「求めて学び 共に育つ子」を培う清野の教育

校長だよりNo18
平成27年7月27日(月)
「求めて学び 共に育つ子」を培う清野の教育
長野市立清野小学校長
岡本
力
通知票「のびゆく すがた」にこめた願いと活用の仕方について
本校は、小学校学習指導要領に示された、各教科・道徳・外国語活動・総合的な学習の時間・特
別活動 などの学習をとおして、
「基礎・基本を確実に身に付け、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自
ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、自らを律しつつ、他人と
ともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、たくましく生きるための健康
や体力など」の「生きる力」をはぐくみたいと願っています。「考える力」を生かし合いながら、
主体的に「生き抜く」子どもの育成を目指して、子どもが、人やものと興味をもちながらかかわる
力→かかわりの中からはてな?を発見し課題を整理する力→はてな?の解決に取り組み続けられる
力→課題解決を達成する力を発揮しながらこのサイクルを螺旋的に繰り返しながら力をつけ続けて
いくたくましい子どもを育てたいと考えています。
したがって、「のびゆく すがた」のねらいは、学校における子どもたちの学習や生活の様子を
保護者にお知らせして、共通理解を図り、よりよい子どもを育成することにあります。具体的には、
子どもたちの学校の様子を保護者にお知らせするとともに、家庭からもお子さんの情報をいただく
相互連絡としてのはたらきと保護者のみなさんをとおしてお子さんの学習に対する意欲を喚起する
かかわりを発揮させながら、子どもの「生きる力」の育成を学校と保護者と共同で行っていく。そ
の仲立ちに「のびゆく すがた」が位置づくと考えます。このような機能を果たすために、「のび
ゆく すがた」には、次のような項目を設け、共通理解に資するようにしたいと意図しました。
1
学習の記録
それぞれの教科学習には、ねらいがあります。そのねらいに対して、どれくらい達成できたかを
総括的に評価します。学習の結果は、どれだけ知っているか、どれだけできるかという知識や技能
だけではありません。学習中の学ぶ意欲や考える力やまとめて表現する力なども、学習の結果に含
んでいます。
この学習の評価は、四つの観点で行います。それは、「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能
・表現」「知識・理解」で、それぞれの観点から学習状況をとらえます。
その結果を、◎:よくできる
=十分満足できる状況と判断される
○:できる
=おおむね満足できる状況と判断される
△:もっと努力しよう=努力を要する状況と判断される
と評価を総括します。
2
外国語活動
外国語活動は外国語を通じて、言語や文化について体験的に理解を深め、積極的にコミュニケー
ションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コ
ミュニケーション能力の素地を養うことを目指します。
3
総合的な学習の記録
問題の設定→情報の収集→整理・分析→まとめ・表現の4つの段階のつながりを生かして、子ど
もの内側に膨らんでくる思いや願いに沿った学習展開をとおしながら、特に進歩したこと 意欲的
に取り組んだこと 努力や工夫がみられたこと ものの見方や考え方が変わったこと 自己の生き
方につなげて考えようとしたこと など見とどける視点を具体的にして姿をとらえます。
4
特別活動の記録
特別活動は、学級活動や児童会活動やクラブ活動など友だちとの関わりの中で豊かな心を育てる
活動です。学級活動や委員会での係、役割、活動のようすや特出すべき所見を記入します。
-1-
5
行動の記録
教科学習の時間、休み時間や清掃の時間など学校における様々な場面での様子を評価します。評
価の捉え方は、学習のようすと同じです。
6
所見
学校から 子どもを全人的にとらえ総合的・総括的に評価した内容です。子どものよいところ、
がんばったところ、さらにのばしたいところを記入します。
家庭から 記入してある所見などへの意見・感想、学校への要望、保護者としての受け止め等お
気づきの点を記入しお返しください。
出欠席の記録
授業日数のうち学級閉鎖等による出席停止、忌引を除いた出席しなければならない日数、欠席
日数、出席日数などの記録です。
この「のびゆく すがた」を仲立ちに、お子さんにかかわる情報交換がなされ、一層の共通理解
をすすめ共同して子どもの「生きる力」の伸長に資するようにしたいと願います。
子どもたちの成長を保護者のみなさんもじっくり味わえる夏休みを期待します
子どもたちは、学校にかよう生活と少し違うリズムの生活が始まることに、わくわくしているだ
ろうと思います。自由度の高い時間をどう使うか、スリリングな期待感にあふれていることでしょ
う。そんな時間とどうつきあうか、その思いがわくわく感につながります。わたしが小学生のころ、
担任の先生は、夏休み中も規則正しい生活が大事だといいました。当時のわたしにはよく分かりま
せんでしたが、少し成長して、日常・非日常の違いを考えたり、一見ムダな時間が含み持つ意味を
考えたりできるようになった時に、小学校のころの自分を思い出して、規則正しい生活の大切さを
考えられるようなってきました。
渡部昇一は、『知的生活の方法』で「最も生産的な生活は、規則的な生活である」と述べていま
す。これが今納得できるのは、人は、人間の長い歴史をとおして、規則正しい生活が、いろいろた
めしてみた結果、最も生産性が高いことが分かってきたからだと思います。そのようなよいことを
人間は、歴史をとおして、知識や文化にして、山ほど過去から現代まで伝承してきました。
しかし、いくら知識や文化が積み上がってきても、わたしという個人の中では、それらが頭でい
くらいいとわかっていても簡単にはできないことが、逆に山ほどあることも、経験上わかっていま
す。本来なら、例えば、規則正しい生活は、規則正しくない生活を身体が味合わないと、本当に規
則正しいよさがわからない。要は、自分の身体をとおして、自分自身が納得する経験がないと、ど
んなにいいことでもそのよさを自分なりに理解しなければ、どんなに人からすすめられようとも、
自分からやってみようという動機につながらないのではないかとも考えられます。
とはいっても小学生は子どもです。自分で味わって身体で納得することは大事ですが、今の年齢
で、すべてそれを自己責任でやってごらんなさいとはいえません。やはり、子どもは、指導のよろ
しきを得ればいい体験を積み上げます。指導もなく、好きにやっていいでは、不善を為すと思いま
す。だから、やっぱり大人の指導は重要なのです。寝ないで星の観察をするのも、遅くまで起きて
セミの脱皮を観察するのも勝手にやりなさいではよい経験にはなりません。保護者の立場を考える
と、そういうことが子どもにとっていいことだと思えればつき合うことは何でもありませんが、そ
う思えなければ、つき合うことはないでしょう。
親にとって子どもの夏休みで大変なのは、子どもの一見ムダに思える体験につき合う、心の余裕
と時間の余裕があるかどうかだと思います。休みと言っても、大人も子どもも忙しがって、スケジ
ュールに追われたり、スケジュールが合わなかったりという方が多いのかもしれません。そんな中
でも、ムダと思えるような子どもの経験につき合いながら、そのよさをじっくり味わえる時間を、
夏休み中に大人と子どもで共々に味わえることを期待しています。
自分の命を守り、一回り大きくなって登校してくる二学期の子どもたちの笑顔が8月18日に集
まることを楽しみにしています。
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