越後島研一著『ル・コルビュジェを見る』を読む 広島工業大学 環境デザイン学科 C112091 森山 誉彬 1.はじめに ここでは、ル・コルビュジェの思想を理解し、日本の建築家がどのようにその思想をと らえたのかを、越後島研一著『ル・コルビュジェを見る』 (中公新書、1990)を読むことで 明らかにしたい。 2.目次 プロローグ 「透明な絵画」から「透明な都市へ」 第1章 第2章 革新―幾何学の美 第3章 成熟―集合、都市、闇 1 三つの出発点 1 もうひとつの「世紀の名作」 2 「白い箱型」の追求 2 豪雨と灼熱の都市 3 空中での完結 3 問いかける建築 変貌―幾何学からの転身 第4章 日本への影響 1 ポスト・サヴォワ邸問題 1 直弟子たち 2 1929年試み 2 日本のル・コルビュジェ 3 石壁、洞窟、影、渦巻き 3 否定精神と読み直し エピローグ 遺言―ラ・トゥーレット修道院 3.本書の内容 処女作では石積みの基壇と、分厚い屋根が目立ち、全体としては重量に満ちていた。 シトロアン住宅(1920)ではコンクリートの柱と梁で全体を支えることで、その外側を構造 的な役割のない軽く薄い壁でつくれると考えた。集大成のサヴォワ邸は幾何学の美の集大 成と言われ、見たものに様々な印象をあたえるつくりになっている。 サヴォワ邸 集大成となった建築はその先に新たな発展は望めない。 改善策として、幾何学なつくりの中に石壁や洞窟、影や渦巻というような多様な要素を 取り入れ、見る角度によって単調なイメージを打ち消すつくりを考えた。 マルセーユのユニテ・ペサックの住宅地・ロンシャン教会堂のように数多くの作品を残 した。 これらの建築には、今までの作品に見られている様々な要因がとり入れられた。 日本で最初にル・コルビュジェを広めたのは薬師寺和江であり、彼は欧州で開かれた展 覧会でル・コルビュジェの作品に心をうたれたことがきっかけだった。 4.ル・コルビュジェと日本の3人の弟子 ここからは、4 章「日本への影響」を特に取り上げてみる。 坂倉準三は 1931 年から 1939 年まで、ル・コルビュジエの事務所で修業した。 鎌倉館においても、国立西洋美術館においても、建物の主要部分は 2 階にあって、それ を「ピロティ」とよばれる列柱群が支える形式をとっている。これもまた、ル・コルビュ ジエが 1920 年代の住宅建築において提唱したものである。 前川國男は戦前の 1928 年から 2 年間、ル・コルビュジエにモダニズムを学ぶ。 その思想と方法を日本に定着させることを生涯のテーマとした。前川の建築は、風景そ のものを形づくる強さを備えながら、ごく自然な姿で環境の中に溶け込んでいるつくりに なっている。 吉阪隆正は戦後まもない 1950 年から 1952 年にル・コルビュジエのアトリエで学んだ。 人とものとのかかわりを見つめて、その豊かな関係性を探る「有形学」を提唱しつつ、 あ るときは壮大な地域計画をあらわし、そして、ものに命を込めるディテールにこだわり続 けた実践者でもあった。 共通点では、三人ともル・コルビュジェの事務所で学び、共感した部分を自身の建築作品 に取り入れている。 5.おわりに 本書を読んできたが、ここからは、自身の考えを取り入れてまとめていきたいと思う。 安藤忠雄はコンクリートのとらえ方が違う。 安藤もコルビュジェの影響下でコンクリート打ちっぱなしの作品が有名だが、コルビジュ エがコンクリートによる自在な「フォルム」を好んだのに対し、安藤はコンクリートの「質 感」を追求した。 磯崎新は立方体の追求が異なる。 コルビュジェと違い、立方体を宙に浮いた感じで作るだけではなく、立方体を組み合わせ て宙に浮かすつくりを考えた。 コルビュジェの思想は、安藤のように素材のとらえ方が違ったり、磯崎のように追求の 仕方が異なったりするが、日本に大きな影響を与えていることがわかる。 建築家の思想は様々だが、コルビュジェの思想に共感した建築家でも自身の思想を取り 入れて建築にするため、それぞれの建築家で外観やコンセプトがことなっている。 思想を理解し、研究することは知識を深めるだけでなく、建築家同士のつながりを理解 することにもつながり、時代背景も理解できる。 参考文献:越後島研一著『ル・コルビュジェを見る』中公新書、1909 年。
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