのいじめは日常茶飯事。
さらにひどかったのは、彼の筆箱とか、いろいろものが入っている
道具箱が女子トイレにぶちまけられたりも。
そんな中、先生のとった措置が、
いじめられている「彼」の方を隔離するという措置。
彼の席だけ、離れた位置にしたのです。
隔離するのはいじめている方じゃないの?
そんなのはおかしい。
僕は先生なんてクソだとも、
子どもの頃ながら思いました。
そして、最後には彼は教室から
飛び降りようとしたこともありました。
学校の2階であるうえ、
実際に飛び降りはしませんでしたが、
それだけ追い詰められていたみたいです。
だから、彼らと同じ公立の中学校には行きたくなかった。
それもあり、いやいやながらも勉強はしたおかげで
なんとか中高一貫の進学校に合格しました。
僕は小学校の卒業式、
別れが辛くて泣いている女の子とかもいた中、
こんなクソ学校抜けだしてせいせいしたよと言わんばかりに
ニコニコしていました。
そして日々は過ぎ、めでたく中学校へ。
そこではいじめとかはなかったものの、
重大な問題が生じました。
それは、皆が頭が良かったということ。
そのせいで、僕の唯一自信を持てた、
「勉強」という部分を失ったのです。
僕はデブで、運動神経も悪かった。
だから、勉強しか取り柄がなかったのに、
その勉強ができる、という部分を失ってしまった。
進学校だから、周りは当然頭が良い。
その中では、僕は下の方だったのです。
完全に自信を失いました。
話が面白いムードメーカータイプでもなかったので、
学校の中では完全に埋もれてしまった。
存在感のない、地味な中学生活。
刺激もないし全然楽しくなかった。
自分でも何をしているのかわからないほど。
中高時代が一番楽しかったよ!
という人も多いかと思いますが、
僕は逆にほとんど印象の強い記憶がありません。
部活も、強くなりたくて柔道部に入ったものの、
辛いし、疲れるし、痛いしでだんだん嫌になってきてしまった。
そして、部長とソリが合わなかったことで
仲間はずれにもされたり。
それは本当に辛かった。
部活に行けば毎日会うし、
わざわざ部長から練習を組みに来て、
痛めつけられたりもした。
しかも、中高一貫校だったので、
高校になっても環境が変わることもなかったので
ずっと埋もれたままだった。
僕は気持ちに余裕がないから、
プライドが捨てられなかったし、
イジられるとキレたりムッとするタイプだから
その影響もあって友達も少なかったです。
勉強もほどほどだし、
部活もほどほど。
学校もそれほど楽しくない。
家に帰ったら、ゲームをなんとなくやり続ける日々。
何かに打ち込めばよかったのに、
そういう忍耐力もないし、本当に怠惰だった。
そう、僕は怠け者なのです。
いわゆる、「真面目系クズ」。
ぱっと見では本当にいい子なのに、
中身は無気力で怠惰。
先生とか親の言うことを
なんとなく聞いているふりをしていれば
それでいいと思っていた。
昔の僕をぶん殴って説教してやりたいです。
しかし、高2から高3になるにつれて、
周りが必死に勉強をし始めるようになりました。
僕も進学校に入っている以上は
そこそこの大学に合格はしたいと思っていたし、
周りと比べて偏差値の低い大学に行くのは
メンツが立たないの思ったので勉強しはじめるように。
あとは、将来大企業に入って安定した生活を送るためには、
いい大学に入らないと行けないとも漠然と思っていたから。
大企業に入ったからって安定なんていうことは
微塵もないし、クビになったら終わりなんていうことに
気付くのはずいぶん後のことでした。
それはさておき、その時も両親に塾に行きたいと言ったら、
すんなり了承してくれました。
今思えば、あんなに高いお金を平然と支払ってくれた
両親には感謝しかありません。
高3の間、勉強は集中してやりました。
学校に行って、塾に行って、帰って、寝る。
そんな毎日を繰り返した結果、
なんとか慶應に合格することができました。
メンツも保つことができたし、
安定した生活へ一歩近づいた気もした。
そんなわけで、めでたく慶應に入ったわけですが、
まず驚いたのは女の子がいること。
まあ至極当たり前なんですが、
中高一貫で、男子校に通っていた僕にとっては
とんでもないことでした。
毎日毎日学校に行っても、
汗臭い男子学生しかいなかった。
それも6年間、たぶん1800日ぐらいは
続いたんじゃないかと思います。
もうそれだけで刺激が半端無かったし、
マジメぶっていた僕にとっては、
授業をサボって友達とダラダラするだけで楽しかった。
でも、そんなには楽しい時間は続くことはなかったです。
それは、僕の余裕のなさと、
プライドの高さが原因だった。
いつもの悪い癖が出る。
また自信がないから、すごくもないのに
自分ができる人間だというふりをする。
で、またイジられたらムスッとするし、
コミュニケーションも下手。
おかげで仲の良い友達も増えないし、
また周りに埋もれてしまいました。
友達が少ないし、一人でいるのを見られたくなかったから
学校の図書館でこっそりご飯を食べて、
ぼーっと次の授業を待ったりするなんていうことも。
原因がわからなかったから、
また同じ過ちを繰り返した。
というか、無意味なプライドを持っていたから、
自分のせいではなくて、周りの人間のせいだと思って逃げていた。
その悪い癖は大学から始めたバイト先でも。
自分が慶應に入ったからできると勘違いして、
偉ぶって新人のくせに文句ばかり。
なにか企画をやろう、と言えばこれは◎✕▲※…だから嫌。
みたいな感じでした。
で、手はろくに動かさないし代替案も出さない。
典型的な、使えない超迷惑人間でした。
バイト先には10連勤したりなど物理的には働いていましたが、
大学2年のあるとき、事件は発生しました。
それはバイトが終わって、着替えをしようと
バックヤードに戻ろうとしたときでした。
校舎長に呼び出される。
なんだか神妙な顔をしていました。
…で第一声、
「もう今週いっぱいで辞めてもらうことになった」と。
…え??
僕は状況をつかめませんでした。
10連勤とかしてまで働いたのに…
今週いっぱいとか嘘だろ…
お金とかどうするんだ…
事実を受け入れてからは、
本当にどうすればいいかわからなかったです。
所
はバイトをクビになっただけですが、
僕のプライドはズタズタになりました。
自分の能力のなさを認めざるを得なかったから。
そして、就職なんでできるのだろうか?
就職してもまたクビにされるかもしれない…
激しい不安感にさいなまれました。
それからというものの、
どうすることもできないと思いながら、
ただなんとなく過ごしていました。
しかし、そんなある日のこと。
大学の友人から、こんなことを言われました。
「ビジネスに興味ある?」
自分がビジネス?そんなことできるのか??
何がどういうことなのかよくわかりませんでした。
企業に就職して、サラリーマンとして
過ごす道しか考えてなかったから当然のことです。
しかし、よく聞いてみたら、
いまではネットでブログやメルマガで個人でも情報を簡単に発信できるし、
一人で多人数に発信できるから、レバレッジ(てこの原理)が効く。
個人でモノ、情報を売ることもできるし、
いいものをネットで紹介することで、
アフィリエイト報酬を得る方法もある。
確かにそれはそうだな、と僕は思いました。
そして、100万稼げるという話も聞いたので、
バイトでお金がない自分にとってお金は相当魅力的に映りました。
でもなんだがうさんくさいし、
本当にそんなことができるのかは
よくわからないから悩みました。
しかし、この刺激のない状況だから何かやらないと…
とも思っていたのでやることを決断。
ここで、ビジネスを始めることになりました。
早速、紹介してもらった商材を購入して、
それを聞くことに。
聞いてみると、
なんだと…ビジネスってそういうシステムになのか!
マーケティングってそういうふうにやるのか!
仕組みさえ作れば働かなくていいなんて・・・!
億なんてそんなに難しくないだと・・・!
信じられない…!
僕にとってはあまりに衝撃的過ぎました。
サラリーマンで、身を粉にして働いて、
初任給なら大手でも月20万ぐらい。
それも、朝7時とかに起きて、
満員電車で人に押しつぶされながら会社に行き、
そして上司に嫌味を言われ、
職場では仕事の能力とは関係のない部分で出世競争。
そして、働いて働いて、終電、泊まりもしばしば。
土日も働く。周りが働いているのに有給なんてとれない。
休んだら仕事がたまる…
サラリーマンでの仕事のやりがいは
あると思っていたけれども、
そういったことをこなして、やっと月20万。
本当に上の方まで行かなければ月100万なんて稼げない。
それも年功序列だからそこまでいくのは4,50歳とか。
そんな世界を思っていた自分にとっては、
当然ながら想像を絶するものでした。
正直意味不明で理解不能なところもありましたが、
自分もそんな世界に近づけたら絶対面白い!!
と思い、とにかくやってみようと意気込む。
…ですが、「何をすれば良いんだ…?」
パソコンの前で固まりました。
具体的に、何をすればいいのかわからなかったんです。
僕の悪い癖がまたまた出てくる。
頭を使わないし、怠惰。
プライドが高いからミスするのを嫌がった。
最初なんてどうせうまくできるはずもないのに。
なんでもいいから、日記でも書けばよかったのに、
それさえも書かなかった。
ブログを1,2記事書いて終わり。
で、当たり前ながらクオリティもないし、
そんな分量じゃアクセスも集まらない。
「やっぱ稼げないんじゃん…」
「この商材、ホントなのかよ…」
ろくにやってもいないのに、
すぐ自分以外のせいにしてました。
そんな中、ぼーっとしていたとき
その友人から、「最近どう?」と聞かれました。
「何をすればいいかよくわからない…」
ということを話して、状況を話したら、
「その量じゃそりゃー無理でしょ。」と。
「そしたら、手数で稼げるやつをやってみな。」
と勧められ、Twitterを使ったアフィリエイトを始めることに。
でも、またとりあえず2-3アカウント作って終わり。
本当にダメ人間ですね。
で、またダメか…と思っていた時、
またその友人からアドバイスをもらいました。
その友人は、実は今僕の師匠となっている人です。
「それじゃ少ない!その量じゃ当たらないのは当たり前。」
「量が質になる。だから1日10アカウント作ろう。」
えええええーーーー!!!
そんな作んのかよ!!
怠惰な僕にとっては、相当な量と
プライドから失敗を恐れる僕にとっては、
なかなか骨が折れる作業でした。
失敗をすることによって何がダメなのかわかって、
そこから修正していくという視点がなかったのです。
実行→修正→実行→修正…ができなかった。
そんなわけで、ゴリゴリアカウントを作っていると、
ある異変が起こりました。
「あれ、急にフォロワーが増えているアカウントがあるぞ?」
そのアカウントが急に人気が出て、人が集まってきた。
「すげええ!!!一人の発信をこんなに見ている人がいるのか!!」
というのを実感しました。
そこからは、どういうモノが当たるのか、外れるのかを
分析しながら作っていくと、どんどん効果が出始めるように。
そこに広告を流してアフィリエイト報酬を得ることに成功。
一気に月1万ぐらいまで来て、
これでネットビジネスで稼げるぞ!!
というのを確信しました。
…しかし、またそれも長くは続かなかった。
ある日のこと、いつもどおり、Twiterの
アカウントを開いてみる。
…が、開かない。
あれ?と思ったらよく見てみると…
ほぼ全てのアカウントが凍結されていたのです。
うわ、マジかよ…
終わった…
また、稼ぎがなくなった。
僕は、Twitterというプラットフォーム1つに依存して
稼いでいたので、稼ぎ先が一気に吹っ飛んでしまったのです。
僕は、稼ぎ先が1つしかないのは危険だと身を持って学びました。
そんなわけで、また稼ぎがなくなってしまいました。
困った…
でも、実行→修正→実行→修正…とやっていくことで、
必ず結果がついてくるはずだと僕は自信を得ました。
僕は稼げる。絶対に。
そう思いながらも、よくわからない中、
僕の師匠がまた新しいことを提案してくれました。
「せどりやれば?」
…せどり??なんだそれ?
アフィリエイトより聞いたことないな…
せどりって何なの?と聞いてみると、
小売店やネットショップから仕入れて
Amazonなどのショップで販売するビジネスだということ。
え?そんなので利益出るのか?
手数料もあるし、配送料とかもとられるじゃん…
でも、本当に出るらしいです。
僕がなんだか半信半疑だったので、
店舗に行って仕入れてるところを見せてやるよ、
ということで店舗で仕入れを見せてくれました。
で、店舗に行くやいなや、
「あ、これ利益でそうだ。」と、
実際に無料のツールで調べると、
あっさり利益が出るとのこと。
え?マジ?
見つけるのはええええ!!!
僕はびっくりしました。
こんなに利益が出る商品があっさり見つかるのか…
手数料を取られても、配送料がかかっても
利益が出るという事実が衝撃的でした。
そんなわけで、俺もやってやるぞ!!
と思いながら店舗へ突撃。
僕は最初は低額でも仕入れられる
ブックオフを選びました。
ひたすら商品をチェック。
ですが、そう簡単にはいかない。
2時間探しても利益が出ない…
正直つらかったです。
でも、僕は諦めませんでした。
最初なんて簡単に利益が出るはずがない!
最初は稼げなくても、頭を使って試行を続ければ
必ず結果はついてくる!
僕は信じました。
ひたすら同じジャンルをチェックし続けた。
そしたら、3時間経過したある時、
ついに利益を出る商品を発見しました。
500円→1200円の商品。
当然ながら、手数料を引けば取るに足らない利益です。
ですが、利益の出る商品を自力で見つけたときの喜びは
計り知れないものでした。
それからも、引き続き商品をひたすら調べ続けました。
そうしたら、1つのジャンルをひたすら調べ続けたおかげで、
商品ごとの値段がほぼ頭に入るように。
おかげで、もう商品と価格を見ただけで
利益が出るかどうか分かるようになり、
仕入れのスピードも上がり稼ぎが増えてきました。
この時は、本当に稼げる人間になってきている…!
という実感が湧いてきました。
さらに、その頃は年末商戦の時期だったので、
年末商戦にも参戦しました。
そしたら、めちゃくちゃ稼げる。
プレミアがついている商品がごろごろ。
今まで500→1200円とかの商品ばかり仕入れていたので、
かなり驚きの体験でした。
これはすげえ…!
毎日仕入れに行っては、
毎日発送をしての繰り返しを無我夢中で続けました。
おかげで、だいぶ月商も月収も増加しました。
その後は、正月のセールで仕入れまくったり、
遠征で、都心から離れたところに行ったことでさらに
稼ぎがブーストしていきました。
いろいろなことを試したり
いろいろなところで仕入れを続けていると、
気づいたら月商も100万を突破し、
せどりのみの月収も20万以上に。
それも、毎日ずっと仕入れに行っているわけではないです。
むしろ、最初よりも全然仕入れに行っていません。
お金を生み出すのは、労働時間ではなく、
その人の能力であることをビジネスを通じて学びました。
自分に自信がなかったし、頭を使わなかったから能力もなかった。
それを隠すためにプライドだけ高くて去勢を張っていた。
稼ぐことで、自信もついたし、
頭を使うようになった。
失敗することは当たり前だし、
自然体で生きることが最も人間らしい。
ビジネスは僕に本当に大事なことを教えてくれました。
僕は、自分の人生を変えてくれたビジネスを
いずれ他の人に教えたいと思って、
ブログ、メルマガを書き続けていました。
そこでセミナーをやってみたり、
1日中せどりをマンツーマンで教えることもしました。
そしたら、僕から教えてもらいたいという人が集まり、
僕の考えに共感してくれる方々も出てきてくれました。
そんな方々と話をしたり、
ビジネスの話をするのがとても楽しいです。
そして、僕が話した人が稼げるようになったのを見ると、
心から嬉しいです。
自分を必要としてくれる人がいるからこそ、
自分の価値を感じられるようになりました。
ビジネスを通じて本当に大切なことを学びました。
ビジネスの世界は、結果が出るのも出ないのも自分次第。
最初は全くと言っていいほど結果が出ませんでした。
やっぱり、他人や、環境のせいにしてしまおうと思ったこともありました。
でも、他人のせいにしてもなんにもならないから
自分で責任をとって頑張るしかない。
そこで、自分がいかに怠惰か、
そして自分がいかに頭を使っていなかったか、
自分の無力さ、能力のなさを思い知りました。
自分の無力さを思い知ったからこそ、
適切な努力をしなければならないと思ったし、
レベルの高い人たちと出会うこともできて、
自分が謙虚にならないといけないとも思い知りました。
本当に感謝の気持ちしかありません。
さらには、今では人を教える立場にもなりました。
おかげで自分の存在価値を感じられるようになったし、
変なプライドもなくなり、
まだまだですが、頭を使って生きていくことを覚えました。
おかげで、いろいろな人にいい印象を持って
接してもらえるようになりました。
僕は、ビジネスを通じてプライドなんて捨てて自分をさらけ出すこと、
謙虚に、頭を使って愚直に努力することの大切さを学びました。
このレポートを読んでくださった方には、
その大切さを噛みしめて、自分と正直に向き合ってくれたら嬉しいです。
ここまでレポートを読んでくださって、
本当にありがとうございました。
感想はいつでもお待ちしております。
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